拾い読みができない話

ここ7年ぐらいにわたって、年間100冊近く学術系の本を中心に読むことが娯楽になっているぐらいの活字中毒の私ですが、「拾い読みができない」ということに最近悩んでいます。

我らが資本主義社会は効率第一、スピード第一。拾い読みができないせいで、仕事に関係するような本をわざわざ「はじめに」から「おわりに」まで一文字一文字読み進めるようなことを繰り返している私は非効率的なのでしょう。

今の社会で「輝いている人たち」は、外部的な刺激に対してあまりに効率よくスピーディーに対処してしまうため、その過程における「自分自身」に対するアプローチまでまるでディープラーニングのようなEnd-to-Endのブラックボックスになってしまっているのではないかと疑ってしまう気持ちが少しあります。(私には想像がつかないぐらい頭の回転が速い人たちにはそんな問題は生じないのでしょうか)

話が早速脱線しましたが、全ての著作は私にとって誰かの生み出した一つの作品なので、小説だろうと学術書だろうと、そのすべての流れを追わないと受け止めきれない。そんな気持ちが勝ってしまって拾い読みができなくなってしまうのです。
どんなに平坦で決まりきったことを書いている各学術分野の基礎的なテキストですら、通読すると細部に「魂」が宿っていることが見えてきたりする。それが楽しいから本を読む手が止まらなくなるのです。

だから仕事に関する本、特に急いで読まないといけない本を読むのは相変わらず苦手です。

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