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目玉と私

アトリエの先生がいつも言う。

『絵は年齢や体力関係なく、紙と鉛筆さえあれば誰でも描けるの。だから、ずっとやり続けられるのよ。』

と。
そこで、ひねくれた私は思う。

利き手の右腕や指先が動かなくなったら?

きっと、それなら左手を使えばいい。
左手もダメなら、足や口を使えばいいのかもしれない。
そういう画家のかた、たまに見るしね。

そして、さらにひねくれる。

目玉なくなったら終了だ。

利き手が不自由になるより、目玉が機能しなくなると絵なんか描けない。

ふと、何も見えなくなって、絵も文章も書けなくなる事態を妄想してみる。

なんて、つまらないんだ。

頭の中をアウトプットする娯楽として、
絵も文章も定着しているので、出来ないのは困る。あと、私の特性的にも困る。

私は、何でもかんでも視覚理解し、覚える癖がある。

人は言語・聴覚・視覚によって、脳にぶちこまれた情報を『理解』まで持っていくらしい。
どれが得意かは、人によりけりみたいだ。

ちなみに私の読解力は絶望的だ。


私は文章を読むのが苦手だ。
なのにnoteをやる矛盾ったら。
読書全くしないなんて、noterさんからしたらドン引きだろう。
ディスレクシアを疑うこともあるけど、
単純に頭がヨロシクナイ

あと、びっくりされることがある。
苦手ながらも、
ゆっくり、じっくり亀のスピードで読解している最中、私は内容を脳内で『映像化』しているのだ。

だから、
知らない場所とか、
知らない食べ物とか、
知らない現象とか。
そういうのが出てくると

頭で映像化出来なくて詰む。


そこで、いちいち調べるのが読書好きなんだろうけど。そんなことするガッツもなく、諦めてしまう。うん、ただ頭がヨロシクナイだけだ。

そして、これを読書好きで、読むスピードが早すぎる友人に伝えてみた。

『いちいち映像化しないよ。』

、、、。

っ!?

じゃあ、どうやって内容理解しているんだ、、、私はびっくりしてしまった。
友人いわく、読む→理解→読む→理解の繰り返しらしい。

あぁ、読解力の問題か、、、


友人は、恐らく『理解』を『言語』でするタイプだ。だからか、何につけてもマニュアル脳な性質だし、考えることが苦手だと言う。
理論が理解出来ないと、フリーズするらしい。
あと、動画を見ると疲れはてるとか。

私とは真逆だ。


そして、映像化を辿る私は、改めて目玉に頼って生きているんだなぁと思った。

いちいち非効率だ。

学校の勉強は『教科書』や『黒板』を『読んで』理解しなきゃだから、
余計に私は頭がヨロシクナイ方向性に。

今となっては、分からないことは大概YouTube先生によって、聴覚視覚から理解しているけど。そのほうが、俄然早いから。

いざ理解してしまえば、頭の中の映像がリアルだからか。物事を伝えたり、解説することも出来てしまう。道案内とか得意だ。

やっぱり、目玉に頼りすぎ。


少し、理解能力を分散出来たら良いのになぁと思うことがある。

会社員をしていたころ

信用金庫の事務職は、ゴリゴリにマニュアルの読解力が必要だったし。

アパレルでは、ディスプレイを作るのにゴリゴリな視覚理解が必要だったし。

まんべんなく能力があると、器用で良いなと思う。シゴデキって人は、そういう人なのかも。

とりあえず、ようやく次の油絵を描き始めた。作品展以降、全くモチベーションがなくて三ヶ月経過。。。
いつもより小さなキャンバスなので、気楽に挑もう。

では、今日もありがとうございました。


下書きは青にしてみた








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