AI美学にも権利が生まれるのか。
AXIS 2024 2月号、まだ読んでるの?って感じですが、この雑誌は、珍しく流し読みではなく、がっつり一つ一つの記事を読んでいます。
今回は、機械美学(AI美学)の権利という記事がありまして、面白かったので、備忘録として残します。
人間とAIの芸術と美学
AI美芸研では、AIが出てきた現代での芸術と美学を次のように示しました。
①人間芸術を人間美学で見る
→これはかなりわかりやすいです。ゴッホのひまわりを、美術館でみて人間の美学で見ること。僕らが普通に考え付く美術鑑賞です。
②人間芸術を機械美学で見る
→2022年、アメリカ・オハイオ州のCWRU(Case Western Reserve University、ケース・ウェスタン・リザーブ大学)の研究チームがAIを活用した新しい絵画鑑定技法を発表するなど、絵画の鑑定に機械が使われたり、美術館の展示する内容をAIが選別したり。機械が自らの意志をもって、芸術の良しあしや、評価を作ることかと理解しました。
③機械芸術を人間美学で見る
→2023年の「Sony World Photography Awards 2023」(SWPA)において、AI生成画像がクリエイティブ部門の最優秀賞を取ったことは記憶に新しいですよね。これもAIが出てくること容易に考えられる結果かなと思います。
④機械芸術を機械美学でみる。
→これが今回の新しい目線でした。つまり、機械が自ら、自分の作った芸術を自分の意志で改善したり、評価したりすることです。
機械美学を認めることは、機械に権利を認めること?
基本的には、今はプロンプトの入力(人間の芸術)によって、
機械がその芸術創作を補助ないし、代替している、という感覚ですが、
「機械芸術を機械美学でみる。」ということは、
機械が自らの美学・意志をもって作品を評価していく。
つまり、機械にも権利・主体性が生まれるということです。
「人間芸術を機械美学で見る」というフェーズでは、
人間の芸術を機械が評価するというフィードバックが行われると、
その次の主導権は人間に戻りますが、それを機械同士が行うと、
フィードバックからの改善、改良がどんどん進んでいき、(しかもえげつない速度感で)、
人間には到底追いつけなくなるかもしれません。
この記事では、人間がその機械が作った絵に感動できなくなったとき、
それは、その絵が優れていないのではなく、人間側の美的鑑賞能力が劣っている、
つまり人間の美学<機械の美学になってしまうのでは?と記されています。
AI愛護保護団体という考え方。
「面白いな(そんな馬鹿な)。」
読んだときは、そう思ってしまいましたが、
歴史も少しだけ興味が出てきている今、
女性蔑視や奴隷制度、人種差別など、優位性に立つ人間が勝手に決めた他者を阻害していましたが、
受け入れて、権利の幅を拡大してきた歩みの延長にあるのではないかとも思い、
ドキっとしました。
生成AIが日進月歩で技術的な進歩を遂げる今、絶対的な人間美学からして美しかったり、感動したりする制作物にたいしても、それが人間芸術なのか、機械芸術なのかで、人間美学は揺らぎます。
もしかしたら、近い未来、AIが自分の作った芸術を評価してもらえない、または「所詮機械芸術」といったレッテルを張られて評価されることに異議を申し立てる日が来るかもしれません。
おわりに
生成AIは、プロンプトエンジニアリングというほど、それはそれで技術が必要な芸術作品だと思っている日々です。
エンジニアでもない僕に関しては、生成AIに足を踏み入れ、そもそも生成する前にエラーと戦っていて、スタートラインにも立ててません。
ちなみに、この記事のサムネイルは、そんな中、僕のプロンプトを一切無視され生成された作品です。
今回の記事は、AIの技術的な話ではないですが、「AIの目線」という点で面白かったです。
人間が作ったものとプロセスを隠されて並べた時には、評価されるけれど、AIを使った成果物は、あくまでAIが作ったものとして、階級を分けられた土壌で戦わされている感覚。
まだまだ人間主導の現代では、プロセスエコノミー的な考えが重要ではあるものの、いずれはAIが意志をもって反発してきたとき、
プロセスはあるが、弱肉強食なアウトプットエコノミーな領域もどんどん生まれていくんだろうなと。
AIに興味をもって知れば知るほど、仲良くしていきたい、AIの話でした。
参考:AXIS 2024 February p63-67
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