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仲間がいるから今日も頑張れる!

今日、信頼のできる仲間と障害者の支援計画の話をした
私たち支援者が障害というハンディを持っている人、知的障害を持っている人にどんな支援ができるのかという話

障害を持っている人は支援がないと社会生活は困難を極めます
事実生活が送れない人がいるのは事実です

では、私たち支援者はお世話をしてあげる存在なのでしょうか?
そして、お世話をするための施設が障害者施設なのでしょうか?

障害を持っている人は”障害者”と言われますが、正しいのですがちょっと間違いもあります

障害というのは身体ならば身体が動かせない
知的なら理解が伴わない
精神ならば気持ちのコントロールが難しい

ということになります

やっぱり、障害者ではないかと感じるでしょうが実は、
障害がある部分とそれ以外があり、それ以外は何ら自分たちと変わりません
人によっては、健常といわれる人たちよりも素敵な人はたくさんいます、障害があるが故に歪んでしまう部分もあるのも事実です

しかし、障害を持っている人は健常者がベースとなっている社会では一人で生活をするのが困難です
だから、その施設や環境、合理的配慮を行い一緒に生きていきましょうということです

私たち健常者にとっては「ふつう」って自分が基準なので”普通じゃない=理解が困難”・・・だから、支援者であってもその「ふつう」で物事を考えてしまう

え? 「ふつう」って何なん?
あなたの基準は本当に誰でも通用する「ふつう」なんですか?

障害に対して適切なサポートをするのは当たり前で、ある意味それは環境配慮レベルのこと
大切なのはその上に成り立つ、その人自身に対する人としての対応をどうするのかというのが”支援”であると私は強く感じる

そして、今日話をした仲間は強く共感してくれる
そんな仲間がいるから、私は明日も保育や支援をすることができる

手を煩わすのも子どもだが、やっぱり元気をもらえるのも子どもから

どんな想いを馳せながら人(障害ある人)に接するかで返ってくる感情も重さも変わる

私はめんどくさい人だから、何度も何度も想いを馳せ届くまでぶつかってしまう

こんな奮い立つことができるのも、仲間がいるから一緒に悩み苦しむ仲間がいるから

本当にありがとう 明日また互いに頑張ろう

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