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「支援」を考える。

食品配布をしている団体の動画広告を見た。
困窮世帯への「食料配布」そのものは、短期的にみると、大切な取り組みだと思う。そういう団体に寄付することが、支援につながる、ということも理解できる。

でも、その動画広告の「何が配布されているか」を見て、なんとなく引っかかった。ペットボトルのジュース、レトルト食品、缶詰、などなど。個々のメーカーがどうこう、ではないが、巨大な食品市場、グローバルフードシステムに組み込まれた「食品」を配布することは、どうも、そっちの勢力を増強し、補助金とかも間接的にそっちに飲み込まれていくんじゃないかな。

支援することは、とてもいいことだと思う。善人っぽく言うのではなく、坂口恭平氏がいうように、それは「巡り巡って自分に返ってくる」ということを、私自身もなんとなく感じるようになっているからだと思う。

高橋源一郎氏がラジオでいったように、「恩返し(おんがえし)」は直接その恩を受けた人に返すこと、それに対して「恩送り(おんおくり)」は、別の人や次の世代にその恩をわたすこと」

去年、約1年、スリランカに住んで色んな人にお世話になった。そのお返しとまでは言わないが、スリランカの恵まれない子どもの「里親」になろうと考えている。それは、素直に支援したい、という気持ちと、恩送り、のニュアンスと、それに加えて個人的な動機がある。単純に、スリランカという外国に、「自分の子ども」ができると考えると、嬉しいと感じる。血のつながっていない、家族が新しくできる。

でも、と考えたこともある。もし、その支援が、今のスリランカの教育システムの課題を、めぐりめぐって温存してしまうような方向に作用するとしたら?とか。その支援が、グローバル社会の負の側面を助長する方向に作用しうるとしたら?とか。どんな方向に作用するかは、すごく広い視野で考えると、分からなくなる。

ただ、「やってみたい」と思えるというのは、タイミングなんだと思う。

これまで受け取ったものを色んな人に返す。いや、やっぱりそういう高尚な理由は動機付けとしては弱い。私の場合。

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