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移住者として地元の方の自分史を作成したら地元がもっと魅力的に感じた話

こんにちは。tommy(トミー)です。普段は起業家ママtommyと名乗っておりますが、本名は松坂智美と申します。

現在は夫の仕事の都合で移住した限界集落・人口4900人の徳島県神山町に在住。大自然の中にある一軒家で3歳と6歳の女の子を育てながらママ起業家として活動をしています。

今回は神山町にお住まいの、岩丸潔さんの自分史制作エピソードをお伝えします。

岩丸潔さんの自分史
 https://iwamarukiyoshi.jimdofree.com

自分史制作のきっかけ

現在70歳の岩丸潔さんは幼い頃から神山町に住み、町の移り変わりを目の当たりにしてきました。

過去の活気ある町の姿から現在の限界集落と呼ばれるようになった町の姿まで、長年見続けてきた岩丸さんには神山町がどのように映っているのでしょうか。

地元の魅力を若者に伝え、町おこしによって多くの出会いを提供してきた岩丸さんが気づいた人間の本質とは?

自分史には岩丸さんの素直な気持ちが表現されています。

最初に若い人が来た時は、色んな知識や情報を持っていることに圧倒されるばかりであった。しかし、長く付き合っていくうちに、人が本質的に求めていることは、”自分の存在や自分を理解してほしいという気持ち”なのだということに気付かされ、この活動を続けていくことに少し自信を持てたと思う。
 
神山に来るとみんなが話しかけてくれるし、困ったことがあれば近所の人が手伝ってくれる。自由奔放で自分を思い切り出せた中学時代に戻ったような感覚になるのだ。今まで都会生活で疎外感を感じていた人たちが神山に来ることで、自分の存在感や自分の居場所ができたのではないかと思う。人間にとって一番大事なことは、自分を見てくれる人、自分を大事にしてくれる人の存在だと思う。
(岩丸潔さん自分史より抜粋)

岩丸潔さんの自分史:  https://iwamarukiyoshi.jimdofree.com

自分史では、シニア世代の方々が歩んできた軌跡を文章と画像で残しています。

SNSでの自己表現が当たり前になった私たちとは違い、シニア世代の記録はほとんど残っていません。激動の時代を生きてきた人々のストーリーが誰にも知られないまま埋もれてしまう。それでいいのでしょうか?

今の私たちにそれぞれのストーリーがあるように、シニア世代の人々にもそれぞれのストーリーがある。その記憶を呼び起こし、形にして後世に残したい。

そんな想いを胸に岩丸さんのお話を伺ってきました。

岩丸さんの自分史ストーリー

岩丸さんは、神山温泉近くの商店街で先代から引き継いだ百貨店「岩丸百貨店」を営んできました。

もともと神山町で生まれ、育った岩丸さんは、幼い頃は自然豊かな野山を他の子ども達と駆け回る生活を過ごしていました。

当時はまだテレビが珍しい時代です。「テレビの前に集まってプロレスを見る子ども達」という映画のワンシーンのような風景が現実にある世界を生きてきました。

中学を卒業後は徳島市内の高校、大学と順当に進学し、軟式野球やマンドリン倶楽部で活動する活発なタイプ。

大学卒業後は京都にある呉服屋に就職し経験を積みました。その後は地元に戻り先代からの商売を継ぎ、現在は地元を拠点に町おこし等の様々な取り組みを行っています。

☆詳しいストーリーは自分史サイトにてご覧ください。
 https://iwamarukiyoshi.jimdofree.com

神山町の昔の姿

神山町はかつて林業が盛んな町でした。過疎化が進んだ今では、田舎道で子どもの声を聞くこともほぼなくなりましたが、当時は子どもの数も多く活気に溢れる町だったそうです。

今の状況からは信じられませんが(現在、町内には小学校、中学校が1校ずつしかありません)昔は中学校だけで7校もあったそうです。しかも一クラスに数十人いたらしいのです!今なんて、1学年に数十人のレベルですよ。過疎化が進むわけですよね……

このあたりは山に囲まれているので、各地域に学校がないと通学が困難です。そんな事情があって生まれた7つの学校でしたが、学校対抗の野球大会があったりと、今とは全く違う町の姿がありました。
 

