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伝えるということ

来月で登米市に移住し1年が経過する。
絵にかいたような”あっという間”だった。
同時に新しい地図を描いていくようにいろんなことに挑戦し
トライ&エラーの繰り返しの1年だった。

そんな中、最近「講和をして」というお話を頂くことが増えた
ヨソモノとして見た地域を話してほしいというご依頼だ。

学生のころからバンドのライブとか前職でもセミナーなど受けていいた
こともあり、緊張とかやり方とかはあんまり考えずに出来ると思っていた。
でも、登米市に来てからの講和の相手は
未来のある学生さんとか登米市を気づいてきた先輩たちにお話しをする。

「こんな半端物が何を話すせばいいんだ・・・」というのが本音。
同時に、前職での”経験”と自負していたものの正体が
”天狗”になった自分というホラー映画のような苦しい現実が見えた。

今日、お受けさせていただいたのは商工会の町域部会で
「改めて地域を盛り上げたいから」というものだった。
自分の考えや思いがまとまらずギリギリまで話す内容が決まらなかった。

通り一辺倒のワークショップは相手を考えず、場しのぎのものになるんではないか。
その内容をした結果、参加者に何が伝えられ、どう未来に繋がるかと考えると生半可な内容にはできない畏れが出てきた。

何とかまとまり、本番。
実際、講和時間を延長してしまったが、直接会長さんから
「ありがとう。ほんとうによかった」という評価を頂けた。
勝手ながら、途中から皆さんが話を聞いてくれているという感覚もあった。

やってよかった。自分の考えと向き合い、誰かに少しでも伝わった。
当たり前に慣れすぎて嬉びを忘れた講和は、自分の為でしかないことを忘れない。

そして、まだ払拭できない「自分は何者でもない」という感覚と
これから仲良く付き合っていこうと思う。
自分の中の”天狗”がまた顔を出してこないように。

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