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幸福の科学の十大原則(上巻)を読んでPart.1


収録されているご法話

1:幸福の原理(1987年3月8日、牛込公会堂)←今回これ
2:愛の原理(1987年5月31日、千代田区公会堂)
3:心の原理(1987年7月26日、小金井公会堂)
4:悟りの原理(1987年10月10日、小金井公会堂)
5:発展の原理(1987年12月20日、日本都市センター)

章の構成

第一節では、主の学生時代から商社時代における、霊的覚醒とこの世的な成功の間に揺れ動く心が語られている。
第二節では、徐々に強まる霊的な現象とともに、「この霊現象は本物である」という確信を持ち始めたところが描かれている。同時に、日蓮から得た啓示ではあったが、その後ろに更に大きな霊団が控えていることを知り、まずは基礎知識的な足場がためをすることが書かれている。
第三節では、第二章で「足場がため」から始められた理由について、地獄と間違った宗教者や教祖の末路について鮮明に書かれている。
第四節では、主が霊言を世に問う前に、徹底的に心を統御しつつ、知識の下積みを作りながら「本当に正しいと思われるものしか世に出さない」という決意が書かれている。
第五節では、過去の宗教指導者たちも「預言者」だったということに触れつつ、その預言者の霊的な覚醒の度合いによって天から降ろされる言葉にも段階があることが明かされている。
第六節では、幸福の科学の基本的な考え方について触れている。特に「内から外」「土台から柱」というように、まずは自身の探求と学習が重要であることが語られている。
第7節では、幸福の科学が考える幸福の原理として「現代の四正道」について語られている。この章で会の基本的な考え方や幸福に対する考え方を学び、次章以降で四正道をより深掘りするという形になっている。

各節のポイント

第一節「青年の時代」

主は20歳ごろ、目の前に「永遠」という文字が現れる様になるが、その意味についてまだ深くは考えなかった。しかし、将来漠然と思想家のようなものになれたらいいな、もしくは文筆的な仕事ができればと思っていたとのこと。

「私は、将来、二千年、三千年後にっまで遺るような思想を遺したい」ということを語っていました。しかし、私は、「なぜ、そのようなことを自分が言っているのか」ということには気が付きませんでした。そのころ、すでに、ある種の準備が始まっていたのです。

幸福の科学の十大原理 上巻P.27 

しかしながら、そのような世界への憧れとは裏腹に、現世的な成功の道にも惹かれ始めた事を語っている。

いつからしら、この世の中で立身出世を求めるような方向へと傾いている自分となっていました。〜中略〜 他の人達が「実社会でどんどん力を発揮していきたい」と思っている姿を見て、私もまたそちらの方に惹かれていきました。

幸福の科学の十大原理 上巻P.28、29

東大に入ったこともあり、周囲はエリートコースをひた走りしようと人生を謳歌している中、主はどうしても壁が出てきてしまい、この世的な成功の道から阻まれるような経験をする。
残念ながら、当時にはまだ就職先として主が志す方向が用意されていなかったということも原因だったと回顧されている。
その後、およそ真理の世界とは真逆の「商社マン」としての道を歩むことになる。

第二節:真理への道

強烈な運命の転換期がやってきました。それは、まさしく、私にとってはショッキングなものでした。今、みなさんに」分かるように語るとするならば、「強烈な一条の光が私の胸を貫いた」ということです。「おまえの道は間違っている」ということを、天から知らされたのです。

幸福の科学の十大原理 上巻P.33

商社マンと霊的覚醒の間を行き来していた主についに強烈な啓示があったことが語られる。しかし、齢30にして経験が浅いと思った主は、徹底的に忍耐を続けながら、時が満ちるのを待たれたとのこと。
その間にも続く霊的な存在からの言葉をおろしつつ、蓄積に励まれていた。

