過去と未来の地獄

 ※虐待描写があるため、苦手な方は読むのをお控えください


 幼少の頃から随分と長い間、私は血の繋がらない父親から虐待をうけて育った。
 始まりは4~5歳頃に私がご飯の茶碗をひっくり返してしまったことだった。母の見ていない外に連れて行かれ、何発も叩かれた。そこからはいつの間にか暴力は当然になった。布団叩きやクイックルワイパーの棒でお尻を叩かれてミミズばれは日常茶飯事だったし、エアガンで撃たれたり、時には殴られて流血することもあった。学校から帰宅して先に父親がいれば何が飛んでくるかわからない。怯えながら玄関を開ける日々。何かと難癖をつけられて裸で外に出されたりもした。
 朝は5時に起き、走る。寝坊すれば当然叩かれる。遅すぎたり早すぎたりすると「ちゃんと決まった分を走っていない」と見てもいないのに言われやり直し。それが終わればノートに書き取り。勉強をするという意味合いではなくノートを埋めることが目的の、自分にとって苦痛なだけの作業。
 テレビを観たり、食事中に家族が面白い話をしていても私は参加することや笑うことは禁止。吐くまで食べさせられることもあった。
 文字にするとそうでもないかもしれないが、私にとってはとんでもない苦痛で地獄のようだった。書けないことや、思い出したくないことももっとたくさんある。「殺される前に殺さないといけない。寝てる間に首に包丁を刺してやろうか……でも失敗したらただじゃ済まない」とか「子供のうちなら罪が軽いみたいだ」などと考えている小学生時代だった。
 
 そんな状況だったため小学生の頃から時々隣の市にある母方の祖父母の家に逃げてしばらく暮らし、何かの折に連れ戻されというのを繰り返しながら育った。何度目かわからないそれが最後になったのは、私が高校3年生の時だった。
 母が本気で父親と別れるという話になり、家を出たのである。そこでようやく私にも手をあげないから戻ってきてくれという話になり、父親も私に謝罪しそれからは憑き物が落ちたかのように一般的な父親のような人間になった。

 両親が家を買い、そこで暮らし始めた私たちは何の問題もない普通の家族のようだった。商業高校を出た私は近所で仕事を始め日常が穏やかに送れると思っていたが、そうもいかなかった。

 しばらくすると仕事をしても頭が回らない、夜眠れない、死にたくなるといった状態になったのだ。周りの人のすすめで精神科へ行き「抑うつ状態」と診断された。そこからは仕事を変えながら良くなったり悪くなったりの繰り返しで過ごしている。死にたい夜も死のうとした夜もあったが、見つける人が可哀想だという理由で思いとどまって一度も実行に移すことはなかった。
 現在は「うつ病」と「強迫性障害」との診断をされている。ここ5年位は薬をやめることを諦め服薬をしながら仕事をしたり時々休んだりでなんとか穏やかに生き延びることができるようになり、なんとなくこのまま生きていける気がしてきていた。

 だが昨年の年末頃には職場の上司のパワハラな言動から強いストレスを感じ始め、本格的に体調を崩して今年初めに仕事も辞めた。圧をかけられる感じが子供の頃と被ってしまったせいか、死んでしまいたい感覚がどうしようもなくまとわりつく日が増えた。
 ただ、死にたいというどうしようもない深くて暗い地獄の感情とともに、生き延びたのに死ぬなという子供の頃の私の念のようなものが出てくる。私はいつもその狭間で泣きながらじっとその地獄が通り過ぎるのを待つ。今までずっと頑張れたんだから大丈夫、と自分を励ましながら。

 うつになるのは珍しいことではないけれど、どうしても「私が普通に育っていたらここまで長く苦しまなくて済んだかもしれない」と考えてしまう。
 死ぬまでにあと何回この地獄を超えればいいんだろう。誰のせいにすれば楽になるんだろう。だけど誰かのせいにして謝罪されたとしても、別に私の時間は戻らないし蒸し返して人と争うのもさっぱり嬉しくないから私が我慢するしかないなという結論になる。

 今の私にできることは、これからもきっとずっと繰り返す地獄に耐えて生きることしかない。耐える価値があるかどうかは死ぬときまでわからないけれど、そのときがなるべく先であるように、何か残せるように。
 できるだけ、足掻いてみたいと思う。

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