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テーブルゲームはストーリーを紡ぐように

ハゲタカのえじきになったtomjです。

中高時代、放課後は決まってトランプをやっていました。
人数に応じて、ナポレオンかハーツをこれはもう狂ったほどまわしていました。

しかし高2から高3にかけて、急にボードゲームの熱が高まっていったのです。
いつものメンツで秋葉原に出向き、小遣いを出しあって気になるボドゲを買い漁って学校へ持っていきました。

私が印象に残っているのは「クク」というゲーム。
シンプルなルールで手軽に遊べ、大人数の際にはもってこい。
普段は我々の界隈に絡まない人たちも集まってきて、クラスの50人のうち20人くらいでやったこともある思い出深いゲームです。

ここでは、カードゲームとボードゲームをまとめてテーブルゲームと総称しましょう。
テーブルに盤面を作るようなゲームということです。
TRPG(テーブルトークRPG)なんかもこれに含まれるかもしれません。

いかにしてテーブルゲームの楽しさを最大化するか、プレーするときに私が心がけていることを伝えていきたいと思います。

ゲームの理解度がすべて

ゲームのプレースタイルの話になると必ずつきまとう問題があります。
勝ちを目指すか、面白さを目指すかという問題です。
(いわゆるガチかエンジョイかというやつです)

楽しさの最大化という観点では、どちらの立場につくかは非常に重要で根の深い問題となります。
しかし、どちらの立場につくにしても前提となる大事なことがあります。

それは、ゲームを理解することです。

当たり前だと思われる方も多いでしょう。
しかしポイントは、ゲームの理解にも段階があるということなのです。

LEVEL 1. ゲームのルールの理解

ルールを覚えないことには、ゲームで遊ぶこともままなりません。

テーブルゲームに不慣れな方は、まずこの段階に大きなハードルがあります。
冷静に考えれば、まっさらな状態から知識の詰め込みを行っているのと遜色ないわけですから、大変なのはもっともであります。

ルールを覚えるためには、次の2点を意識することが重要です。

・勝利条件(何を目指すのか)
・自身の行動(目指すもののために何をするのか)

そして、デモプレーを大事にしましょう。
実際に手を動かすことでゲームの流れが感覚的にでも掴めてくるものです。

その際、他のプレーヤーの行動もしっかり見ておきましょう。
例えば、上手そうなプレーヤーでもいいですし、強そうな動きをしているプレーヤーでもいいと思います。
参考にするとまではいかなくても、そのようなプレーを目撃したということは後々役に立つものです。

どうでもいい話ですが、私がデモプレーを行う場合は直感で行動を選択します。
適当な行動でもルールの理解には十分であると思っており、また、さっさとルールを理解してメインプレーに進むべきであると思っているからです。
デモプレーまで真剣にプレーする必要はまったくないと思います。

LEVEL 2. ゲームの楽しさの理解

ゲームを何回か遊べば、そのゲームが楽しいかそうでないかの評価ができるでしょう。
そのときに、評価の理由をしっかり言語化しておくことが重要です。
そうすれば、次に選択したゲームを楽しいと感じる可能性が高まるからです。

何が楽しさの評価につながるのかを少し考えてみましたので、言語化の参考にしてみてください。

◯ ジャンル

デジタルゲームにアクションやロールプレイングなどのジャンルがあるように、テーブルゲームにもジャンルは存在します。
正体隠匿、拡大再生産、ドラフト、協力型など、だいたいのテーブルゲームにはそれを特徴づけるジャンルがあるように思います。
ジャンルを意識すれば好みの傾向を掴みやすいのではないでしょうか。

例えば、私の界隈ではトリックテイキングというジャンルを好む方が多いようです。
ハーツもナポレオンもトリックテイキングですからね……

◯ 難易度・所要時間・人数

テーブルゲームの上級者は、長い時間でじっくり難解な盤面を作っていくようなゲームが好きな傾向がある気がします。
私は逆に、シンプルで短い時間のゲームをたくさんまわすのが好きです。

