【ネタバレ解説】ワンダヴィジョンにおける「日常」のすばらしさについて
こんばんは!
昨日「ワンダヴィジョン」をイッキミしたので、解説していこうかなと思ってます!ネタバレ普通にあるんで、まだ全部読んでない方は絶対読まないでね!
【1】ドラマ仕立ては何を意味するのか?
エピソード内でCMがないものはヘックスの外がメインのエピソードとなっているのでドラマへのオマージュは深くないのですが、それぞれのエピソードには各時代の人気TVドラマへのリスペクトを感じさせる作りになっています。
シットコムという言葉をご存知でしょうか?元は「シチュエーション・コメディ」という言葉でして、日本人に馴染みのある海外ドラマで言うと「フル・ハウス」のような作品のことです。
Wikiによると下記のように定義されています。
一般的に、「シットコム」という言い方をする場合、狭義においては、概ね、以下の要素を持つ、ラジオ、もしくはテレビ番組を指す。
■連続ものだが1話完結ものが多く、回をまたがる物語のつながりや進展は希薄である。しかし、1977年から始まった「ソープ(英語版)」という昼ドラパロディ以来、アメリカでストーリーが繋がる番組が少しずつ出てきている。その例として「デスパレートな妻たち」や「オレンジ・イズ・ニュー・ブラック 塀の中の彼女たち」などがあげられる。
■主要な登場人物はほぼ一定。メンバーがたまに変化したり、ゲストが登場したりすることはある。
■主要な舞台が固定されている。
このような設定のもとで、毎回事件が起きるなどして生じるコミカルな状況が描かれる。
このスタイルのコメディは、イギリスにおいてラジオドラマの一ジャンルとして普及していたが、現在ではテレビドラマとして盛んに作られている。世界各国で作られているが、特にアメリカでの制作が盛んである。
あと、ドラマの撮影現場に観客を入れて、役者の演技に合わせて、笑い声や感嘆の声などが入るという特徴もあります。「ワンダ・ヴィジョン」でも入ってたような気がします。
ではいつからアメリカではこのようなシットコムが作られるようになったのか?
「メアリ・ケイ・アンド・ジョニー」という作品が1947年にテレビで放映されています。「ワンダヴィジョン」第一話はそのあとの1951年に放映開始される「アイ・ラブ・ルーシー」が元ネタですね。
シットコムは舞台が限定されることもあり、1つの家を舞台にした家族とその友人たちの話がとても多いですね。今回「ワンダヴィジョン」で描かれたドラマ仕立てのストーリーも夫婦や家族を中心としていました。
ワンダが少女だったときに夢見ていたアメリカのシットコムに描かれるような理想的な家庭。都市部ではなく、郊外に家を買い、そこで最新の電化製品に囲まれ、愛する夫とかわいい赤ちゃんと一緒に楽しく幸せに暮らす。これがテロ行為などが行われる不穏なソコヴィアでそだった少女の夢でした。ワンダとピエトロのご両親はかわいい双子に愛を注いでいましたね。彼女もそういった夫婦になり、家庭をもって子供を愛する生活を夢見ていたのでしょう。シットコム作品を好きな理由もわかります。
このヘックスでの生活をシットコムのドラマ仕立てにしたのは、彼女自身がもともと抱いていた夢がそのまま形になってしまったということでしょう。彼女自身も最初は自分がこの世界を作り出してしまったと気づいていなかったかもしれません。途中からだんだんとワンダの意思がドラマに反映されていくこととなりますので、途中からはその自分の作り上げた世界にどっぷりとつかって、まるでごっこ遊びをするかのように自分の理想の世界に遣ってしまいます。
私たちただの人間には、魔力なんてありませんし、「こういう彼女が欲しい!」と願っても、理想の男性や好きだった人をゼロから生み出せるわけではないですが、ワンダには魔力があります。そして時にワンダはその魔力をコントロールできなかったり、うまく制御できないことがありますよね。ヴィジョンと出会って落ち着いていた彼女の心も、ヴィジョンなき今グラグラと不安定な状況です。そんな中、彼女の悲しみが生み出してしまったのがヘックスの中のヴィジョンなのでしょう。
ヴィジョンに対して彼女は脳内をコントロールするようなことを強くはやっていません。それはありのままのヴィジョンと一緒にいたかったからなのかもしれません。
【2】1950年代以降のアメリカって?
