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自分の考えをとらえることの難しさについて

「さて、あなたが今朝起きてから現在までに考えたことを順番に全て話してください」
もしそんな質問を何処かでされたら適切な返答をすることができるでしょうか?
今の私にはできません。
出てくる記憶は精々現実に発生したいくつかの事柄程度です。例えば、「朝○○を食べた」ぐらいです。そこから私が「朝、○○を食べようと考えた」ことが推測できます。
より複雑なアイディアになると、偶々メモを取っていることでもなければそのまま思い出すことは困難です。

普段、私はそれなりの頻度で「面白いな」と感じるようなことを思いついている気がします。しかし、その中から拾えるものはメモを取ることができた1つ2つぐらいです。しかもメモを取ったところで、その時と同じような思考回路でその思考を読み取ることは困難です。振り返ってメモを読んでみて、「ちょっと何言ってるかわからない」となるケースも多々あります。

皆さんも同じなのでしょうか?
私には他の人のことが分かりませんが、たいていは同じようなものだと想像しています。

私は仕事でも調査研究・開発などを行い、日常でも様々な事柄を調べて分析することを趣味にしているため、思考の大半を取りこぼしていることは単純に自分の持つ思考キャパシティの大半を無用にしているように感じて非常に残念です。

そもそものところ、考えを全て言語化して表現することはおそらく不可能なのでしょう。「考えのメモ」と「考えそのもの」は異なります。

人間の脳が人工ニューラルネットワークと同じように動くとすれば、言語化されていない考えはネットワーク上の計算フローを「何か考えていること」と感じているだけなのかもしれません。そう考えれば、それを無理やり言語化することで落ちる情報量は相当なものだと納得がいきます。

そんなことを考えていると、いつか「考えそのもの」を追体験するデバイスが現れ、新たなメディアとして「本」を代替するような未来も想像できます。

青春ラブストーリーからホロコーストの記憶まで、その時のあらゆる「考えそのもの」をそのまま保存できるようになった世界で人はどのように生きるのでしょう。1つのSFが書けそうです。

話の行く先がわからないままに書き進めたのであらぬ方向に進んでしましましたが、これで終わり。

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