【人生の分岐点】周りの反対を押し切って選んだ道とは??
こんにちは、今回は「創価大学へ進学するまでの過程」を話したいと思います。
投稿を見てくれている方はご存知かと思いますが、私は青森山田高校→創価大学へ進学しました。
創価大学はサッカー推薦がなく、サッカー部は東京都3部リーグに在籍。(現在は東京都2部リーグ)
公式戦ではベンチメンバーも埋まらない状況。監督はいませんし、週5日の練習活動は学生だけで取り組みます。
そんな創価大学に入学しようと思ったのは、高校3年の春休みのタイミングです。
私は、トップチームの春の1ヶ月遠征(サニックス杯など)のメンバーに外れていました。理由は、単純に自分の力不足。
その為、私はセカンドチームのメンバーとして、半月の金沢遠征。学校も春休みだったので、今後の進路先について、考える時間がありました。
たくさんの考える時間がある中で、私は「人より先を見据えた(大学後のことも含め)人生計画」をしていました。
今思えば、セカンドチームになったことで、創価大学の選択肢まで辿り着いたかもしれません。笑
「大学卒業後から先までを見据えた思考」
「将来何になりたいのか、やりたいのか」と、考えた時に「世界」というフレーズが、私の頭に浮かび離れませんでした。
「世界」は、幼い頃からおじいちゃんやお父さんに、常に言われ続けてきた言葉。
「世界を飛び回る」
これは、私の人生に必要な過程であり夢だから。
ふんわりと頭の中で創造が完成したら、後は行動するだけ。
親と何回も電話をして説得。創価大学の先輩やOBの方とも繋がり、電話で相談。この時は、自分の持っている全てを使い、道を開拓していました。
「自分の人生(進路先)は、自分で決める」
これは進路だけでなく、何事に置いても同じことが言えます。
周りに何をどれだけ言われようが、最終的に決定して実行するのは自分自身。
だからこそ、自分の決めた事は、責任を持ってやり抜かないといけないし、自分の選択に誇りを持って生きていかなければならない。
私は、どんな物事に置いても、目標を決めたら細かく逆算します。逆算は、自分のやるべき事を見失わなわず、モチベーションの維持に繋がります。
すいません、話が逸れてしまいました。笑
私は、サッカー推薦で大学に入学したら、4年間サッカーを続けなければ行けないことを理解していました。
全てを考慮した上で、私はサッカー推薦で大学進学せず、一般受験(AO入試)で創価大学に行く事を決めました。
私のサッカー個人成績は、「青森山田でプリンスリーグキャプテン&前期得点王、プレミアリーグスタメン出場&得点をマーク、インターハイ予選得点王」と、少なからず実績は残していました。
光栄なことに、いくつかの大学から推薦(かなり好待遇)を頂いていましたし、監督やコーチを通したら、進学可能な大学はレベル問わずですが、沢山あったと思います。笑
ここまで頭を振り絞って悩んでいたのは、人生で初めてでした。
卒業後の進路相談に関して、青森山田はトップチームから順番に監督と話すのですが、私は最後の最後まで悩んで未定のままでした。
監督も「早く決めてくれよ」なんて思っていたかもしれません。笑
因みに、「創価大学に行きたいです」と言う前は、「高校卒業して海外でプレーしたいです」と言いました。笑
監督の前で堂々と宣言しましたが、完全否定されて散りました。「海外でプレーしたい」と言ったのは、この学年では自分だけでした。
「海外でプレーしたい」と、口では何とでも言えるので、まず行動と。
私は、海外でプロサッカー選手になる目標を否定されて4年間大学に行かされるなら、推薦など使わずに自分の手で夢を掴み取ろうと考えました。
その結果、「グローバル大学である創価大学」へ行き、自由に海外に行ける環境を手に入れようと。
こうして、私は青森山田高校サッカー部から初の創価大学への進学を決めたのです。
この出来事は、私の人生にとって、一つの大きな分岐点でした。
読んでいただき、ありがとうございました。