第二次世界大戦が終わるのは1945年ですね。
この戦争にアメリカは勝ちました。それまで戦地に赴いていた若い男性たちがアメリカに戻ってきて、アメリカは賑やかさと豊かさを取り戻します。
アメリカでは1955年以降に物質的な豊かさと快適な生活を手に入れるために掃除機、洗濯機、トースター、ミキサー、アイロンなどの家電製品が各家庭で使われるようになりました。
映画の中でもスターク社製のトースターのCMが出てきますし、家電製品がコミカルに暴走するシーンなどもありましたね。(このあたりは「奥様は魔女」へのオマージュでしょう)
この作品中に出てくる町ウエストビューはニュージャージー州郊外にある小さな町とされていました。
若者たちはより豊かな暮らしを求め郊外へ移動し、郊外に家を持ち暮らし始めるのです。しかし、こういった豊かな生活をしていた人たちは一部の白人たちだけであり、非白人(非白人の少数民族・人種)たちはこういった生活をしていたわけではないのです。
そして、アメリカでは第二次世界大戦後のベビーブームがやってきます。
Wikiによると第二次世界大戦後のベビーブームの時期は下記のようになっていました。
1946年から1964年の18年間(アメリカ合衆国国勢調査局)、または第二次大戦終結後からケネディ政権発足前までの1946年から1959年ごろにベビーブームが発生した
ワンダがソコヴィアでシットコムを見ていた時期がいつなのか定かではありませんが、彼女が憧れていた時代の女性は「郊外に住み、かわいい赤ちゃんと一緒に家族仲良く暮らしており、豊かな生活を送っている」という状況でした。彼女はこのヘックスの街で双子の赤ちゃんを産みます。これも彼女の強い願望が作り出した、ゼロイチからの生命でしたね。
出産時のファッションからすると、1960年代後半に出現したヒッピーぽいファッションでしたので、おそらくそれくらいの時期になるのでしょう。
ワンダは東ヨーロッパの国ソコヴィア(架空の国ですが、)出身ですが、過去のインタビュー記事でソビエトとウクライナのアクセントを元に訛りのある英語をつくりあげたと話してます。https://www.vogue.co.jp/celebrity/interview/2015-07/elizabeth-olsen-in-avengers
そこで出てくるのは冷戦ですね。
【3】アメリカとソ連とスパイと冷戦
冷戦というは、簡単に言えば「直接戦ったりはしないけれど、緊張状態が続く状況」でしょうか。
映画などでも冷戦時代のスパイものはよく作られますが、1945年の終戦後からロシアとアメリカは44年間もにらみ合う状況が続きました。アメリカではロシアから来たスパイが諜報活動をしていました。
諜報活動とは下記のようにwikiには書いてあります。
諜報(ちょうほう、英: Espionage、エスピオナージ、英: Spying、スパイ行為・スパイ活動、インテリジェンス)とは、秘密や機密情報を、正当な所有者の許可を得る事なく、取得する行為である。スパイ(英: Spy)とは秘密情報を入手(つまり諜報)する者を指す[1]。 この文脈ではインテリジェンスも、諜報とほぼ同義語である。
おそらくですが、ワンダがプールサイドで開催された婦人会の御片付けを命じられているシーンで、ラジオと通じてジミー・ウーがワンダに話しかけてきますよね?あれもどこか冷戦時代の盗聴のようなものを感じます。(実際には話かけているので、北朝鮮へ向けて流しているラジオ放送みたいな感じもしますね。)家の庭の植木からヘリコプターの形をした模型のようなものがみつかったり、ワンダが夜中に外にでるとマンホールから奇妙な服装の男が出てくるシーンもまるでソ連のスパイを目撃してしまったかのような緊張感がありました。会社のパソコンに謎のメールが届き、何かがおかしいとヴィジョンが感じるあたりも、スパイがすぐ近くにいるような恐怖感を醸し出しており、「目に見えない恐怖」というものを上手く描いています。
