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【考察】ぼくりりとKing Gnuが示した、新時代のアーティストの形

売れない事は悪ですか?

 アーティストにとって「売れる」とはどんな意味を持つのだろうか。多くの人は売れるということを、アーティストのサクセスストーリーと結びつける。しかし、それは本当にそうだろうか。売れることは本当にアーティストにとって幸せなことなのだろうか。

 こうした「売れる」ことに対しての現代のステレオタイプな価値観にアンチテーゼを示した2組のアーティストがいる。ぼくりり、そしてKing Gnuである。

ぼくりりは死に、King Gnuは群れを作った

 ぼくのりりっくのぼうよみ、通称ぼくりりはネット発のアーティストである。2012年頃から動画サイトにオリジナル曲の投稿を始めるとネット上などで注目を浴び、2015年に弱冠18歳にしてメジャーデビューを果たす。その後もアルバム制作に加え、映画主題歌やCMソングを担当するなど、更なる活躍を見せた。アーティストとしての階段を順調に登っているかに見えたぼくりりだったが、2018年9月に日本テレビ系報道番組「NEWS ZERO」に出演すると「天才を辞職する」と発言し、2019年1月いっぱいで活動を停止することを発表した。この自信過剰とも取れる発言はネット上で賛否両論を巻き起こした。その後はYouTuberグループに一日だけ加入するなど自由なふるまいを続ける一方で、ラストアルバム制作にラストツアー開催と、アーティストとしての活動も続けた。そして2019年1月29日、ラストライブ「葬式」にてアーティストとしての人生に幕を下ろした。

 一方で、King Gnuはぼくりりより下積みが長かったバンドである。2013年に前身である「Srv.Vinci」を結成すると、ミニアルバムや1stアルバムをリリースする。メンバー変更や改名を経て、アルバム作成に全米ツアーやフジロック出演などと精力的に活動したものの、ブレイクには至らなかった。転機となったのは、奇しくもぼくりりが引退した月である2019年1月。ドラマ主題歌として書き下ろした「白日」をリリースすると、瞬く間に話題を呼びストリーミングチャートの常連へと駆け上がる。更に、同月2ndアルバムリリースと共にメジャーデビューも果たした。その後もKingGnuフィーバーはとどまる事をしらず、年末には紅白出場を果たすなど間違いなく2019年の顔となったアーティストの1人であろう。

すれ違った天才と鬼才

 2019年1月29日、ある記事がネットで公開された。ぼくりりが辞職した日に公開されたのは他でもない、ぼくりりとKing Gnuのフロントマン、常田大希との対談記事である。

 実は常田はぼくりりのラストアルバム「没落」に参加していた。常田はアルバム曲「あなたの手を握ってキスをした」のトラックメイクを担当し、その縁がこの対談を実現させた。

 両者とも類稀なる才能を持ちながら、対照的な運命をたどったKingGnu常田とぼくりり。今回は2019年1月にすれ違った2人の天才が語ったアーティスト観について考察していきたい。

“すげえ攻めてる”2人のトラック

 この2組のアーティストをある程度知っている方なら何となく分かっていただけると思うのだが、この2組の楽曲には共通した特徴がある。それは、彼らの楽曲がいわゆるJ-POPの王道の音楽とは違う雰囲気を持っているという点だ。

 そして、どちらの楽曲もある種の「孤独」を感じさせる。ぼくりりの楽曲はミステリアスで洗練された都会的な雰囲気を放つ。そこからは周りの雑音は一切感じさせない。あるのは美しい情景と深い内省だ。叙情的でどこまでも孤独な世界観からはある種の神聖ささえ感じさせる。

 一方でKingGnuの楽曲からは全く違った孤独を感じる。彼らの楽曲はもっと荒々しくて、カオティックだ。都会の雑多な喧騒を背景として描きつつも、リリックからは内なる強い芯を感じさせる。そしてそこに大衆性の拒否という意味での孤独が見られる。
 とにかく、この2組の楽曲にはJ-POPで往々にして求められる表面的な爽やかさはない。むしろ、表も裏も全部描いていてあまりにもリアルだ。

 常田とぼくりりはお互いのトラックの印象をこう語る。

──トラックだけではなく、メロディも常田さんが手がけたとか。
ぼくりり: そうそう。送ってもらったトラックがヘンで、わけがわからなかったんです。
~中略~
「わけがわからない」には2種類あると思っていて。単によくないからわからない場合と、自分の感性にないから「わからない」と脳が判断する場合があるんだけど、常田さんのトラックは後者だったんですよね。
常田: ぼくりりから話をもらったときに、「こういう感じでアルバムを作ってます」というトラックを送ってもらったんですよ。
~中略~
それを聴いたときに「すげえ攻めてるな」と思って。とにかくカッコいいトラックだったし、シンパシーを感じたというか。だから俺としても、売れ線ではないトラックを作ろうと思ったんです。

