「喋れて初めて普通」 日本人GKの僕が海外1年目に英語圏を選択した戦略的理由。
こんにちは。トミです。
OWL magazineでは3度目の寄稿になりますが、サッカー選手であると同時にサッカーと旅する生粋のサッカー人として記事を執筆させていただいております。
現在は海外4年目で、スペインの最南端に隣接するイギリス領ジブラルタルという土地でフットボーラーをしています。
19歳だった海外1年目にニュージーランドでプレーをしました。
選手として活躍するために戦略的に渡航する国を選択した経緯があります。
その理由を今回語って行きますので、海外でプレーしたいサッカー少年、お子さんを海外に留学させたい、またはお子さんが海外でサッカーをしたいとおっしゃっているお父さん、お母さんも是非お読みいただけると幸いです。
簡単に現在のシーズンの報告を最初に入れると、
1月初旬に中断期間が終わりヨーロッパへ戻ってきて1ヶ月半。シーズン後半戦も半分を終え、シーズンも残りわずかになってきました。チームが4チーム消滅したというのもあり日程的にも例年より短く、サッカー以外にもたくさんやりたいことがあり、もう残り2ヶ月かというのが正直な印象です。
ここまで3カ国を渡り歩いて来たわけですが、
選手生活をする上で戦略的にキャリアを組み立てているつもりです。
少しだけ過去の話をします。
海外に出てみたいと思ったのは18歳の高校3年生の時でした。
きっかけは2つあり、1つは父が朝の通学の時間帯に暇なら読みなよ、と送ってきてくれたアジアでプレーしている選手のブログを読んだことが始まりでした。
父はサッカーのみではなく経済、世界のトレンドなど色々な記事をいつもシェアしてくれて高校という狭い中で生きていた自分に色々なものを見せてくれました。僕の年代で好かれるものも触り程度で知ってくれていたので、父親と話す時間というのは僕にとってはとても貴重なものでした。今も昔も1番尊敬する人です。父親がいたから今僕は海外で生活しているのかなと思います。名前が拓海で海を拓くという意味なので、名前の通り生きているのかもしれません。
話が少し逸れましたが、もう1つは外部指導で来てくれていたGKコーチの方が海外でプレーしていたこと。その方に海外はサッカーだけでなく、日々の生活も刺激的だったよ、という話をされた時にすごい興味が湧きました。僕自身好奇心旺盛なのでいろんなものを見てみたいとその当時から思っていました。
そして高校3年生の卒業式の3日後にニュージーランドへ。
1ヶ月間本当に僕が英語圏で暮らせるのかというテストとしてセミプロチームに練習参加をしに行きました。
知らないことだらけで刺激的で最高の1ヶ月でした。サッカーも少し手応えを掴んだ状況で帰国しました。
そして日本に帰国し大学生活がスタートするとと同時に1年後の海外サッカーへの挑戦の出発までの準備期間がスタートしました。
正直18歳の僕は周りが見えていなかったとは思います。ただ海外でサッカー選手を目指すためにではなく、なってどうなるか、どのような戦略をとっていくかということを考えました。
僕のポジションはGKです。そして日本でも特段に背が低いです。
クロスボール?2mの選手には勝てません。
経歴?ありません。
武器?日本ではコーチングです。
英語?英語が母国語の選手達相手に自分の言いたいことを伝えることは18歳の僕にはできませんでした。
まあ元々プレーヤーとしてシュートをすべて止めて1人で全部解決できるタイプの選手ではないのでこのままだとプロサッカー選手を目指しても難しいなと思いました。
そこで自分がどういうキャリアを歩むかを考えたのは2つです。
①英語は世界中に話せる人が1番多いのだからまずは英語を話せるようになること。
→英語が世界で1番通じる言語でもあるし、スペイン語などの他の外国語を学ぶ際も英語のベースがあったほうが速いと考えたため。
②自分が目指せそうなとてつもない高い目標を持つこと
→プロになることを目標にしているとプロにはなれない。自分が目指すところよりもはるかに高い目標を持つことでその手前を通過点だと捉えられるようになるというマインドだからです。(これは今も変わりません。)
アジアでのトライアルに参加したり、隣のオーストラリアでビジネスをするエージェントさんもご紹介を頂いたりもしたので、他にも選択肢はありましたが、この2つのマインドを元にした時に決断したのはプロリーグのない、ニュージーランドに行くことでした。
ニュージーランドにしようと思った理由
①英語圏で日本人もいたので、安全でかつ英語を学ぶことができる。
→日本人がいないと苦労すると思いました。結局日本語から直してもらえる環境があるのは強い。
②クラブW杯を目指す。もし出ることができたらJリーグや世界中のクラブが見てくれるかも。
→友達もクラブW杯に出場しており、国際大会で1番可能性があるかなと思いました。「そんな甘くないぞ」と今の自分なら説教したいところです。
そんな理由で19歳の冬、初めての海外生活にニュージーランドを選択しました。
今考えるとよくあのレベルでクラブW杯とか言えたなと思います。自分のことは冷静に見えていたのにも関わらずサッカーのレベルは客観的に見えていませんでした。
ニュージーランドは季節ごとに2つのリーグがあるのですが、僕が所属したチームにはクラブW杯に出場する選手達が数名所属していました。そういう経緯もあったからかもしれません。
そしてニュージーランド生活でトップチームで試合に出場できたのはわずか1試合。
移籍を目指していたナショナルリーグのテストは受けることができましたが不合格でした。
