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本をダシにする

 長い間、読書をテスト勉強の延長線上でとらえていた。しかし、『知的生産の技術』をよみ、かんがえ方が変わった。

本をダシにし本をダシにして、自分のかってなかんがえを開発し、そだててゆく

梅棹忠夫『知的生産の技術』(岩波書店、1969、p125kindle版)

 
 今までは、本の内容をおぼえようということに躍起になっていた。テスト前に必死に教科書を丸暗記するように、本をよもうとしていた。試験勉強から脱却することができずにいた。よむこと、即ちおぼえることだった。

 しかし、それはひじょうにきゅうくつだった。

 本をダシにする。よむことで、みずからの考えがかたちづかれていく。本をダシととらえるだけで、軽やかによむことができるようになってきた。たのしみになってきた。この本は、じぶんをどう触発してくれるのかと。

 一夜漬けのように、本を丸暗記しようとするのではなく、よみながら、触発されていく。おぼえていくよりも、かんがえがうまれていくことに重きをおく。

 ならば、自分にとっての良い本とは、読めば読むほど、ダシが出る書物だろう。人々が「古典」と呼ぶ本は、よめばよむほど、よいダシがとれるからこそにちがいない。

 

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