「この霊的現象はおそらく本物であろう。本物であろうけれども、これを『本物だ』と周りに言って回ったところで、私は大成はできないはずだ。おそらく、一年以内に、『あの人は、変わったおかしい人だ』と言われて、途中で逸れていくぐらいがオチであろう」 〜中略〜 やがて、時は満ちるであろう。時が満ちるまでは動いてはならない と思っていたわけです。

幸福の科学の十大原理 上巻P.35、36

本来ならばすぐにでも世に問うことでそれなりの成果はあったと目されるが、主の場合、初期に霊言を降ろしていた「日蓮」の後ろに、より大きな大霊団が控えている事実を知り、事の重大さを知る。
したがって、その日蓮聖人の指導である事を実感・確認するまで、三年以上は認めることはなかった。

第三節:宗教指導者の責任

なぜそこまでに慎重に物事を進めていたのか。
尚早に世に問うことで鳴かず飛ばずになる可能性も見抜いていたが、それと同時に「宗教指導者の末路」についても垣間見たことに起因するようだ。

宗教的な指導者というものには責任があるのです。一歩間違えれば、何十万人、何百万人の現代の人々を狂わせるだけではなく、後代の人々をも狂わせることがはっきりしているからです。その害たるや、とてもあとでは精算がつかないのです。

幸福の科学の十大原理 上巻P.39

誤った教えを説いた教祖は、死後「真っ暗だ。苦しい。助けてください」というようなことばかりを言っており、非常に哀れ。
しかも、本人たちは自分が間違っていることを認識しているものの、一向に天国に上れないのだそう。
それは「二代目・三代目・そしてその教えを信奉している人」が布教活動を継続してしまうことが理由。
単純な悪霊であれば救えるが、間違った教えを広めていることに収拾をつけない限り、教祖だけは救えない。
間違った宗教をやるくらいなら、田舎で大根を引っ張っている方がいい、とまで語られている。
またこの節では、霊的な言葉の正邪を分かつための方法についても語られている。

教祖に憑いている「サタン(悪魔)」や「魔王」などと呼ばれる者は、そうとう実績を積んでいるので巧妙です。宗教理論を随分知っていて、振りかざすのです。

幸福の科学の十大原理 上巻P.44

このように、地獄の霊も転生輪廻のことなどを話してきたりする事があり、騙される人も多いとのこと。
こうした悪霊から身を守るには「知性」が大切であり、悪魔の攻撃を見抜く方法を次のように語る。

増上慢にならずに、「仏教」だけでなく、「キリスト教」「神道」「孔孟老荘の思想」、あるいは「道徳」「科学」「哲学」といったものをじっくりと究め、そうした思想の中に流れる”一本の黄金の糸”というものを確かにつかんだ人から見れば、サタン等が言うことには、どこかで矛盾が出るのです。

幸福の科学の十大原理 上巻P.45

このことからも、如何に主が幸福の科学を立ち上げるに当たり「並々ならぬ決意と蓄積のもとに立たれた」のかがよく分かるかと思う。

第四節:ゼロからのスタート

こうした知識を蓄えつつ、霊現象の真実性を確かめるために慎重を期していた主ではあるが、自身の知識のレベル・認識のレベルによって、指導霊たちが「方便」を使うことがわかって来た。

こちらの霊的自覚ができるまでは、高級霊であっても、本当のことを言う前に方便を使うのです。
順番に方便を使って少しずつ自覚を引き上げていかないと、地上の人間は分からないのです。どんな光の指導霊であっても、肉体を持てば赤子同然なので、分からないのです。

幸福の科学の十大原理 上巻P.53

主であってもスタートはゼロからであり、庭の犬が吠えている理由を霊的に見てもらうような状態から始められていた。
この点はほっこりするとともに、弟子にとっても希望になりうる点だと思う。
そして、節の締めくくりとしてもう一度宗教指導者の責任について触れ、「正しき心の探求」の大切さについて語られる。

