2020/04/24(金)「休み方がヘタ」である以前に「休むことが嫌い」だということがわかったので、対処法について考えてみた。
「今日は休むぞ」と昨日決めたのに、なんだかんだでチョコマカと創作物のアップデートをしてしまった。
いやまぁ、かなりうまくいったのだけれど、休めたかというと……うーん……。
ぼくは何年も何年も前から「あー、自分は『休む』のがヘタだなー。『倒れる』や『怠ける』は四六時中やっているのに『休み方』が致命的にヘタなんだよなー」としょっちゅう反省したり落ち込んだりを繰り返してきた。
だが、そもそもその認識自体がかなりズレていたことに今日ようやく気がついた。
ヘタとか以前に、そもそも『休み方』を知らない。
知らないことはできない。だから、休もうと思っても休めない。
そして、さらに言うなら『休むこと』自体が嫌い。
そう、なにをすればいいのか(そして、なにをしないでいればいいのか)がわからない中途半端な『休み』よりも、120%のフルスロットル、イケイケのバリバリ、オラオラでモーレツなのが好きだったのだ。
思えば、うちの父親も、上と前しか見ないイケイケオラオラ人間であった。
そして、その影響を受けた思春期のぼくも、イケイケオラオラアクセル全開モードで大学受験やら就職活動やらなんやらをぶっ飛ばして突っ走っていた。
まぁ、数年後にその間のツケがヤミ金ばりの利子とセットで殴り込みをかけてきて、闘病生活という人生お休みモードに強制収容される羽目になったのだが……。
* * *
健康を害しているときというのは、頑張ろうと思っても頑張れない。
というか、読んで字の如く「病と闘う」ことこそが病人の「頑張り」であり、それ以外のことはすべて放り投げて専心するくらいの気持ちでいたほうがいい。
だが、ある程度回復してくると徐々に事態が変わってくる。
なまじっか動けるようになったぶん、調子にのって速度と負荷を上げてしまい、結果として大事故を繰り返してしまい振り出しから戻る羽目になるということが大いにあり得る。いまのぼくはまさに、この危険領域にいる。解決自体はできていないが、危険だという自覚はある。
では、どうすればいいのか?
「休み方は、わからない。知らない。だから、ヘタ」
「そもそも、休むことが嫌い」
「イケイケバリバリオラオラモーレツが、好き」
「でも、まだ闘病中なので、全力で突っ走ると大事故を起こして元の木阿弥になる可能性もおおいにある」
ここでポイントになるのは「休むことがヘタ」よりも「休むことが嫌い」の方に着目すること。
「休むことがヘタ」に着目すると「本来持っているべき能力がない。だから自分はダメだ」という「能力の欠如」が問題になってしまう。
しかし、そもそも「休むことが嫌い」だったということが今日わかった以上「頑張って嫌いな能力を身に着けて、嫌いなことをしなければ!」というのはナンセンスだ。
だから、ここは頭を切り替えて「休むことがヘタ」ではなく「休むことが嫌い」に着目してみると「能力の欠如」ではなく「性向・指向」こそが問題の本質であることがわかる。
「能力の欠如」ではなく「性向・指向」が問題であるのなら、これは「優劣」ではなく「個性」の話だ。
個性を無視した努力は、風の向きや水の流れに逆らって進もうとするようなもので、労多くして功少なしといえよう。
* * *
さて、考え方を切り替えたところで、これからどうするか。
基本原則から言うと、こんな感じだろうか。
「同じことだけをやり続けない。短時間の熱中は効率的だが、長時間の熱中=集中力を一気に消耗させ効率が落ちる」
「気楽な作業としんどい作業を適度に組み合わせる」
「身体を使う作業と、心を使う作業と、頭を使う作業、そしてそれらのいずれも使わなくてもできる作業を適度に組み合わせる」
「ストレッチなどの軽い運動を定期的に行い、心身をほぐす」
「交感神経優位にならないよう夜はエキサイトする作業を避ける」
「早寝早起き」
「時にはムダな時間、サボりやダラける時間も挟む。そして、それらは『必要経費』とみなして自分を責めない」
あらら、基本原則だけで十二分な量になっちゃったよ。
やることは山ほどあるので、これらを守りつつ、疲労と退屈に襲われないように、うまいことやってみよう。最初は3割できればOK。5割できたらおおむね100点。そんな感じかな。
「……5割で100点ってなんだよ。5割は50点だろう」と思われたかもしれないが、人生なんて50点以上はそうそう取れるものじゃないのだから、これでいいのだ。野球の打率が3割でもスゴいというのと同じなのだ。
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