「目に見えない恐怖」と言えば、この冷戦の後ろには「核」という兵器がありました。核の威力はすでに広島に落としており、世界がその威力を把握している状況でした。作ることが可能な兵器の中で最も恐ろしい兵器でしょう。1957年、ロシアが世界初の人工衛星スプートニク1号の打ち上げに成功すると、アメリカをはじめとする西側諸国に衝撃が走りました。スプートニク・ショックというやつですね。
なぜショック(衝撃)が走ったかというと、この人工衛星の打ち上げ成功は「宇宙に衛星を打ち上げる技術があればロシアからアメリカに、核を積んだミサイルを飛ばすことは技術的に可能である」という証明になったからです。アメリカは今そこにない、見えない核兵器に怯えていたんです。
外でおかしな音がしたと、ワンダが怯えるシーンがありましたが、あれもワンダからすると幼少期のソコヴィアで2日間、爆撃が続く街で隠れ続けたときの記憶がフラッシュバックするようなものだったかもしれません。(実際には誰からヘックスに無理やり入ってきた音?でしょうか。)ですが、ここにも「見えない恐怖」がありました。
【4】本当の見えない恐怖とは
このように、戦後のアメリカは1989年までの長い間、核の恐怖というものがありました。キューバ危機ってありましたね。
アメリカのお隣さんのキューバ(アメリカの都市マイアミからすぐ近くですね)で、ソ連がミサイル基地が建設進行しているという情報が入ります。ミサイル基地をキューバに作れば確実にアメリカ本土に核を搭載したミサイルを飛ばすことが可能となります。
今まで目に見えていなかった恐怖が、実はこんなに近い場所にあったんですね。ここでアメリカとソ連の緊張感はMAX張り詰めます。
この状況って何かに似てませんか?そう、ワンダのお隣さんのアグネスです。ワンダはアグネスもヘックスの住民の一人であると認識していました。でも実はアグネスはワンダと同じように魔法を使う魔女でしたよね。そして二人は魔力を巡って直接対決をすることとなります。
実は最大の恐怖はワンダが何よりも大切にしている家庭のすぐ隣にあったのです。
【5】家族を考えるワンダ
第七話では登場人物が突然カメラに向かって語り掛けてきましたね。これは「モダン・ファミリー」という作品へのオマージュでしょう。白黒エピソードで扱われたシットコムでは「お父さん、お母さん、赤ちゃん(白人)」という共通のキーワードがありました。そして、70年代、80年代、90年代あたりになってくると家族の人数が増えたりしてきましたね。大家族、たくさんの子供たちというのは豊かさの象徴でしょう。
でも、「モダン・ファミリー」は2009年に放送がスタートしてますので、もちろんのこと、このころのアメリカの家族の形というのは変化してきています。
まず「モダン・ファミリー」のファミリーについて解説しましょう。ダンフィー家は一般的な白人アメリカ人家族と言えるでしょう。お父さん、お母さん、そして子供が3人。このダンフィー家のお母さん、名前はクレアと言いますが、クレアのご両親は離婚しており、父親にはうんと若いコロンビアからの移民の美しい奥さんがいます。その奥さんの連れ子と一緒に暮らしています。また、クレアの弟ミッチェルはゲイで、弁護士をやっているパートナーとの間にベトナム人の女の子リリーを迎えているのです。ミッチェルは専業主夫ですね。
「モダン・ファミリー」は今までのシットコム作品とはだいぶ違いますよね。まさにモダン!一見いまどきよくみるアメリカの家族たちを描いているように見えますが、みんなどこかちょっと変なところがあるんですね。それはワンダも完璧ではなかったことにつながっているように思います。
これを持ち出してきたことは、ワンダの意識が変化していくことを現しているのだと思います。
ワンダの中ではお父さん、お母さん、子供がいて、郊外の家で家族仲良く、犬なんか飼ってみたりして、楽しくずっと過ごせればそれでいいという考えでした。だからヘックスの中に閉じこもっていたわけです。
