私の知っている”私”は本当の”私”なのでしょうか?本当の”私”はどんな”私”?
家族や親せきがいて、職場という組織があり、仕事でであった子どもや大人の方たち。
私という”人間”は、私が理解している”私”とその他の関係のある人たちの理解やイメージの中の”私”がいる。
間違いなく、私は私だ。
が、しかし私を知っている人の数だけの”私”がいる。
私にとっての”私”は自分自身なので間違いない。
しかし、違う私を知っているコミュニティーでは、私の知っている”私”ではなく、私知っている人の”私”である。
その、自分ではない他人のイメージで膨れ上がった”私”が思いもよらず、自分自身の”私”に襲ってくることがある。
以外に、自分自身の”私”は弱いときがあり、他人の作り上げた”私”に負けそうになる時がある。
負けた瞬間から、本当の”私”を見失ってしまう。
人は、繋がりたいから。
つながらないと生きることが出来ないから。
他人の”私”が気になり振り回されてしまう。
ブランド品を身にまとった”私”は誰のための”私”?
やりたくもない親切をする”私”は誰のための”私”?
今この瞬間だって、”私”の為の”私”であることが出来ているのか?
しかし、人と繋がらないと生きていけないということは、人のための私も”私”だし、他人の思い描く私も”私”だったりするのかもしれない。
あなたという”私”は本当にあなたの”私”ですか?
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