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DAY3 トラウマ〜一生解決されないであろう男女平等というテーマ〜

 まだ自分に凄くトラウマがあることに気付いた。向き合っていかなければならない。

 まず、私の元旦那は貧乏な家に生まれていた。私は頭がおかしいのか、27歳まで、世の中に貧富の差はないと思うようにしていた。それは、一種、環境に順応しようと必死だったのだろう。割と裕福な家庭に育ってしまい、中の良い友人らはそうでもない家庭が多かったため、子供ながらにどこかずっと気を遣い、気付いてないふりをする為に脳内で思考を停止していたのだ。それらが私がみんなと仲良くやるやり方だったのだ。今考えれば貧富の差があるのは事実だし、その事実を受け止めても何も変わらないのだけれど、確実に「可哀そう」と一ミリでも思ってしまうことが嫌だった。今考えれば、それは可哀そうなことでもないし、ただの「事実」として受けとめられるのだが、子供の時には今のような事実と感情を分けるような考え方はできなかったため、気付くこと感じることをストップしていた。

 その流れから、出会った元旦那さんにおいても、貧しい家庭で育ったという事実は見ないようしていた。
しかし、それが全ての始まりだったかもしれない。

 まず、結婚する前にお小遣い8万円欲しいと言われた。年収600もいかないのに。結婚した途端向こうの両親が店を辞めた。街の飲食店なんて何歳でも働けるだろうに、長男が結婚し、早く楽をしたかったのだろう。長男から生活費をもらう魂胆だったのではないだろうか。貧乏なのに子供沢山産んで、早くお店リタイアして、子どもたちに頼るって‥まじで親として正直吐き気がする。脱サラして飲食店を営む苦労選んだのは自分だし、そんな男と結婚するのを選んだのも自分なのに、子供にしわ寄せがくるのは違うと思う。
これは今でこそ名前がついた「親ガチャ」だろう。私の親がそうでなかったから、はっきりとそれについては、昔流行った「大家族ドキュメンタリー」を観ながら子供ながらに思っていた。

 そして、私のお小遣いなんてものはなかったため、コツコツとためた貯金を切り崩して、携帯代なんかも自分の分は自分で払い、友達との交際費も自分で出していた。なのに1年年後の離婚間際に「100万も溜まってないじゃん‥」と言われた。頭湧いてんのかよ。あいつ。ここで、頭悪い人と次は絶対に結婚しないという呪縛が生まれた。

 あと、化粧をしてこなかった義理母から当時美容部員の私はアドバイスを受けた。「そんなに高い化粧品使わなくても、ドラッグストアでスクワランていう安いもの塗ってるだけだよ。」と勧められた。ツルっとはしてたけど黒くて固そうな肌は、私の理想のきめ細やかな白くてふわっとしたした肌とは程遠かった。美肌マウントでも言うのだろうか、27歳の小娘に50後半の大人がそんなアドバイスいらないんですよ。そんなアドバイスするくらいなら、義娘に良い化粧品でもプレゼントしてからではないだろうか。何かどっかで私に何かアドバイスを言いたいそんな気持だったのではないだろうか。自分の人生にもういい訳がしたくなるそんな人生になっていたのではないだろうか。自分のツケを若い未来のある娘に拭うような、そんな品のない女性には絶対ならないと執筆しながら今心に決めたのだった。旦那選びも間違えたくない。

そして、婚約が決まり初めての家族挨拶に、たこ焼きパーティーで迎えられた私もまだそのことに気付かないようにしていのだ。世の中に貧富の差はないと…

しかし彼は私に、専業主婦でもなんでも良いと言ってくれていた。そこが謎だが、それは時代背景も多いだろう。当時7年前は、まだ、ハイスペと結婚して専業主婦を目指しましょうという時代だった。そんな人がいいと今も思っている私は、時代に乗り遅れているのだろうか。というのは、働いて欲しい前提の男性だと、条件付きで好きなのかとか、女性として価値がないと感じてしまったり、奴隷ですかなど思ってしまう。男女平等とはなんだろうか、人類の一生のテーマなのかもしれない。ということで、考えるのは辞めよう。戦後のアメリカのための国造りにより今の日本があるのであって。答えが出ていても、変えられないことのほうが多いからだ。

最後にひとつ、専業主婦は求めないものの、私を家事奴隷のように接してきた彼のことはいまでも嫌いだけど。別に好きになんてならなくていいし、嫌いなもんは嫌いだ。

今日は凄く支離滅裂になってしまったけど、男女平等について考えるいいきっかけにもなった気がする。私は、やっぱり、経済的に自由にしたらいいよって人と結婚したい。でも、今の日本にはそういう方は少ないのかな。



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