でも、ヴィジョンが自分の意志でヘックスの外に出ようとしたことで、エネルギーフィールド(壁みたいなやつ)に歪みが生じてしまい、自分の世界が壊れてしまいます。そのときワンダは自分が抱いていた理想の生活に対して、疑問を抱きはじめました。彼女の不安定な精神は、自分の理想の家庭のイメージすらバグらせるほどでした。
あれだけ子供を愛するお母さんだったワンダが、子供たちのことを考えられないほど疲労しているのです。いろいろな形があるのではないか?常に子供たちと一緒にいなくてもよいのではないだろうか?母である前にワンダであるということに気が付き、朦朧とする頭で大事な双子を隣人のアグネスに渡してしまうのです。
このような家族の多様性に対して、ワンダがどう受け止めたのかははっきりしませんが、ヘックスを消滅させて、大好きな家族と別れることを選択しました。何かしらの形で、また自分の家族を復活させてくる気しかしないですね。2体のヴィジョンがどのような情報を交換したのか気になります。
【6】ワンダの精神の不安定さが物語のキー
ワンダはとても強い能力を持っていますが、その能力は彼女の精神さに左右されがちです。この魔力は彼女心次第でどうとでもなるというか、、、第8話の最期のシーンをどう解釈したらいいのかはわからないですが、ワンダはまだヴィジョンや子供たちとの生活をあきらめてはいないと思われます。
一般的にヒーローというのは「圧倒的に強い」というイメージがあります。ソーは神様ですし、キャプテン・マーベルなんてもう無敵じゃないか?ってくらい強いですよね。しかし、トニー・スタークのように人間には死があります。ヒーローの形というのもこれまた多様性があっていいのではないでしょうか。必ずしも圧倒的な精神力や強さを蓄えていなくてもいい。むしろ、ワンダはもともと人間(ですかね?)なので、彼女のように悲しみを抱えた能力者がどのような道を歩むことになるのか、とても気になりますし、ワンダの不安定さというのはある意味とても人間らしいと思います。
【7】ソーントン・ワイルダー作「わが町」との類似性
アメリカの劇作家であるソーントン・ワイルダーが作った「わが町」という戯曲があります。これは架空の街「グローバーズ・コーナーズ」を舞台に2つの家族の人生を描いた作品です。なんてことはない日常、恋愛、結婚、死それが3幕に渡って描かれるんですが、この作品はなんにも特別な事件などは起きないのです。だれの日常にも起きそうな、本当にささやかな幸せが1幕2幕では描かれていきます。
この作品の面白いところは、登場人物に「舞台監督」という役があることです。この舞台監督というのは、いわば司会進行。登場人物の代わりに心情を少し話したり、登場人物と話すこともできます。
このワンダが作った自分の理想の街は、ソーントン・ワイルダーの「わが町」の中のグローバーズ・コーナーズのようなものなのです。舞台監督兼主役がワンダ。ワンダは、この世界のどこにもない町(魔法が掛かっており現実のウェストビューの状態ではないので架空と同じようなものかと思います)で、ささやかな幸せを感じたかったのでしょう。
ソーントン・ワイルダーの「わが町」は、日常を送れるということはとても幸せなのだよ教えてくれます。毎日を丁寧に生きなさいと教えてくれるのです。でもワンダは?ワンダのような能力者にとっての日常とはなんでしょうか?それはどういう生活でしょうか?ワンダがそれを切望したことも、理解できなくはないですし、彼女がこの先どんな選択をするのか、とても気になります。
これからのマーベル作品がいろいろな意味で楽しみですね!私、ワンダ好きなんですよ?とても人間らしいです。
それではまたなにかの作品でお会いしましょう!ごきげんよう!
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