私たちは、確かな土台の上に法を説いていこうと思っているのです。 〜中略〜 「会員の資格は、自らの『正しき心』を日々探求する意欲を有する者」と書いてあります。 〜中略〜 日々、自らの「正しき心」というものを探求せずして、高級霊たちとの話はできないのです。〜中略〜 高級霊たちの通信を受けられるためには、その人と同じ心境にならなければ、受けられないのです。

幸福の科学の十大原理 上巻P.56

大五節:預言者とはなにか

この節では、他宗にて語られる「神がかかる」ということについて、「霊媒」と「預言者」とを区別することで説明されている。

霊媒には神はかかりません。これは、おっしゃるとおりです。職業で霊媒をやっているような人には、神様はかかりません。
ところが、預言者には神はかかるのです。預言者という言葉については、これは、「先のことを予言する、予知する」の「予」ではありません。「預かる」という意味での「預」です。預言者というのは、「神の言葉を預かる人」なのです。

幸福の科学の十大原理 上巻P.58

過去の宗教指導者たちの名前を挙げ、それぞれが「預言者」であったことを語られています。
例)モーセ、エリヤ、イエス・キリスト、マホメット
神は時と場所を隔てながら高級霊を地上に遣わし、預言者として神の言葉を伝えているとのこと。
そして、現在主がその立場におられ、こうして法を説いてくださっている。しかし、そんな状況にあっても主の「謙虚さ」が現れる一節を紹介する。

私の能力をもってしては、理解しがたい仏法真理については、残念ながら、いまだに私にも説けないのです。〜中略〜 私を超えた、私の能力を超えた範囲については、彼らも語ることができないのです。そうした限界はあります。

幸福の科学の十大原理 上巻P.66

おそらく、「当初の大川隆法としては」という意味で語られているのだと思うが、それだけ慎重に幸福の科学を立ち上げ、運営してこられたのだということを垣間見ることができる。
現状は、主がエル・カンターレ宣言をされ、宇宙の法まで触れようとしているが、今度は弟子のレベルが到達していないため、方便として前段階の話を語らせているにとどまっている、というようにも捉えられる。

大六節:幸福の科学の教えの基本ー「内から外へ」「土台から柱へ」

この節では、幸福の科学がどのような土台に立脚しているのかということについて語られている。
幸福の科学では「知識」を重要視しており、この知識の獲得なくしては伝道ができないことが語られている。

この知識というのは仏法真理の知識です。〜中略〜 これを持っておかなければ、物事の正邪を分かつことができないのです。〜中略〜
「知る」ということは、結局、「力」なのです。知ることは力です。〜中略〜
仏法真理を知るということを第一段階に置いているのです。

幸福の科学の十大原理 上巻P.67、68

主は一冊の霊言集を作るのに数百時間を費やしている。さらに、その一冊の基礎になる知識の収集には更にその数倍・数十倍の時間をかけているとのこと。
そうして紡がれた一つの法話、一冊の経典を現在私達は「ササッ」と読んでわかった気になっている。
しかし、もっと時間をかけて仏法真理を味わい、自分の理解度を知り、深めてほしいというのが主の願いであろう。

幸福の科学の教えは、「内から外へ」「土台から柱へ」というのが基本方針なのです。そうであるならば、「伝道」の前に「学習」するみなさんであってほしいのです。〜中略〜「何を伝えたらよいのか」が分からないのに、伝えようとしてはいけないのです。

幸福の科学の十大原理 上巻P.70、71

主は、イエスの言葉を用いて「真理の学習ができていなのに伝道はできないし、すべきではない」ということを説いている。
悟らない人が悟らせようとして引っ張る行為は勧誘ではなく「折伏」になり、これは非常に迷惑な話である。幸福の科学が仏法真理の学習団体になるように頑張りたいと話している。
また、「仏法真理の知識を、ある程度体得して、人々に法を説ける人」を作りたいと考えており、それは「講師の養成」であり「伝道の核になる人の養成」でもあるという。
いかに学習が大切かが書かれている部分だと思う。