いわゆるパーティーゲームといわれるような、7人以上で成立するゲームが好きな人もいるでしょう。
あるいは、1v1で相手との純粋な駆け引きを楽しむ人もいると思います。

◯ コンポーネント

カードの効果を使ったり、サイコロをたくさん振ったりというように、コンポーネントの機能に惹かれるということもあると思います。

最近のゲームはコンポーネントそのものを凝っているものも増えてきている気がします。
絵が綺麗だとふわっと手に取ってしまうんですよね~(自戒)

◯ 運と実力とのバランス

運と実力の構成比は勝率に大きく影響するところで、人によって好みが大きく変わってくるところだと思います。

言うまでもなく、テーブルゲームに慣れてくるほど実力の割合が高いゲームを好む傾向にあるでしょう。
私は実力でわずかに勝率が変わるくらいがちょうどいいと思っているので、運7実力3くらいですかね。

LEVEL 3. ゲームの仕組みの理解

どのようなゲームが好きかを言語化していくうちに、それはゲームそのものの考察につながっていきます。
ゲームのルールではなく、そのルールが作っているゲームの仕組みまでを理解できるようになると、ゲームにコントロールされる側からゲームをコントロールする側へと立場を移すことができます。

ゲームをどのようにコントロールするかでプレースタイルが決まります。
ただ、勝ちに向かうにしても面白さに向かうにしても、自分がその向きにゲームの舵を取っていけるレベルにまでゲームの理解度を深めることが根本的には必要なことなのです。

一応言っておきますが、万人がこれを目指すことはありません。
ゲームをコントロールする立場になくても、うまくコントロールしてくれる上級者がまわりにいればよいのです。
そこは、テーブルゲームにどこまでのめりこむかという話になります。

相手の価値観を傷つけない

プレースタイルの異なるプレーヤーが一堂に会することもよくあります。
そのような場合には、私はかなり気を遣うことになります。

ガチ村のエンジョイ勢も、エンジョイ村のガチ勢も、肩身の狭い思いをすることが多いです。
その場合、私は微力ながらその辺のバランス調整をして村全体の雰囲気の維持に努めます。
(だいたい少数派のプレースタイルに加担します)

ゲームをプレーする人は、各々が自身の価値観のもとに行動します。
他人のプレースタイルを押し付けられるのは、本人にとって非常につらいことなのです。

ガチ勢とエンジョイ勢が混ざるのであれば、お互いに相応の配慮を持ってプレーするべきですし、それができないのであればそもそもお互いの村にこもっているべきなのです。
ガチ勢ばかりが槍玉に挙げられがちですが、エンジョイ勢も配慮できない方がそれなりに多い気がします。

私のように調整役に徹する必要はまったくありません。
プレースタイルに自信を持ってプレーをすれば何の心配もありません。

ただ、他人の価値観にリスペクトを持って、他人のプレーにリスペクトを持つという意識が大事なのです。

テーブルゲーム芸人

なんとなく分かった方もいるかもしれませんが、私はかなりエンジョイ側に寄っているプレーヤーです。

しかし、私の本当の正体はエンジョイ勢ではなく芸人です。

エンジョイ勢は、勝ちには向かうという点でガチ勢と同じです。
ただ、登山装備でいくかハイキング装備でいくかというところに違いがあります。

芸人は、勝ち負けという軸を捨て、面白さという軸に沿ってプレーします。
「裸で極寒の山へ突撃してみたwww」みたいなノリです。

私の場合、同じゲームを何回もまわす機会が多かったので、勝ち負けという概念はとうの昔に消滅してしまいました。
そして、新しい面白さをいかに創造するかを考えるようになっていたのです。

では面白さのためにネタに全振りしてもよいのかというと、これはやってはいけないことなのです。
たとえプレーヤー全員がエンジョイ勢だったとしても、です。

勝ちに向かわないという行為は、ゲームの構造に逆らうものです。
それは、ゲームそのものへのリスペクトを欠くことになります。
他人の勝ち負けを大きく乱してしまうこともあり得ます。

