どうして「困った子」になるんだろう?
私の職場は、児童発達支援センターである。
ですので、基本障害があることもたちが通う園である。
うちの園は、三歳からの受け入れをしています。
以前は、在宅からの始めの集団として入園パターンと親子療育を経て入園パターンが大半だったのだが、児童発達事業所がたくさんできて集団経験をしてから転園という形で入ってくる子ども、そして通常の幼稚園・保育園から転園してくる子どももいます。
今回は、通常の幼稚園・保育園から転園してくる子どもたちの話をしたいと思います。
先に話をしますが、障害特性があるからといって通常の幼稚園・保育園に行ってはダメだという話ではありません。
子どもの可能性はマジで無限大なので、どんなに優れた保育士であってもその選択が合っているのか間違っているのかなんて、子どもにしか分からない。
例えば、お世話好きのお友達が出来、日常を楽しく過ごしみんなと生活することが「大好き」って感じたとすればきっとそこでしか、芽生えなかった経験だと思う。
しかし、残念ながらうまくいくケースばかりではない。
周りとうまく折り合いをつけることが出来ないからすぐに手を出してしまうとか、お友達とうまく関わることが出来ず孤立してしまうとか、周りから「困った子」になるケースもある。
一度、「困った子」になってしまってから児童発達に転園してくる子どもは心に傷を負っている子どもが多い。
傷を負っている子どもたちの姿としては、「人と関わるが極端に苦手」「人の話を聞こうとせず一方的」「極端にこだわりが強い」など。
以前の折り合いをつけることが出来なかった集団の中に「居る」為の手段を獲得するために「困った子」になり、自分の心を守っているように私は見えます。
そんな子どもたちに私たちが出来ることは、あまり多くありません。
それは、時間をかけて「安心」してもらうことです。
場所に安心をしてくれたら、大人という存在が自分にとって「指示」や「叱る」存在ではなく、「助けてくれる存在」になれるようにします。
安心できる場所で大人とのよき関係を結ぶことが出来なければ、何一つ前に進めないと断言していい程これにつきます。
では、この大切な二つの要素はどうやったら頑なになっている子どもが受けれてもらえるのかというと、たっぷりの時間と自由度の高い保育(生活)だと思います。
生きたいところに行き、食べたものを食べ、遊びたい遊びをして、好きなだけこだわりを出す・・・
受容です。
集団生活のおいて、ルールを守らせないのはいけないこと。特別扱いをするとそれがパターンになる。
こんな言葉何度も何度も聞いてきました。
しかし、私はそうやって何人も何人も心を戻し笑顔で小学校へ送り出してきました。
障害を持っていると療育の質や療育プログラム、障害特性に縛られてしまい、困った子どもこそ通常よりも多くの「指導」を行い結果子どもだけでなく、大人も疲弊してしまうケースも何度も見てきました。
子どもの力はグラデーションです。
そして、明日には変化をしているかもしれない可能性を持っています。
しかし、通常の幼稚園・保育園と児童発達の園との境には明確なくっきりとした線が大人には見えていることでしょう。
事実だと思います。
しかし、子どもは単純に自分の手足をいっぱい伸ばして心をたくさん揺らして、身体全体で自分でいろいろなことを感じたいだけです。
その権利は、当然ながら子どもが持っています。
ただそれだけのことです。
しかし、
親が悪いわけでもなく、通常の園が悪いわけでもない。
そして、その子どもも同様に悪くない。
だから、私の役目は、そんな子どもたちに出来ることを今日も明日もするだけです。
ただそれだけです。
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