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秋は天気がよく、レジャーに最適だ。登山などに行く人も多いだろう。私が通っていた中学、高校は私立の女子校だったのだが、遠足が先生の趣味でひたすら「登山」だった。中高6年間で様々な山に登ったものだ。 最初は手始めに高尾山から始まった。中1のときの遠足が高尾山だった。 高尾山はご存知の通り、東京の八王子にある山だ。そこまで高い山ではないので、登山初心者にオススメ。というか、リフトやケーブルカーなどもあるのでさほど歩かなくても上に行くことができる。 が、当然私たちの学校では歩いて上ま
私の祖母はすでに他界している。祖母は兄が1人と弟が5人いた。一人だけ女だった。一番上の兄は第二次世界大戦で戦死していたので、戦後からずっとみんなから「ねえちゃん」と呼ばれて頼られていた。 これは祖母の弟が実際に経験した話だ。 私の祖母は結婚したので、本家からは離れている。同じお寺にお墓があるけれども、本家とうちのお墓は別々に立っている。本家のお墓には戦死した兄弟の一番上のお兄さんも入っている。つまり祖母の母も父もみんな本家の墓に入っており、私の祖母と祖父のお墓とは別のお墓
私は演劇のスクールに通って演技を学んでいたのだが、私は脚本家になりたかった。スクールの企画で、自主公演企画があり、スクール生の有志たちによる上演ができるという機会をいただいた。上演ができるのはたった4団体だけで、プレゼンをし、投票によってどの団体が上演するかが決まる。私は十数団体の中から勝ち抜き、友人たちに出演してもらい、自主公演をできることになった。 私がこの公演でテーマにしたのは「かごめかごめ」のわらべ歌だった。この歌は分析するととてもおかしい。 かごめかごめ 籠の
私は以前演劇のスクールに通っていた。同じクラスにはいろいろな人がいて、大学生もいれば、社会人もいた。私はそのころ21歳とかそれくらいで、周りの友人には大学生が多かった。 演劇のスクールの卒業公演を控えた3月は、友人たちの大学の卒業式もあり、仲の良かった友人は大学の謝恩会に行ったあとに、直接スクールの稽古場にやってきた。 来るなり、「ねぇ、怖いの大丈夫な人?」というので、むしろ好きだと伝える。「あのさ、私、謝恩会で心霊写真撮っちゃった。しかも1枚とかじゃないの、何枚も。怖いか
「虫の知らせ」とは、よくないことが起きそうだと感じることだ。 私にも一度だけ不思議な体験がある。 以前にも書いたが私が小学校に電車で通っていた。 そのため、夕方ごろに駅に着くのだ。低学年のころは親から「最寄りの駅に着いたら公衆電話から電話ちょうだい」と言われていたが、さすがに小学校4年生ともなればそこまで心配されることもなく、電話はたまーにどうしても早く伝えたいことがあるときにしかかけなくなっていた。 私の家の最寄り駅は地上4階建て。1、2階はショッピングモールが入って
私は東京生まれ東京育ち、東京在住なので、東京のことにはそれなりの知識はあるが、それ以外の地域についてはまだまだ知らないことがたくさんある。これは私が23歳くらいのときに沖縄のDFSで働いていたお姉さんと仲良くなり、店頭でお話をしていたときの話。 お姉さんと色んな話をしていて、お姉さんに月9(月曜9時からのドラマを指す言葉)が通じなくて、あれ?って思ったら、東京では月9だけど、沖縄では放送される時間が違うらしい。「笑っていいとも!」もお昼12時からじゃなかったらしい。東京と沖
私の家族は沖縄が好きだ。よく行く。 最近は本島ではなく離島にもよく行くようになった。これはいまから7~8年前の七夕の日の夜の話だ。 その離島のホテルにはプライベートビーチがあった。プライベートビーチにはウミガメもいるくらい、とてもきれいな海で、わたしたち家族はMyシュノーケルを持って、日中海で遊び倒した。その日は七夕だったので、夜ごはんをいただいたあと、天の川を観察しようということでプライベートビーチに出た。 夜の海は暗くて、ホテルの目の前のビーチはホテル前に1本だけ立っ
ただただ不思議な話で、もし耳鼻咽喉科の先生で完璧な説明ができる方がいたらぜひ教えてもらいたい。。。 先日、夜部屋でデスクに座ってPCいじりながら、Youtubeで怪談を聞いてたのね。たぶん、怪談ぁみ語の怪トークをきいていたと思う。 時間は22時くらいだったような気がする。普通に部屋の電気を煌々とつけていて、特に怖いとかも思っていなかった。 突然、耳の近くで パァーン!風圧を感じるくらいになにかが破裂した! イメージとしては、徒競走の時に使うピストルを耳元で鳴らされたよう
小学生の時に仲が良かった友人が、大学に入ってすぐ何かの病気になって長いこと入院した。その後、退院して連絡を取り合っていた。大学2年だか、3年くらいのとき。 「大学での勉強が遅れちゃったから、勉強するのが大変だよ~でも戻れてよかった!」 とかメールで言っていて、大学の教授とかも心配してくれていたようで、彼女を気遣っていろいろとケアしてくれているようだった。 彼女は理系ジョだったので、実験とかができることが楽しいと言っていたのを覚えている。 彼女が大学に復帰して間もなく、彼
私は小学校受験に失敗した。母親は地元の小学校をあまり信用していなくて(確かにちょっと荒れている小学校だった)私を他の区の小学校へと越境通学をさせる手はずを整えた。よって、私は小学校1年生のころから電車に20分くらい乗って、遠くの小学校へと通学していた。これは小学校低学年の頃に出会った不思議な女性の話だ。 私は電車の中で本を読むのが好きでよく本を読んでいた。どんな本でも興味を持てば読むタイプで、その日も家から最寄駅に行き、電車に乗って、学校に向かう途中、何かの本を読んでいたと