ガストにいたママのイライラが、自分に重なってツラかった話

みんな大好きガストで山盛りポテトを食べていたある日曜日。終始がみがみしてる幼児連れのママさんと居合わせて、子育てをしていた10年前の自分と重なって気持ちが重くなった。

イライラ具合をいくつか挙げるとこんな感じ

  • 「さぁ、何食べようか」からの「それはダメ」「これもダメ」

  • 「早く食べなさい、ちゃんと食べなさい」せかすせかす

  • 「おいしいって言うんだよ(おいしいの押し付け)

  • 「嬉しいね、よかったね」(嬉しいの押し付け)

  • 「だから言ったでしょ」「ほらもう、いつもこぼす」

大大前提だけど、このママさんが常にイライラしているのか、たまたま余裕がなかった背景なんて一切知る由もない。なので、このママさんについて良し悪ろしを語るつもりは毛頭ない。子育て中にイライラすることなんて通常営業だし、私だってそうだったし、っていうか…もお、むしろ泣きたいほどそうだったから、ガストで居合わせたママさんの一言ひとことが、自分が子育てしてた頃を思い出して苦しかった。

あの頃、私はなんであんなにイライラしてたんだろう

まず、真っ先に思いつくのは「ちゃんとした人に育てなくてはいけない」という焦り。しかし、あの時の私が目指していた「ちゃんと」というのは、いったいどんな姿だったんだろうか。こぼさないこと?箸が使えること?食べ物に感謝すること?いや分からない…わからないんだけど「ちゃんと」した人に育てなくっちゃいけなかったんだ。

次に挙げるとしたら、子どもを思い通りに動かしたかったこと。私のタイミングで「おいしい」といってニッコリ笑ってほしい。店員さんに「ありがとうございました」と可愛くお礼をしてほしい。私が促したら「美味しい」と言ってほしい、素直に従ってほしい。あれは…今思えばまぎれもなく支配欲だったと思う。

正体がわからない「ちゃんと」を目指して育てた私の娘は高校生に

私の子育ては後悔ばかりで、それこそちゃんとした親にはなれなかったけど、高校生になった私の娘はそこそこ「ちゃんと」してるし、あんまり「ちゃんと」していない。私が指示するとあからさまにふてくされて嫌々行動するけど、お願いすると素直に手伝ってくれる。
私の娘はちゃんとしてて、ちゃんとしてない、普通の高校生だ。

「ちゃんと」の呪いを解くのはやっぱり教養

自分の中にある漠然とした「ちゃんと」は呪いのようだ。勝手に思い込んでいるだけと言えばそうだけど、テレビや風潮、親から刷り込まれた呪いだから、根は思っているよりずっとずっと深い。親だってその親から刷り込まれているんだ。この呪いを解く鍵は、やっぱり教養だと私は思う。教養とは知識や学問のことをいうらしい。いろんな意見や考えを知ることで、漠然とした「ちゃんと」が、具体的な「目標」になるんじゃなかろうか。

教養があると、会話であれなんであれ、選択肢が生まれるのかもしれない。
即効性がある魔法じゃないけど、ちょっとずつ積み重ねた知識が教養となって自分を助けてくれるのだから、減らない積み立て貯金みたいなもんなんじゃないかな。

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