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ふらっとやってくる、19歳の卒園児から「がんばって」と励まさられた( ´艸`)

今日はうれしいことがありました。

児童発達支援を始めて22年目になる施設にいるのですが、そこへふらっと卒園児が仕事帰りに遊びに来てくれました。

その方は、現在19歳。

幼児期の記憶も鮮明にあり、「〇〇の時〇〇だったよねぇ~」
「僕が〇〇した時に先生怒ったよねぇ~」などなど過去の思い出話や「僕が〇〇したらどうする?いや?」など嬉しそうに聞いてくる。

正直言うと、年に数回予告もなく表れて毎回恒例のような会話をして帰っていく。

正直来てくれると無視もできないので、業務が・・・と思うときもあるけれど。
やり取りはいつものやつなので、新鮮さもないけれど。

何でしょうね、単純にうれしい時間なんですよね。

今日なんかは、今から会議があるから17時になったらおしまいねと伝えて別れた際「仕事頑張ってね!会議も頑張ってね!!」って応援されちゃいました。

何か、泣けますよね😊

ふらっと逢いたくなって、逢いに来てくれる。

私はその人の人生の一部になれたのかも?って思うと、この仕事をしてて良かったと思いますよね。

障害を持っている人にとっては、まだまだ選択肢が少ない社会です。
なので、私たち福祉の人間はその方の伴走者となりうることがある。

状況によっては”死”を突き付けられることもある。

人は死んじゃいます。

そんな時、私たち福祉の人間はその方に何が出来たのだろうか?
必要とされたのだろうか?

って考えちゃいます。

知的障害をもっている子ども
自閉症スペクトラムの子ども
ADHDの子ども

障害があるからと、支援者が上から目線で対応していませんか?
発語がないからと、支援者中心の支援をしていませんか?

何人かの大人になった卒園児から、「あの時は言えなかったけど・・・」って告白されますよ。

健常と呼ばれる私たち以上に、覚えている方も多い。
逆に忘れることが出来ない方もいますからね。

逆にいうと、誠実に対応をしていれば応援もしてくれます。

やっぱり一番大事なのは、支援力の土台の”人間力”だと思います。


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