 互いのトラックを「わけがわからない」「すげえ攻めてる」と評す2人。そこには溢れんばかりのリスペクトが込められていて、互いの音楽の色に惹かれあっているようにも見える。

変わらない邦楽シーンと曲の”翻訳”

 いわゆる”売れ線”な音楽とは離れた場所に音楽の軸がある2人だが、市場で求められる音楽についても極めて冷静に分析している。日本の音楽シーンについて彼らはこう語る。

常田: 日本のシーンって、新しいものは求められていない気がするんですよ、基本的に。この10年くらいのチャートを見ても、実は同じような曲ばかりヒットしてる印象で。
ぼくりり: 全然変わってない。
常田: そうそう(笑)。「結局、こういうメロディが求められてるんだな」って。

 日本の音楽シーンに対し「同じような曲ばかりヒットしてる」「全然変わってない」と強烈な皮肉を飛ばす2人。しかし彼らはその特徴を逆に利用し、曲作りに取り組んでいる。

──普段はJ-POP感を意識して作ってるんですか?
常田: うん。意図的に曲に入れるようにしてます。
~中略~
ぼくりり: 「没落」は自分が好きなこと、やりたいことを“翻訳”も加えながら作った感じなんです。
常田 翻訳というのは?
ぼくりり: J-POP好きな人が聴いても、「あ、わかる」と思うような加工ですね。
常田: なるほど。思考回路は俺と似てますね。

 「やりたいことを“翻訳”も加えながら作る」と言うぼくりりと、それに賛同する常田。彼らは自分が作りたい音楽を軸に置きながらも、J-Popリスナーにも親和性を持たせるために曲を改変している。これが邦楽シーンで彼らが受け入れられた要因だろう。

 このように、彼らは同じ楽曲制作手法で世に出た。ではなぜ、KingGnuが国民的アーティストへと駆け上がった一方で、ぼくりりはアーティスト人生に自ら終止符を打たなければならなかったのだろうか。何が彼らの明暗を分けたのだろうか。

ぼくりりがアーティストとして「死」を選んだ理由

 ぼくりりは引退を決めた理由についてこう語る。

──改めて聞きたいのですが、ぼくりりを辞めることにした一番の理由はなんだったんですか?
ぼくりり: ぼくのりりっくのぼうよみとしてこれ以上サクセスストーリーを追うことは難しいと思ったんですよね。3年くらいメジャーでやってきて、このまま真っ当なルートをたどっても大成功することはできないだろうなって。
常田: 要は売り上げ?
ぼくりり: 売り上げだったり、ライブの規模感だったり。とにかく「ぼくりりは負けた。失敗した」という気持ちが強かったんです。

 売り上げやライブの規模感の先行きに不安を覚えていたぼくりり。しかし、当時の彼はメジャーデビューしてまだ3年。伸びしろも残されているし、売り方次第で爆発的に売れていく可能性も残されていた。彼はなぜ迷わず辞める事を決断できたのだろうか。対談の続きにそのヒントがあった。

 話題はそれぞれの売れる事に対してのモチベーションに移る。

ぼくりり: そもそもKing Gnuがバンドの規模を大きくしたいっていうモチベーションはどこから来るんですか?
常田: すべて音楽に根付いているんだけど、デカい会場で鳴っている音だったり、モンスターバンドならではの熱狂が個人的に好きなんだよね。
〜中略〜
ぼくりり: そういうところで悩んでたんですよね、僕は。去年の3、4月くらいまでは「なんで音楽をやってるのかな?」と思っていたし、今常田さんが言ったような原体験が僕にはなくて。
常田: 先のビジョンがなかったということ?
ぼくりり: そうですね。つまり、なんとなく音楽をやってたんですよ。

 バンドの規模を大きくすることでライブ会場の熱狂を体感したい常田。一方でぼくりりは売れる事に対して明確なモチベーションがなかった。これが彼が早めに引退を決めた理由の一つだろう。彼はそもそも売れる事に執着していなかったのだ。

 ぼくりりはこう続ける。

ぼくりり: 「本当は何がやりたいんだろう?」と考えた結果、「そうか、破壊したいんだな」と気付いて。
常田: 自分で作り上げたものを壊してしまおうと。
ぼくりり: そのことによって見ている人に衝撃を与えられたら楽しいかなって。だから今はぼくりりを盛大に破壊することだけを考えているんです。

 目的を見失い、悩んだ結果アーティストとしてのキャラクターを破壊することにしたぼくりり。しかし、作り上げてきたものを全て壊すという決断は並の人間では出来ない。なぜなら、普通の人間にとって自分が作り上げてきたものは人生の貴重な時間を割いて活動・行動したものの結果であり、それを破壊するという事はこれまでの人生を否定する事を意味するからである。にもかかわらず、「破壊する」と話すぼくりりの口ぶりはどこか前向きに見える。