そして怪我もしていて、ビザの関係でニュージーランドに戻るのを諦めた自分は次の年はプロになろうという目標を立てたのです。
そしてヨーロッパやアジアでテストを受けたのですが、そこで気づいたことがありました。母国語が英語の人たちと生活をしていたから他の国でも英語が通じるし、話したいことが伝えられました。結局契約したモンゴルのチームでも記者会見に出て英語で受け答えができていたというほど語学に問題を感じませんでした。
選手としてのみでなく自分の夢、目標が変わるというのは当たり前だと思います。
だって年をとればとるほど多くのものが見え、選択肢も増えてくるからです。
ただ語学ができるということは選手生活の上でも大きな利点を感じます。
よく先輩とこんな話をします。
「顔がかっこいいというのは年をとれば劣化するけど人として面白いというのは廃れない。」
だから外見よりも中身を磨いていろんなことを経験して人としての魅力を磨こうと。
語学もそうなんです。
選手としての需要は年をとれば減って行くのがリアルです。ただ語学を使いこなせるというのは一生使えるし、自然と選手以外の活動も幅が広がると思うんです。
僕はセカンドキャリアという考え方をするのが好きではないので、選手をする上で、いやGKとして海外で生きて行く上で必要だと思い始めた英語圏での生活。それが今では選手としての活動に限らず大きなプラスアルファを与えてくれ、日本での活動にも役立っています。
選手としても今のスコットランド人監督にもコーチングの部分はとても評価してもらっています。
僕の語学の立ち位置はこうです。
他言語の人たちとコミュニケーションをとる上で必要不可欠なツール。
だから話せたら良いものではなくて話せないといけないもの。
何を言ってるかもわからないし、何がしたいかも伝えられない選手を監督は使いたいと思わないでしょうというのが僕の考えです。
確かに通訳がいれば必要ではない時も多いかもしれませんが、コンマ何秒でシチュエーションが変わるフットボールという世界で瞬時で自分の言いたいことが言えないと不便が多いはずです。ましてやGKは味方が背中を向けた状態でプレーするポジション。語学というのはキックの能力より、シュートストップの能力と同じぐらい必要な能力だと私は思います。
さてここまで僕が英語をペラペラだと思わせるような書き方で文章を書いてきましたが今僕がジブラルタルという国でプレーする上で語学で不便を感じていることを話していきます。
①1対1で話すことはできるけど話す対象が複数人になった時についていけない。
②中途半端に話せるからスペイン語の勉強が進まない。
久々に母国語が英語のジブラルタルでプレーすることになり、ニュージーランドの時よりもはるかに自分の言いたいことは言えるようになりました。
ただ複数人で話している時に考えながら聞いているとわけがわからなくなってしまうんです。その間に話はどんどん進んでいく。ハーフタイム中が1番神経を使うかもしれません。
そして半分母国語がスペイン語とも言えるジブラルタル、そして僕がチームから与えられている自宅はスペインにあります。なので言葉を喋れないといけないのですが誰かしら英語が話せるので勉強しなくて良いのかなと思ってしまうところがあります。本当に良くないなと思います。
モンゴルでは英語を話せない層が一定層いたため少しはモンゴル語を話せるようになっていました。指示は基本2年目からはモンゴル語でした。ただ、今はイギリスなので公用語は英語ですが国の特徴上サッカー選手は基本スペイン語環境でレフェリーもスペイン語ということがあります。
ただ僕の所属するチームは英語で話すチームメイトが多いのでスペイン語まで手をつけられていません。スペイン語を話せるレベルはせいぜいレストランでの注文ぐらいです。
おそらく
日本語→モンゴル語
日本語→スペイン語よりも
英語→モンゴル語
英語→スペイン語
こっちの方が訳しやすいし、できる人が多いと思います。
そういう意味で英語圏を選択したのですが英語がメインの国での生活だとそれが悪い意味で弊害になってしまっているのです。
日本でもアテンドの仕事をしてますが、それで100%伝えられているかと考えても正直疑問が残ります。
言葉は人種の壁を越えると思います。
話せることで世界が広く見えるかもしれません。
もっと話せたらもっといろんな世界が見えそうだなと日々思います。
それを歯痒く感じます。
しかもラッキーなことに英語というツールができると日本でまだ重宝されます。特にサッカーの世界だと。
だからこそ英語を学び、使える環境に身を置くことは大切だと感じます。
世界がよりグローバルになっていく今の世の中で言葉が僕らの壁になってしまうのならば、そこの壁を破りにいくそんな努力が必要なのではないでしょうか。
面白さは老けないし、語学ができることは一生役立ちます。
僕の知らない多くの世界のあれこれを教えてもらえるのだから、これからも僕は英語を学び続けます。
僕サッカーは特別上手くありません。
ただサッカーを4年海外で続けられているのもそんな理由があるからなのかなと思います。
選手として、そして人としてどうなりたいか。
ただサッカーが続けるだけでなく、僕もものすごい悩んでいますがどのようにサッカーを続けていくかを考えるのもサッカー選手として、そして人として厚みが出るのかなと思います。
最近の僕の悩みはそこです。
シーズンが終わった頃にはどうなりたいか決まっているのかな。
少しその走りと、僕に来た魅力的な話をここから下の有料ゾーンで執筆していきます。
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