芸人は、常に荒らしになる危険性を孕んでいるのです。
ですから私は、ガチ勢にもエンジョイ勢にもなりつつ、ここぞというときに正体を現すことにしています。

ネタをぶっこむときには、面白さだけでなく、勝ち負けの状況、雰囲気、タイミングなど気をつけることはそれなりにあります。
そこを見極めるために、やはりゲームの理解度は重要です。

たくさんのゲームの仕組みを蓄積して理解度を深めているからこそ、ゲームをコントロールする術を身につけているからこそ、あたためたネタに火をつけることができるのです。

ノンフィクションのフィクションで

私の話ばかりしてしまいましたので、一般の話に戻りましょう。

テーブルゲームを終えてみると、思い出には積み重なったストーリーが置かれています。
実際に目の前で紡がれたノンフィクションがそこにはあるのです。

しかし、ノンフィクションといっても、テーブルゲームという虚構の世界でプレーヤー全員が創りあげたものでもあります。
ある意味ではフィクションと言えるのかもしれません。

「GG!」と言えるようなゲームにするためには、プレーしている最中から、ストーリーを創りあげる意識を持つとよいと考えています。

ガチ勢であれば、勝つためのシナリオを用意してゲームに臨むわけです。
そしてそのシナリオを実現するべく策を練ります。

相手のシナリオと競合してしまうと、こちらのシナリオが破綻してしまうかもしれません。
ですから競合を避けたり、あるいは競合しても差し切れるように広範囲な根回しを行ったりすることになるかもしれません。

そのようにしてシナリオが実現すると、そのストーリーはもはや美しさすら感じられるものとなるでしょう。
これができるのがプロのゲーマーではないかと私は思っています。

一方、エンジョイ勢のストーリーは旅に近いところがあると思っています。
シナリオを作るかどうかすら自由なのですから。

綿密にスケジューリングされた旅でもよいですし、行き当たりばったりの旅でもよいのです。
旅というのは、大抵それ自体が面白くなるようにできているものです。
そして、実際にそれを面白くするのが旅人なのです。

ですから、アドリブ力というのがそれなりに重要になります。
相手が目の前で紡いでいくストーリーを自身の紡いできたストーリーにどのように混ぜ合わせるか、そこに起きる化学反応で面白さは倍増すらします。

プレーヤーはテーブルの上に生きるキャラクターなのです。

おわりに

書き終わってみると、伝えたいことはたくさんあったのに自分語りに埋もれてしまったような気もしています。
ゆるっとした内容ですしこんなものでしょうか。

折角なので、最後も自分語りで締めましょうか。

大学時代の私は麻雀に没頭していました。
珍しく、麻雀はガチ寄りでやっていたのです。

世間の戦術に迎合するのは好きではありませんでしたが、何回も打っていると麻雀というゲームの仕組みが少しばかりですが身についた感覚を経験しました。
他人のやらないようなプレーもたくさんやりましたが、そこそこ上手にやれたのではないかと今でも思っています。

学園祭でお客さんと麻雀を打つ機会がありました。
あまりこういうことは公表してはいけないのかもしれませんが、私はその際にはかなり打ち方を変えていました。

特に初心者は、アガることに一番の楽しさを感じるのではないかと推測しました。
そしてその一方で、欲を言えば派手なアガりしてみたいとも思っている気がしていました。

ですから私は、自身のアガリ率を重視せず、その辻褄を合わせるように打点の高いアガリに向かうような打ち方で臨んでいました。
すると、嬉しい誤算があったのです。

例えばお客さんがリーチしても、打点を高くしていればある程度合理的に押し返すことができます。
それで放銃にまわっても、お客さんがアガるという目標が達成されます。
そして私がアガったとしても、意外にも喜んでくれることが多いのです。
初心者は、派手なアガりをしたいというよりかは見てみたいという感覚なのだとそのとき気づきました。

こういう体験もあり、テーブルゲームに対する考え方が現在のようなものに変化していったのだと思っています。
テーブルゲームからは本当に色々なことを学ばされます。

最後になりますが、今後もテーブルゲーム芸人としてネタを仕込んできたいと思います。



(東1局で国士無双をお客さんからアガったときは流石に少し焦りました……)

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