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2020年1月下旬 忘れられない誕生日

2020年1月27日


治療スケジュールを決めるために受診。

CTの検査結果を聞くと…

CTで左頚部への転移が見つかった。

12月末のCTではなかったのに…

ステージはⅢからIVへ。

医者は
『手術はできないため、抗がん剤治療とホルモン療法を行い
延命のための治療を行うことになります。
完治は難しいでしょう。
と。

さらに
骨へ転移している可能性もあります。
精査しましょう。』

と言われ受診の3日後に
骨シンチグラフィを行うことに。

『予後は治療してみないとまだわかりません。
ただ治療をしなければ、半年〜1年でしょう。』

転移が見つかったことに驚き、止まらぬ涙。
でもゆっくり泣く暇もなく、無理やり思考を働かせて
医者に治療のことなどを質問した。

完治しないなら緩和治療でも、と告げた。

抗がん剤治療はやりたくなかった。

でも…
医者は『あきらめないでほしい』
看護師は『全力でサポートします
一緒に話を聞いていた母は
『娘ちゃんのためにあきらめないで

たたみかけるように
みんなで、『あきらめないで』と。

治療をしない選択肢をもらえなかった。

進行の早いがんだから
なるべく早く治療をしたほうが
いいのはわかる。

娘は当時1歳
主人は29歳で働き盛り
母・妻としての責任もあった。

でも…
どうして選ばせて
もらえないのだろうか?

この時の感情も思考も
ぐちゃぐちゃだったけれど
この時の私は【我】を通す
ことができなかった。

自分の感情を押し殺し
抗がん剤治療を行う決意をした。

抗がん剤治療は骨シンチグラフィの
結果を待たず、2月3日から開始。

仕事が休めず、医者の話に
同席できなかった主人。
帰宅してから主人に病院でのできごとと
治療をする決断をしたことを
淡々と告げ、また泣いた。

そして1月27日は
私の31歳の誕生日。

人生で数少ない一大決心をした
この日を忘れることはないでしょう。


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