結局、「小乗あっての大乗だ」と言っているのです。分かりますか。「自ら悟ってから人を救いなさい」と言っているのです。この順序が逆転したときに、宗教の悲劇が始まるのです。自らが幸福になったと思ってから、人を幸福にしてみてください。

幸福の科学の十大原理 上巻P.74

自分が幸福になるというのは、金銭的に恵まれたとか、願いがかなったとかそういうことではなく、「仏法真理に出会って感動した体験」をしっかりと落とし込んで、それを他の人に伝播させていくということを言っているように思う。
確かに、単純に入信したからと言って、伝道をしてこい、誘ってこいと言われても、その行動に責任も生じなければ、言葉に重みも乗ってこない。
「私は幸福の科学でこれこれということを学び、実践し、一定の真理を得た」という感覚が、その人の伝道力を保証していくものだと思う。
主は「宗教の悲劇」という言葉を使っているが、これは「学んでいない人が勝手に解釈した内容で伝道を進める」というように、この文脈では取れる。
これを進めることは、法を捻じ曲げることにつながるし、勝手な解釈は某宗教団体のように「人を殺めてもよい」というような解釈に繋がりかねないため、十分な学習が必用であることに疑いの余地はない。

第七節:幸福の原理とは

ここまで学習ということの大切さ、主の慎重かつ堅実な地盤固めについて多く語られてきたが、本章のメインテーマである「幸福の原理」について触れられている。
端的に集約すると、幸福の科学の推し進める幸福の原理は以下の通りになる。

  • この世とあの世を貫く幸福(霊的人生観)

  • 自らの正しき心の探求

  • 現代の四正道(愛、知、反省、発展)

他の宗教では愛について深く語られていたり、反省に重きが置かれていたりすることが多い。特に仏教は反省という点に主眼が置かれているように思う。
幸福の科学はこれがさらに深まっており、「反省からの発展」というところまで説かれているところが大切な点である。
ともすれば宗教は「質素倹約を美とする」というような雰囲気があり、富を否定することが善であるような捉え方をされることがある。
しかし、結局その「富」自体に善悪はなく、その発生要因と使い方に善悪が生じやすいということを主は見抜いている。
主はこの節の中で上記三点について以下のように語っている。

私達は、「この世のみで幸福で、あの世に行ったら不幸のどん底」というような幸福ではなく、「過去・現在・未来を貫いて通用するような幸福の原理」を探求しているのです。

幸福の科学の十大原理 上巻P.76

この「正しき心」とは何でしょうか。私が言っている「正しい心」というのは、みなさんの心のなかにある「如来」の部分を探求しようではないかと言っているのです。〜中略〜ダイヤモンドが違うのではなく、人間はみな、おなじダイヤモンドなのです。〜中略〜ただ、転生輪廻の過程において、そのダイヤモンドの光り方が違うのです。磨き方が違うのです。
光の指導霊というのは、結局、そのダイヤモンドの原石を、自らの努力でもって磨いた人のことをいうのです。

幸福の科学の十大原理 上巻P.77

「幸福の原理」は、「現代の四正道」なのです。「幸福に至るための四つのっ道」なのです。
まず、ここから入っていってください。
これが、今回、私が説いている「小乗」の最初の入り口なのです。

幸福の科学の十大原理 上巻P.89

幸福の科学はこの世のみの幸福を追い求めているのではなく、死後の世界での幸福、あるいは来世での幸福までも包括して捉え、幸福の追求をしている集団である。
この過去から未来を貫く幸福とは「自らの内のダイヤモンドを輝かせること」であり、これは他の説法の中では「仏性を輝かせること」であると説かれており、仏性とは「同一の光(エル・カンターレ)から分かれてきた光の一部」であると説いている。
そして、そのダイヤモンドの輝かせ方として、四正道を説いているという形である。
では、その四正道とはどういう内容なのか。本書の中で個別に語られているが、この章では概略的に書かれているので、その部分を引用・要約する。