町の衰退

 その後は私たちも知っての通り、過疎化が進んでしまいました。盛んに行われていた林業は衰え、仕事がなくなった人々は外に出ざるを得ませんでした。
 
そして、神山町には農業や年金で生活するお年寄りばかりが残されてしまったのです。
  
高齢者の比重が大きいアンバランスな限界集落
“町おこし”の力で盛り上げたい
 
文字通り限界が見えてしまった神山町を自分たちの力で盛り上げようと、岩丸さんと仲間の数名が町おこしに乗り出しました。
 
そして
  
・NPO法人「グリーンバレー」の設立
・国際交流
・アートイベント
 
など取り組みを20年以上続けてきました。
 
こうした長年の取り組みが功を奏し、神山町では現在「人口社会増」が起っています。
 
人口社会増とは、 転出者より転入者が多い状態を指します。ただ、実際は人口は減っています。お亡くなりになる人数の方が多いので人口としては減っているものの、 転出数と転入数を比べると転入が上回るという素晴らしい成果が出ています。
 
実際に私たちも「神山まるごと高専」設立のために家族4人で移住したので、4人分の人口増に貢献しています(笑
   

岩丸さんの取り組みと魅力

岩丸さんは神山町の地域おこしの最前線を走ってきた方ですが、ご本人はとてもほんわかした雰囲気をお持ちです。
 
神山町にはホテルや旅館といった宿泊施設がなく、外から人が来ても受け入れる場所がありませんでした。そこで岩丸さんは自宅を解放し下宿として宿泊者を受け入れるようになりました。
 
自分史に掲載されている写真からもお分かりいただけると思います。紹介を通じて岩丸さんの自宅に泊まった多くの若者は、岩丸さんを「お父さん」と呼び慕ってきました。
 
町おこしには、行政の制度的な協力が欠かせません。地域の協力なしでは移住者を受け入れる土台さえ作れないからです。
 
しかし、それだけで移住してくる若者が増えることはないでしょう。そんなに甘くはありません。
 
行政の制度をベースに、そこに岩丸さん達が行ってきた温かい取り組みが加算されたからこそ、人の心を動かしたのです。
 
心に刺さる体験ができた場所は、その人にとってとても大切なものになりますよね。
 
岩丸さんが、そうした場所を提供し続けてくれたからこそ、多くの人が神山町に魅力を感じ定住を決断し、新しいことを始めるようになりました。
  

自分史制作で得た知見

 

今回、自分史制作にあたって岩丸さんにインタビューをしましたが、長年の様々な取り組みが実を結び今があると実感しています。私にとってもインタビューは非常に価値のある体験になりました。
 
岩丸さんの自分史にある当時の写真やエピソードはとても貴重です。自分史の制作がなければ、岩丸さんのエピソードも世に出ることはなかったかもしれません。
 
限界集落である神山町にもかつては多くの子どもがいました。田舎道には子どもの笑い声が溢れ、仕事に勤しむ大人がいて、町中が活気でみなぎっていました。
 
これは自分史がなければ知り得なかった、神山町のキラキラとした思い出です。
 
今回は岩丸さんの目を通した神山町の姿が描かれました。これも人が変われば違ったストーリーが描かれます。
 
ですから、今も神山町にいらっしゃる他の方の自分史を作りたいと思い、対象者を探しています。候補になりそうな方が1名いらっしゃるので、その方が運営している植物園に足を運びながら交渉していきたいと思います。
 
この世界には、たとえ新聞の記事や雑誌のコラムにならなくても、素晴らしい経験を積んできた方がたくさんいます。私たちが制作する自分史では、ウェブサイトで公開することで、そういった方々にもスポットライトが当たる機会を増やそうと考えています。
 
年長者が営んできた暮らしや、歩んできた人生を覗き見できるような……自分史によってそんなハートフルな文化が根付いたらいいなと思います。 
 
今回の岩丸さんの自分史制作は、自分史事業の意義を再認識できるとても良い機会になりました。これからも自分史を通し、多くの人々の生きた証をお見せできたらと思いますので応援よろしくお願いいたします。

「あなたはあなたのままで素晴らしい」
tommy

 
このnoteはstand. fmでの音声をもとに書きました。同じ内容を音声でもお聴きいただけます。

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