世間の人様と比べたら全然大したことないのにうつ病と診断されちゃった私の話

2021年3月下旬、日曜日午後4時頃のこと。

私は鏡月アセロラ味700mlをストレートでがぶ飲みし、実家の廊下で死にたい死にたいと叫び、吐きながら倒れているのを家族に見つかった。

新卒で入った会社は私にとっては激務だった。退勤は夜の21時半~22時になるのがザラで、帰宅するのは23時を過ぎた。帰ったら夕飯をかきこみ、風呂に入って寝て、次の日7時前に起きて出勤する…というような生活を送っていた。

そこそこブラックではあるが土日祝は休みだったし、有休も取ろうとすればとれる環境だった。(周りの人が取らなかったので私もなんとなく取れなかったが)しかも会社の人は皆いい人だった。

会社を辞めた人の話を見ていると、もっと酷い労働環境で働いている人が圧倒的に多い。その人たちにしてみれば私の会社なんかチョロく、ブラックとも呼べないレベルなんだろうなと思った。

と同時に、この会社を辞めても私は社会でやっていけない、やっぱり私は社会不適合者だったんだ、生きるのやっぱ辛いわ、死のう、と思った。

3月に入ってからは自殺の方法ばかり考えていた。一番良い自殺方法は首吊り、と調べた私は3月中旬、首を吊ろうとしたが、首にベルトをかけてロフトの梯子から足を離す前で躊躇し辞めてしまった。

生きるのも死ぬのも中途半端だなあ、さあ困った。更に調べた。すると、自殺者の何割かは直前に飲酒しているとの記事を発見した。理性が飛ぶので死ぬことへの躊躇が無くなるらしい。これだ!更に酩酊状態で風呂に入れば溺死の可能性もあるらしい。チョイスは多めにあった方が良いだろう。ベルトとお風呂を準備して酒を飲むことにした。

初めて鏡月をストレートで飲んだが、今この文章を書いていても味を思い出せるくらい不味かった。飲んでいる途中、そうだ遺書も書いておこうと思い、遠ざかる意識の中で書き殴った。内容は覚えていない。(彼氏に捨てられた)何故か泣きながら書いて、飲んだ。記憶が断片的だが、次起きた時は廊下で倒れており、父親が帰宅する音が聞こえた。何か父親と話をして、次気づいた時には風呂にいた。これで溺死ルートか、まあ悪くない、と思っていたら彼氏がやって来た。父親が呼んでくれたらしい。彼氏に風呂場で裸で吐いているところをさすられながら、もう会社は行かなくていい、明日は俺も休むから一緒に散歩しよう、おいしいものを食べに行こう、と言われて、あ、生きてて良いんだ、と思えた。次意識が戻った時はベッドの上だった。こうしてまた、私は自殺に失敗した。

次の日、彼氏は言った通りにわざわざ会社を休んでくれた。一緒に散歩をして、地元のレストランに行ってランチをした。野菜がたくさん入っていて、美味しかった。美味しい、生きてて良かった、死ななくて良かった、と思ってボロボロ泣いた。我ながらちょろい人間である。

また次の日、父親に精神科へ連れていかれた。が、私には一般的に言われるうつ病の症状(体調不良、食欲不振、不眠等)がまったく無く、ガッツリ食べていたし寝ていた。先生も微妙な顔をしていたが、とりあえず「うつ病」との診断をもらい、休職した。

多分世間の方と比べたら大してひどい環境でもなければ症状でもないのにうつ病の診断名をゲットした私は、合法ニートをして生き延びている。

めちゃめちゃ長くなってしまったが、このnoteは合法ニートで甘ちゃんの私が、もう周りの人を悲しませないための自己分析に使用し、かつ社会復帰までのことを書けていけたらと思っている。ついでに、こういう微妙にブラックな環境にいて病んでいる方に、こういう奴もいるから生きていて良いんだよ、あなたは十分頑張ったよと伝えたい。

コツコツ続けられれば良いな。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?