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2023.3/25
-繰り返すことをためらわず
背伸びをしないで見上げてる
いつも全てここにあるんだからと
笑うあなた、風、吹いても-
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チリトリの小上がりで青谷さんが歌い出す。
その曲は、『甘噛みサルーキ」
厨房の境にかかった大漁の手拭い越しに、ただLiveを見つめていた。
青谷さんが歌い出した瞬間にわたしは、ないていた。
まったく泣くなんて思っていなかったけれど。
ワンフレーズで、しゃくりあげるほどに泣いたので、その場にいるみんな内心びっくりしたであろう。
青谷さんは歌い続けている。
自分でもびっくりするぐらいに、いろんな感情が噴出して、涙になった。
わたしが泣いている気配と共に、みんなは歌を聞いている。
わかっている。
あなた(トミー) が、チリトリ自由食堂の日々になにをこめてきたかはと。
無言でその場にいるみんなに、たしかに言われている気がした。
2023年の3月25日は、チリトリ自由食堂のみんなの門出祭りだった。
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オープンのお祭りの時にも、女将のkanaちゃんのセッテイングで青谷さんがライブをしてくれていて、私も大好きになり、繰り返しお店の営業中に、仕込みの時にその歌声を聞いていた。
お客様もチリトリで流れている、青谷さんの歌声を聞いてファンになってくれた人もいた。
話も弾んだものだ。
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そして、卒業する私のために、チリトリ四周年に、新しくチリトリを引き継いでくれる、シキくんと詩織ちゃんのために、女将kanaちゃんが、また青谷さんを呼んでくれたのだった。
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特に思い入れがある曲で、「海辺の街まで」、「異端児の城」、、、書き始めて、結果全部だな、と思い出したw
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すべて、チリトリ自由食堂の思い出とともに、聴くと匂いまで香ってきそうであるw
青谷さんの歌から、勇気や愛を、そうだよなぁ、をもらいながら歩んできた。
「甘噛みサルーキ」は、その中でも特別なうただ。チリトリ自由食堂の名前をもらった「千里十里」の切り盛りをしていたケイコさんを勝手に投影していたからだ。
このうたは、佐野美里さんという彫刻家の方の「甘噛みサルーキ」という作品の制作エピソードをもとに、青谷さんがうたをつくった。
彫刻家のかたが一人暮らしのおばあさんの石倉を借りていた時に、そのおばあさんが日々変わらずに土を耕し、種を蒔き、愛犬がなくなっても自然の摂理のひとつのように受け止めて、四季の中に生きる姿を目の当たりにして、その思いを形に彫った作品。
であるらしい。
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- いつもすべてここに、あるんだからとわらうあなたずっとみてたわ
さきに行くけれど、泣かないで、あちらの世界であいましょう。-
チリトリ自由食堂は不思議な店で、信じる信じないはお任せするけれど、その前身の「千里十里」を営んでいたケイコさんにずっと見守られている気がしていた。
それがこの日、ケイコさんが「もう、大丈夫ね、」と、先にいかれた気がしたのだ。
その日、確かにわたしの役割が終わったという音がした。
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私は、チリトリ自由食堂をやるにあたって、この町にあって、格別に愛されていたであろう、「千里十里」を大切に、これからもっとこの町は、元気になっていくのだと言う雰囲気を生み出す場所にどうしてもしたかった。
人と人が混ざり合う交差点のような町へ、芦辺浦という町が、たちまちと向かうとき。
其の一手としての雰囲気をこそ、生み出したかった。
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スパイスカレーをがんばったのも、食の持つちからの中でも、スパイスカレーの持つ、人を惹きつける雰囲気とそこに宿る文化の可能性を信じたからだ。
拙さを痛感しながら、「一皿一皿が勝負」と書いて厨房の自分が見える場所に書いて貼った。
一皿一皿に全力を尽くしていれば、きっと後悔はないだろうからと。
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東日本大震災の時に、ひとりではなにもできない無力感と向き合わざるを得なかった。
もっと人の中に飛び込んで行かなければと、痛いほどに思ったこと、そして、少しでも何か希望の光になるようなことがしたかったんだという想い。
それは、自分のために。
自分のために、希望を、変化を、生み出せるという体験が切実に必要だった。
これが、私のこころの風景であった。
チリトリ自由食堂やみんながそんな想いに付き合ってくれたような気もしている。
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チリトリ自由食堂は、本当に自信を持って、悩み尽くした事も含めてのベストや、愛を尽くしたと言える、特別なお店だ。
卒業したのは、もう、チリトリ自由食堂も、わたしも、そろそろもう一歩進みましょう、そのためにお別れをしましょうというお知らせのような出来事が、おこっていたからで、
次の物語の準備は、とっくに終わっていますよ。と、あなたが生み出したかったものは、形を持たないものでしょう。
と、静かに説かれるような出来事が訥々とあった。
そんなわけで、わたしはチリトリ自由食堂にはじめてスパイスカレーの『のこり香」だけを残して。初代の料理人から卒業することになった。
この時間は本当に関わってくれた人みんなからの贈り物で、一年たった今でも胸がつかえて、うまく言い表せないことも多い。
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それでも、変わらないことが一つも無いように、自然のこととして、今も一歩一歩。
歩んでいく。
チリトリ自由食堂があったからこその、時間の上に立って。
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photo by
yu_nakamura
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