派遣エンジニアになりました。

これまでの流れ

システムLSIの評価エンジニア

 約6年間、LSIテスターとかESDテスターとかいう機械を使って、システムLSIの電気的特性とか静電耐圧の評価をして、量産検査プログラムを作る、という仕事に従事。受託開発業者として依頼元の会社へ常駐。

 設計情報を入力すると、これに合わせたプログラムを出力してくれる便利ツールがあったのでプログラミングスキルはほとんど必要なし。だがしかし、設計の最終工程ということで、前工程で生じた全ての遅れを吸収する必要があって忙しかった。

 残業時間は少ないときで50時間ほど、多いときで150時間ほど、忙しいのが続いて、残業100時間越えがしばらく続いたとき、「たまには定時に帰ってくださいよ、私が代わりにやっておきますから」と後輩に促された際、ゾロゾロと「今日どこに飲みにいく?」とか笑顔で会話しながら会社を出ていく依頼元の社員たちを目にして、頑張って仕事するのがアホらしくなり退社。

組み込みソフトウェアエンジニア(受託開発)

 約10年間、組み込みソフトウェアの受託開発の仕事に従事。主にローエンド向けのマイコンで動く、OSレスのソフトウェア開発。言語はC言語。Linuxのポーティングも経験。OS上で動くアプリケーションはLinux、AmazonFreeRTOSを経験。

 管理者不在、個人事業主の寄せ集めのような会社で、「課長」という役職者は存在するが、誰が何をやっているのか把握をしていない状況。営業や課長以上が好き勝手に仕事を取ってきて、一応ソフトウェア開発課の課長に
「**くん、空いてます?仕事があるんですけど」
と話しを通す。
「本人に聞いて」
が毎度の答え。誰が何をいつまでに、を誰も把握していないので、ハッキリと断れない人間には次から次へと仕事が溜まっていく。

 2~3か月程度の期間の開発案件が2~3本並行で与えられ、更に1~2本は派遣に依頼をしてそちらの管理を行うような環境。残業時間は少ないときで20時間ほど、多いときは200時間を超えていたと思う。30連勤なんかもあったので。

 最悪なのは受注したことを1か月以上も知らされないことがあること。課長がうっかりさんで忘れてしまうらしい。「あ、そういえば言ったっけ?言ってなかったっけ?言ったよな?あの件、受注したからやっといて。一応もう一回メールしとくから。言ったからな!」とか急に言い出して、フタを開けてみたら受注から1か月以上経過していた、ということもあった。

 で、10人もいないソフトウェアエンジニアが4人も5人もうつ病やら適応障害やらで次々と会社に来なくなり、その人たちが抱えていた案件まで処理するはめに…。ということもあった。最悪の会社に見えるかもしれないが、誰にも干渉されず自分の好きなように仕事ができる、という点では気に入っていた。

 でも経営不振により退社。急に「金がない。銀行からも借りられない。ペンの1本も買うな」などと言い出し、冗談かと思ったら本気。少なくとも私が見ているソフトウェア開発の範疇では赤字の案件などない。上層部を問い詰めたら、「在庫管理をしくじった」とのこと。

 「モノを作って納める」ような仕事を始めて、そちらでロクに在庫管理をせずに部材を買えるときに買えるだけ買う、ということをしていたら現金がなくなって在庫の山になったそうだ。当たり前だと思う。「これからはちゃんと在庫管理していくんですよね?」ということで待つこと1年半。結局何も変わっていなかった。会社に現金はなく、在庫は豊富。自転車操業状態だ。「コロナのせいで業績が悪化したということにして、目先の運転資金を借りられるだけ借りた」と笑顔の取締役を見て退社を決意した。

組み込みソフトウェアエンジニア(メーカー)

 ソフトを作るなら、自分の会社の名前がついた製品として世に出ていってほしい、という思いもあり、メーカーにて組み込みソフトウェア開発に従事。となるはずが、ここでとんでもない落とし穴があった。募集要項や面接で聞いたようなソフトウェアの開発なんて仕事ではなかった。

 開発済の製品の設定ファイルを編集して、顧客向けのカスタマイズをして動作確認をする、という製造ラインの一部のような仕事だった。ソフトウェアの設計、実装、デバッグなどは全て外注委託。社内にはソフトウェアの仕様書なんてない。配属先のメンバーが自分たちでプログラムを書いていないし設計もしていないなんてことは入社して1週間もすれば気が付いた。   

「カスタマイズ対応で製品仕様を覚えて、それから設計とか実装かな」なんて考えながら過ごすこと1年半、相変わらずカスタマイズ対応のみ。しびれを切らして課長に聞いてみた。
「面接で言っていたことと仕事内容、違いませんか?」
「あぁ…ですよね。募集要項に記載してあったり面接で説明したような仕事はお願いしていないので、そう感じるのは当然だと思います。」

 衝撃的だった。俺の1年半を返せ。怒りが込み上げてきた。課長以上は自分たちで何も作れないことに危機感を抱いており、自分たちで作りたいという思いでソフトウェアのエンジニアを募集したが、それを係長以下に落とし込めていないと言うことらしい。「今はできていないけど、少しづつでも自分たちで作っていきたい」と説明があったならまだしも、「自分たちでソフトの設計、実装、デバッグ、評価をしている」なんてウソをついた上でこの有様。卑劣だ。

 そもそも、製品の動かし方や仕様すら社員が把握できていないような状況だったので、そんな彼らが自分たちで作るなんていうことは望めないのかもしれない、と今では思っている。思ったのと動きが違って、「何でだろう?」なんて社内で3日も悩んだ挙句、フラッと通りかかった外注さんに「これ何かわかります?」って聞いたら「こういう設定になってません?」即解決、なんてことが何回もあった。もはや自社製品だなんて呼べないレベルだと思う。

 社内で色々と隠さなければならないこと(課長には隠しておこう的なことや、課長が部長に対して言ったウソが本当になるように振る舞う的なこととか)が多すぎて疲弊していたのと、やたらと堅苦しい社内の雰囲気、毎日15人くらいを集めて、15~30分に渡って開催されて発言を強制される昼礼、何故か残業時間の集計が30分単位で、一日当たり最大58分の残業がなかったことになるシステム、やたらとキレる課長や部長、課長や部長がキレると空気を読んでウソを言う人たち、休日には会社の携帯電話を持たせられていつでも連絡取れるようにしておけと言われる(そんなの休日ではないと思う)などなど、色々と嫌気がさしていたので未練なく退社。

派遣エンジニア

 ソフトウェア開発には携わっていたい、メーカーに憧れを持っていたが、メーカーなんて他人にお願いして作ってもらっているだけ、という現実を知った。もはやメーカーに拘る必要はないので、それなら派遣として働いた方が色んな環境を経験できて楽しいんじゃない?ということで、人材派遣ビジネスを行っている会社の正社員として働くことにしました。

 とりあえず最初の案件は「ソフトウェアの検証」ということで、以前から興味があった部分なのでしっかりと勉強して取り組んでいきたいと思います。

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