拝啓、おばあちゃんへ

実の祖母ではないというのが理解できたのは、たしか4歳くらいだったと思います。

僕の父方のおじいちゃんの兄夫婦なので、直接の血の繋がりはないおばあちゃんでした。

でも、子どものいなかったおばあちゃん夫婦は、僕のことを実の孫のように死ぬほど可愛がってくれていました。

鎌倉にあるおばあちゃんちの庭はでかくて、
幼いときの僕はそこでバッタを見つけては、デカいクモの巣に放り込んで食わせるという、サイコな遊びに興じていました。

それは、虫とはいえ命を粗末にしてはいけないという禁忌をおかす背徳感と、
おばあちゃんちの庭の食物連鎖を幼稚園児である自分が支配しているという全能感に満ちた、
スリリングで愉悦性の高い遊びだったのでした。

あるとき庭先でおばあちゃんにその行為を見つかったとき、「しまった」と思い、焦りました。

なぜなら僕はおばあちゃんの前では善良で無垢な孫でいたかったし、
お年玉のビッグクライアントであるおばあちゃんにバッタの虐殺行為がバレたら、
お年玉の査定金額にも響きかねないぞと思ったんです。

でもおばあちゃんは、
「玲くんは蜘蛛にごはんをあげて優しいね」と褒めてくれたので、
僕は幼いながらも
「いやまさかのクモ側!?」と心の中で突っ込まずにはいられなかったのを覚えています。

あとでおばあちゃんは、
「蜘蛛はアブやハチとかを食べてくれるし、バッタは庭の草花を食べちゃう害虫だからどんどん殺っちゃっていい」
的なことを教えてくれました。

それ以来、僕は後ろめたさを感じることなく、おばあちゃんの許認可のもとバッタジェノサイドに邁進することができました。

幼い僕はバッタから見たらスターリンのごとき大量虐殺者となり、
蜘蛛にとっては
「ほら、お前若いんだからたくさん食べろ!これ好きだろ!」
と、無理やり飯を食わせてくるありがた迷惑な先輩的存在として、蜘蛛の巣にバッタを投げ込み続けたのでした。

バッタジェノサイド(蜘蛛からの視点ではバッタ食べ放題)が終わると、おばあちゃんは必ずミルクティーを作ってくれました。

僕はおばあちゃんが作ってくれるミルクティーが大好きでした。

幼い僕の味覚に合わせて砂糖とミルクをぶち込みまくった激甘ミルクティーを、何度もせがんだのをよく覚えています。

ミルクティーを飲んでいる僕の横で、おばあちゃんは時おり
「宗教になんてぜったい入るな!神様なんて信じるな!何かに依存したらダメ。なるなら教祖、教祖ならありね。」
という、クセの強い教えを口すっぱく伝えてきました。

当時は教祖という言葉の意味もわからなかった僕ですが、
横にいた家族が苦笑いしてたので、おばあちゃんがまたズレたことを言っているな、というのは感じ取れました。

あと、おばあちゃんはいつも僕を近所のお菓子屋さんに連れていってくれました。

おばあちゃんはお菓子を無限に買ってくれたので、
「この棚のここからここまで。あとこのキャベツ太朗も。」
という、パリスヒルトンが服を買う時みたいなやり方で僕にお菓子を買ってくれました。

僕が小学5年生になった年のある日、突然おばあちゃんは認知症で、なにもかもわからなくなってしまいました。

あんなに快活だったおばあちゃんの、うつろな目をみたとき。
僕が話しかけても、何も反応しないとき。
それを見つめるおじいちゃんのやるせない顔を見たとき。
もうミルクティーは作ってもらえないんだなと思いました。

おばあちゃんはそれからほどなくして他界しましたが、おじいちゃんも後を追うように天国にいったので、どうやら遺産相続がややこしくなって、華麗なる一族みたいな大人同士のゴタゴタが発生したというのを聞きました。

最近ぼくは、なんだか自分が生まれる場所や時代を間違えた気がしてしまって、悲しさにむせび泣きたくなる夜があります。

それは仕事でアホみたいなことで大失敗した日や、酒に飲まれて散財した翌日なんかも多いですが。

ときには己の社会性の低さそのものに辟易してしまったり、自分が疑問に思うことを誰も気にしてないで社会が平然と回ってることに、脳みそがバグりかけてしまいます。

そんな時、優しかったおばあちゃんのことを思い出してしまって、
「疲れたから昔に戻ってまたおばあちゃんのミルクティーが飲みたいです、神様」
とお願いすると。

心の中のおばあちゃんが、「神様なんて信じるな。何かに依存したらダメ、(教祖になるならあり)」
とツッコんでくれるのです。

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