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読書月記(2019/5)

2019年5月の読書冊数は16冊。今年はペースが速く、1月~5月でちょうど80冊読了したようです。6月からは量より質だなと思っている状況です。

今月読んだ本の中でも特に為になったな、と思う本は以下の3冊です。

[1] 木村幹「日韓歴史認識問題とは何か」ミネルヴァ書房(2014)
[2] 小林慶一郎「財政破綻後 危機シナリオの分析」日本経済新聞出版(2018)
[3] 佐々木毅「民主制とポピュリズム」筑摩書房(2018)

どれも迂闊に私論を述べるとすぐに炎上しそうなネタに関する本ですが、今月は狙ってそのような本をチョイスして読んでいる時期があったので、その結果です。

[1]は日韓歴史認識問題の歴史的経緯を可能な限り史実に基づいて分析している良著です。嫌韓本やSNSなどでの反韓思想の表明が良く見受けられる反面、巷では韓流ドラマやK-POPがある程度流行している様子も見られる現代において、何故これほどまでに政治的な問題が長期にわたり一般大衆の一部にまで浸透してしまっているのか、不思議でならなかったこと。加えて、本問題の駆け引きにおいて日韓がそれぞれどのような論を持ってきたのかという点について歴史的にできる限り中立的な視点から確認してみたいと感じていたところで偶然本書を手に取りました。
本書を通して得られた認識として、歴史認識問題というのは両国の国内世論を動かすためのツールとして利用されてきたということが現状に大きな禍根を残しているのではないかということです。問題を作り出してきたのは歴史的事実というより、政権によりうまく操作される無知な我々庶民の生み出す誤解の集積なのかもな、なんて思いました。

[2]は、財政問題に関して数多くの書籍を出している小林慶一郎慶応大教授の直近の編著作です。巷には財政問題に関して様々な妄想が飛び交っている状態です。「日本国債は国内で消化されているから残高が増えても安全」だとか、「昔は金利が高かったから今後財政不安で金利が上がっても問題ない」などといった論がおそらく本人の理解を超えた伝言ゲームとしてただただ広がっていく時代のなかで、一歩立ち止まって「正しい理論は何か?」と自問して調べてみるのは良いことだと思います。しかしながら、現状のような金融経済環境における現状のような財政状態は過去に例のない状態といっても過言ではなく、「科学的に」考えるのであれば「正しい理論」は今だ不明であり、様々な前提を持った様々な議論が交錯している状態であると言って間違いではないと思われます。(そもそも現在進行形で議論されている経済理論はすべてある程度の現実の捨象を行ったうえでのモデルである以上、分析に役立つか否かが重要で、正しいも何も無いと思いますが、、、)。
そのような状況である、という認識に立てば、財政破綻が起きたときに何が起こりうるのかということを、タブー視するのではなく、経済学のツールを用いてよく分析してみることは重要であると感じます。本書はそのような本です。
でも本音を言えば、財政破綻がもし仮におこったとして、そこで最も損をしない、願わくば儲かる立ち振る舞いをしたいと思って読んだのです。

[3]は各国政治におけるポピュリズムの動向についての某元総長の著作です。「民主主義」と「ポピュリズム」って何が違うんだ?ということがよくわかっていなかったので読んでみました。一番驚いたのはいつの間にかドイツやイギリスだけではなく、ヨーロッパのいたるところでポピュリズム政党が躍進していたことです。自分の不勉強を恥じました。本書を読んでも依然として「民主主義+IT」の帰結はポピュリズムなのでは?という感じがします。スマートフォンが若者だけのものではなくなり、あらゆる年代の人たちにおいて、「情報に触れる力ばかりが成長して、情報をかみ砕く力が急速に弱っていく」ように(私には)見える世界の中で、どのようにして「熟議」ができるのか、よく考えていかないと民主主義は凶器になるやもしれませんね。

こんなところで今回の読書感想文はおしまいです。
今回の読書に絡めて普段考えていることについてのショートコラムをくっつけて本日は終わりにしようと思います。

最近「浮遊する言葉」と「地についた言葉」という観念で自分の知識空間を整理することをはじめました。「地についた言葉」というのはその言葉の表すものが他の「地についた言葉」と強く結びついて連関することでまとまった「知識」になっている言葉です。「浮遊する言葉」というのは、他の言葉とは強固に結びついていないものの、何らかの重力のような力によって知識空間内に留まって(=長期記憶になって)忘れなくなっている言葉です。「浮遊する言葉」は「地についた言葉」と同様に自らの発言の中に現れますが、その意味は「ことわざの中の知らない単語」のようなものであり、「見たことある使われ方」としての意味しか持ち合わせていません。結局、「浮遊する言葉」は知識のふりをする疑似知識です。そのような言葉が自分の口から発せられることに違和感を感じるようになってきたため、「浮遊する言葉」を捕獲して「地についた言葉」に育て上げる大作戦に打って出たというわけです。
ここまで読んでくれる根気ある読者さんならば、自分自身の持つ言葉の中に「浮遊する言葉」が無いかすこしだけ気にかけてみることで、本当の知識をさらに広げるチャンスが得られると思います。

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