聖霊の教室へ
私たちは、動揺、葛藤する時、
その出来事(世界、状況、肉体)を本当にあったと信じている。
だけど、『違うよ』と優しく教えるのが赦し。
だけど、
それが、罪はないという意味で
分離は起きていないという意味になるので、
自我と同一化した神の子は、大きな抵抗を感じる。
だけど、一つ言えることは、
決して、神の子を否定しているわけではなく、間違いを教えている。=それが聖霊で、聖霊の教室。
自我の教室から、聖霊の教室へ。
だから、
赦しをやりましょうと言いたいのですが、
言葉にするととてもチンケだなぁ。
だから、テキストがあるのだなぁと思う。
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