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【春秋一話 06月】 始めるに遅すぎることはなし

2022年6月20日第7149号

 4月18日号の本紙で経営コンサルタントの小宮一慶氏が経営者の学ぶべきこととして勧めている3つのうちの「経営の原理原則を学ぶ」ということについて触れた。今回は「何千年もの間、多くの人が正しいと言ってきたことを学ぶ」ということについて触れたい。
 「何千年もの間、多くの人が正しいと言ってきたこと」とは具体的には「論語」や「老子」などの中国の古典や「聖書」「仏教聖典」などであるが、「これらを学ぶことなくして本当の正しい判断はできない。そしてこれらが、真の意味での成功の原理であることは、渋沢栄一翁、松下幸之助さん、稲盛和夫さんたちの成功を見ても明らかである」と小宮氏は述べている。
 経営者として会社を良くしていこうとするためには、お客さまに喜んでいただいて、働いてくれている人にも幸せになってもらおうという正しい信念がなければならず、それがあれば自ら会社を経営する勇気も生まれてくると言う。この正しい信念を持つために何千年もの長い間読み継がれた本を読み学ぶことを勧めている。
 筆者はこの小宮氏の考えをその著書などで読んで知ってはいたが、なかなか古典を読み学ぶということはできずにいた。「論語」について言えばテレビの時代劇の中などで子供が寺子屋で素読をしている場面が出てくるなど、昔から日本社会の中で広まっていた。
 しかし筆者自身の記憶を辿ると「論語」に触れたのは高校時代の漢文の記憶が甦り、あまり良い印象がないのが実態である。
 「論語」は漢字や仏教とともに中国から伝わったとされるが、奈良時代に編纂された「古事記」や「日本書紀」にも記述があり、聖徳太子が制定した「十七条憲法」の第一条の「和を以って貴しとなす」も論語の教えを取り入れたものとされている。江戸時代には徳川幕府が朱子学を推奨し、代表的な書物である「四書五経」が注目され、特に「論語」は重要な書目、学問の入り口として一般庶民にも広まっていた。
 そして明治時代に入り明治政府は「学制」を公布し道徳教育としての「修身」が始まった。明治23年には教育勅語が発布され忠孝道徳を中心とした様々な道徳的な内容項目(徳目)を多く示されたこともあり国全体に浸透していくこととなる。
 しかし、昭和20年、敗戦により占領軍の指示を受けて修身科などの授業は廃止され、以来日本においてかつて浸透していた道徳教育専門の教科はなくなる。その後に戦後の教育を受けた者にとって「論語」などの古典に馴染めないまま大人になってしまったという人が多いのではないだろうか。
 小宮氏は、何から読み始めたらよいかわからない人は松下幸之助氏の「道をひらく」から始めると良いと勧めている。また古典についても原書を読むということではなく、「論語と算盤」の渋沢栄一や、昭和の時代に「論語」を蘇らせたと言われている安岡正篤氏の著書も参考になるという。
 それでもハードルが高いと思っていたが、最近、安岡正篤氏の孫にあたる安岡定子さんの著書「渋沢栄一と安岡正篤で読み解く論語」という本を読んでみた。安岡定子さんは子供への論語教育に力を入れていて著書も多い。このような親しめる本で論語に触れるとハードルも低くなるかもしれない。
 自分自身の心棒になるような書籍をもつということが「正しい信念」につながる。何歳になろうと始めるのに遅すぎるということはない。常に「今から」を心がけ、生きる上での心棒となるようなものを求めていきたいと思う。
(多摩の翡翠)


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