①第一の原理「愛」〜与える愛から始める
与える愛の本質というのはいったい何かというと、まず、そこに「自他一体の悟り」があるのです。〜中略〜「他人と自分は違う」と思っているからこそ、いろいろな摩擦があり、軋轢があるのです。「自他は一体であり、共に神仏の子である」ということ、「唯一の神から分かれている」ということを知ったときに、人間は愛さざるをえないのです。
その愛とは何でしょうか。〜中略〜「無償の愛」です。「見返りを求めない愛」であります。自分を愛するがごとく他人をも愛さなければならないのです。〜中略〜
与える愛の本質は慈悲であり、これは、釈尊の教えの根本なのです。

幸福の科学の十大原理 上巻P.78〜80

②第二の原理「知」〜正しい仏法真理の知識を持つ
「知識」「正しい仏法真理の知識」を持ってほしいのです。これを持っていなければ、本当の意味で人間は自由自在にはなれないのです。〜中略〜
「仏教のなかにも真理はある。神道のなかにも真理はある」〜中略〜
ですから、正しい仏法真理の知識を持ってほしいのです。これが「真理は汝を自由にせん」ということです。

幸福の科学の十大原理 上巻P.80〜82

③第三の原理「反省」〜自分の誤ったところに気づき、それを正す
これは、「正しき心の探求」とも関係がありますが、人間というのは、もともと神仏の子であり、光り輝いているものです。
ところが、この世的に生きているうちに錆びついてくるのです。これを磨くのが自分の修行なのです。
「個性がある」ということは、「自分というものを大切に育んでいきなさい」という意味なのです。
自分で自分の誤ったところに気がついたら、それを正さずして、いったい誰が正してくれるのでしょうか。心のほうは、そうはいかないのです。自分がやらなければ、きれいになりません。〜中略〜
反省の教えというのは、まず「阿羅漢」に至るための教えなのです。阿羅漢というのは、六次元上段階の境地です。光の天使の予備軍であり、菩薩になる前の登竜門です。菩薩になるには、その前に、「反省行」という道を通らずしてはなれないのです。

幸福の科学の十大原理 上巻P.82〜86

④第四の原理「発展」〜自分・他人・社会の発展とユートピア建設
この三番目の反省の次が「発展」なのです。反省なくして発展を求めると、つまずく人も出てきます。なぜならば、自らの錆を落とさずしてメッキをしているからです。〜中略〜
菩薩というのは人を救う段階なのです。人を救う前には、ある程度、自分を悟っていなければいけないのです。それが阿羅漢です。阿羅漢で自分を悟った人が、次に愛他・利他の行によって、菩薩となっていくのです。この菩薩が、やがて次に、「本来、闇なく、悪なく、影なし、光のみ」の世界へ入っていくのです。これが如来なのです。〜中略〜
「反省のあとの発展」であるわけです。
これから、みなさんには発展していってほしいのです。発展のないところに、本当の幸せはありません。
そして、発展とは、「自らの発展」、それから、「他の人々の発展」「社会の発展」「仏国土ユートピアの建設」です。

幸福の科学の十大原理 上巻P.86〜88

以上が第一章の要約になる。
一気にやってしまったのでかなりボリュームが多くなってしまい、反省している。
もう少し読みやすくなるよう努力したい。

まとめ

  • 青年時代から立宗まで、そしてその後の進め方についても、主は内面をよく統御させながら慎重に堅実に物事を進めていた

  • 幸福の科学は「真理の学習」を非常に重要視しており、ある程度悟りを得た「伝道の核」になる人の排出を大切にしている

  • 幸福の科学ではこの世とあの世を貫く幸福を追求しており、そのために「現代の四正道」を用いた「正しき心の探求」を通して阿羅漢→菩薩→如来と成長していくことを期待している

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