 アーティストを辞める事にここまで楽観的になれる背景には、彼の独特なアーティスト観がある。別のインタビューでのぼくりりの発言を引用する。

ーこれからというタイミングでなぜ、ぼくのりりっくのぼうよみの活動を終了することにしたのか?
僕が僕でなくなっていくことが怖かったからですね。もともと核となる自分があって、その上に“ぼくりり”という鎧をまとっていたのですが、活動を続けていくうちに本当の自分がだんだんとぼくりりに浸食されるようになってきてしまったんです。

 「核となる自分の上に『ぼくりり』という鎧を纏う」と言うように、そもそも彼は音楽を始める段階で自分の人格とアーティスト「ぼくのりりっくのぼうよみ」の人格を切り分けて考えていたのだ。しかし、シーンで売れるにつれてその境界線が曖昧になっていく。活動を続けていくうちに次第にアーティスト「ぼくりり」としての露出が増える。すると、「ぼくりり」としての人格を出す時間が増え、それが本当の自分の人格との矛盾や軋轢を引き起こすようになったのではないだろうか。これが「本当の自分がだんだんとぼくりりに浸食される」という言葉の意味だろう。

 つまり、本来の自分とアーティストとしての自分を分けられていたことがぼくりりの破壊を決断できた理由だろう。2つのキャラクターが自分の中で切り分けられているからこそ、アーティストぼくりりとしての肩書きや名誉に執着することなく切り捨てる事が出来たのだ。

アーティストを”アート”する

 対談に戻ろう。本来の自分とアーティストとしてのキャラクターを分けて認識するという型にはまらないアーティスト観を持っているからこそ、ぼくりりは去り方も規格外だ。

ぼくりり: とにかく「ぼくりりは負けた。失敗した」という気持ちが強かったんです。 〜中略〜 だからこそやれることがあるんじゃないかなって。「失敗していくこと、ぼくりりが死んでいく様をエンタメにしてみよう」と。
常田: 一歩引いて自分を見てる。それはめちゃくちゃ面白いし、斬新ですよね。人が負けて、死んでいく様を描くっていう。しかも体張ってるし。
ぼくりり: 焦げ散らかしてますけどね。「うわ、身体が炭になってる!」みたいな(笑)。
常田: すごいなと思うけど、やっぱりヘンだよね。そんなヤツはほかにいない(笑)。一連の動きがすべてコンセプトアート的になってるのも面白いし。
ぼくりり: そう受け取ってもらえると大成功です。Twitterのリプライ欄を含めてアートです、みたいな。
常田: ぼくりり流の現代アートだ。

 失敗したからこそ、アーティスト「ぼくりり」が失敗し破壊されていく様をエンタメに昇華したい、と語るぼくりり。ネットで炎上しつつも、炎上している自分すらもアートにしてしまうぼくりりには底知れぬ強さと異質ともいうべき発想力を感じる。
 一方で常田は自身のバンドについてこう語る。

常田: やっていることの内容は全く違うんだけど、俺らもコンセプトアートという意味では同じようなことをやってると思いますね。コンセプトに沿って何かを作って、その過程そのものをアートとして見せるっていう。俺の場合、ロックバンドのストーリーが、ヌーの群れが大きく成っていく様に似ていると思ったから、そういうコンセプトでKing Gnuを形作っていってる。

 ヌーの群れが大きく成っていく様をバンドが大きくなる過程と重ね合わせた常田。アーティストのストーリーそのものをアートと捉えているのは常田もぼくりりも同じだ。先進的で奇抜に見える彼らの表現スタイルだが、これこそが本来あるべき表現者の姿なのかもしれない。彼らはミュージシャンというより、骨の髄までアーティストなのだ。

アーティストにとってのサクセスストーリーとは

 対談でぼくりりはこんな事も語っていた。

「King Gnuは、僕がやれなかったサクセスストーリーの道を進んでると思っているんです。」

 そしてその言葉通り、ぼくりりが辞職した2019年1月を境にKingGnuは大ブレイクを果たし、一般的な意味でのサクセスストーリーを歩んでいる。しかし、ぼくりりもある意味でサクセスストーリーを歩み切ったのではないだろうか。バンドの規模感を大きくするのを目的としていたKingGnuと、アーティストとしての自分を破壊したかったぼくりり。それぞれがそれぞれの目的を果たしたのだから、サクセスストーリーと言わずして何と言うのだろう。

 そこで最後にもう一度この質問をして締めくくりたい。

 売れない事は悪ですか?

(Tom)

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