当たり前を考察するvol1(自己中心的って悪いことなの?)
※考刷とは今までの“考”え方を“刷”新するという意味
はじめに
どんな人間にもある種のバイアスにかかっているものです。ただ、そのバイアスによってものの見方、受け止め方が変わってくるものだと思います。そんなバイアスを取り除く(バイアスにかかっていることを認識する)ことが様々な問題の解決方法につながると思っています。私はバイアスにかかっていないというバイアスにかかっているタイプなので、仕事をする中でどうにかして解決方法を見つけ解決をすることができました。そのためいわゆる当たり前を考察してみることで別の何かが見えてくるのではないかと思い連載していきたいと思います。
自己中心的なのは悪いことなのか
第1回目は、自己中心的というのは悪いことなのかを考察してみたいと思います。一般的に自己中心的な人(以下「自己中」)は嫌われやすいと思います。そのため自己中なことは一般的には悪いことだと語られることが多いように思います。少なくても自己中であることを推奨するような人は稀な人(私は推奨することもあります)でしょう。
しかしながら、本質的に、人間というものは自己中な生き物であるはずだと思います。ではなぜ自己中は悪いことだという認識になるのでしょうか?
例えば仮定として「自己中の人間に人は翻弄されるから」としてみたらどうでしょう。もしこの仮定が正しいとすると、その逆を考えると「人を翻弄する人は自己中」ということになります。人を翻弄する人すべてが自己中というわけではないし、むしろ天然の人の方が人を翻弄するので、完全一致にはなりません。
例え人に翻弄されたとしてもその結果が良ければその人は悪いという印象は持たないだろうし、結果として翻弄されるから自己中は悪いとなるわけではないと推測できます。
次に仮定として自己中な人間は自身の利益だけを求め、周りの利益を阻害するからだと考えてみましょう。
確かに自己中な人間は自身の利益だけを求めているものです。しかしそれは短期的な利益であり、その行為の結果として周りの人が嫌だと思うことになるのであれば、それは将来の自身の利益を喪失する結果につながるのだから観点から見ると自らの利益を求めているわけではないともいえます。
そのように考えてみると、ここで大事になる要素は、時間の観点だとわかってきます。将来的な自身の価値に主軸を置けば、目先の利益を追求するだけでは将来の価値をなくすことになることがわかるので目先の利益だけを追求することはなくなるはずです。
そうだとすると自己中な人間が嫌われるのではなく、短期的な自身の利益のみを求める人が嫌われるということだと思いますし、そういう人を自己中と呼ぶのではないかと思います。
つまり一般的な意味での自己中は「短期的な自己利益を追求し周りの利益を阻害する人物でそのことに疑問を抱かない人」と定義できるのではないでしょうか?時間的な観点を持てず常に短期的な今そこに見える利益を追求することにこそ問題があるのではないかと思います。
母から学んだこと
私が小学生の頃、友達が家に遊びに来た時などは必ず友達の好みを優先します。ちなみに私はチョコレートが食べられないのですが、友達がチョコレートを求めれば私が食べられないにも関わらずチョコレートが出てきます。ある時私は母に「なんで友達の事優先するの?僕は子供じゃないの?」と聞いたことがあります。母は「もちろん我が子だからこそあなたの友達のことを優先するんです。私といるより友達といる時間が長いのだから、友達があなたに良くしてくれることが我が子のためになると思っているからだよ」と言われました。正直小学生の自分にはすぐに理解はできませんでしたが、自分が子供を持つようになって実感しました。母は短期的な部分ではなく長期的な視点で行動をしていたんだなと思います。
自己中の方が良いことも…
そんな経験から、私は常に長期的・短期的観点を両方考えて助言をするようにしています。例えば、私は自己肯定感の低い人に対しては「もっと自己中になったほうが良い」とアドバイスすることがあります。
自己肯定感が低い人は周りに配慮しなければという思いが強く(思いが強いので自己肯定感が低くなっているとも言えますが)、それにより自我を抑えようという気持ちが強くなります。ただし、そもそも人間は自己中にできているので、どうしても自己中な考えが出てきてしまうのですが、行動には移せないのに頭には出てくる(認知不協和が起こっている)ことで自己嫌悪に陥っているケースが多いように思います。
そのような状況になっている場合は、「自己中になってもそこに長期的な視点で考えれば、実際にする行為は周りに配慮するという結果になるはず。もっと先の未来を見据えて今何をすべきか考えてみよう。そうすれば自己中でいることは悪いことではないから」とよく言っていました。
※認知不協和とは…人が自身の認知とは別の矛盾する認知を抱えた状態、またそのときに覚える不快感を表す社会心理学用語(出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)
自己中が単純に悪いのではなく、短期的な利益を追求する姿が問題なのであって、長期的な利益を追求して自己中になればそれは周りからは自己中とは呼ばれないと思いますしむしろ自己犠牲的にも見えるかもしれません。でもそれもある意味自己中な結果だたと思うので自己中って言葉も悪い意味だけではないと思います。
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