のら努力家は日本語わかる?(6)のらねこ、“ちょっと考えれば分かるでしょ?”が分からない
分からないことに対して「分からない」と素直に答えると、「ちょっと考えれば分かるでしょ!」と怒りだす人がいます。
こういう人は「どういうふうに考えれば、何が分かるの?」って質問には絶対答えようとはしないんだけど、物凄いがんばってなんとか聞き出すと、物凄い斜め上の理想論を現実論とゴッチャにしてるケースが多いように思います。
なぜ彼らは “ちょっと考えれば分かる” なんて思うんでしょうか。
というより、なぜ人はちょっと考えれば分かる気がしてしまうのでしょうか。
こんにちは。いつも読んでくださりありがとうございます。
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僕は、目標管理アプリ Project Sylphius の開発・運営を行っています、TOMCAT HEART の中島といいます。
がんばってもがんばっても成果が出ず、もう何年も悩んでらっしゃる皆様。
そういう人にこそ目標管理が必要なのだとお伝えすべく、僕自身が自分の目標を管理してきた行動記録、または目標管理するうえで大切なことなんかを、なるだけ面白く書いてお届けしております。
現在は “のら努力家は日本語わかる?” と題し、がんばっても報われない人達が勘違いしがちなキーワードについて、ちゃんと成果の出る考え方を学んでもらう記事を書いております。
バックナンバーはこちらとなっております。
1. “ちょっと考える” とは何か
でも、この「ちょっと考えれば分かるでしょ」って言葉。
実際のところどういう意味なんでしょうかね?
言葉それ自体を文法的に解釈するなら、
人類の誰もが 常に絶対必ず 知っている手順で思考すれば
人類全員が必ず同じ答えに達する
かつ、その手順はごく短いものである
こういう意味になるはずです。
まぁ、この時点ですでに言ってることがおかしいですね。
人類全員が常に絶対必ず知ってる手順って一体なに??ww
常識で考えてそんな手順なんてあるわけないでしょ?
つまり、もしあなたが職場で、仕事に関することで「ちょっと考えれば分かるでしょ」と言われたとしても、それはあなたがすでに分かっている物事について問うているのではないのです。
その人にとって知っていて当然の知識を知らない(=物理的に脳内に情報として持っていない)ことが問題なんです。
ですが、思考手順の問題ではなく無知が問題なのだと最初から分かってる人は、その点を指摘したうえで「なんでそれを知らないの?」という言い方をするはずです。
たとえば転売をやってはいけないことだと知らず、自分の行為は卸業者と変わらないと考えている人に対しては、
卸業者は、一般人が入手不可能な手段で商品を仕入れている
卸業者は、本来正規の価格で買えるはずだった人の商品を横取りしているわけではない
これらの知識を明示したうえで、「なぜ知らないのか?」と質問するでしょう。
まぁ知らない人に なんで知らんの とか聞いちゃうのもそれはそれでアレですが、それはそれとしても、だからこそ「ちょっと考えれば分かるでしょ」という言い方をする人は、そもそも論点を整理せずに本能的に言葉を発していることになるわけです。
2. 問題はあくまで “知ってるかどうか”
次の例を出します。
以下の問いは、“ちょっと考えれば分かる” 系統のものでしょうか。
人を殺すのはいけないことかどうか
これを僕は、ごく短い時間の思考では分からない問題だと思います。
なぜなら、人が「ちょっと考えたら分かるでしょ」という言葉を使うとき、その人は往々にして物凄い高度な答えを期待していることが多いからです。
もちろん人を殺してはいけないルールが日本の法律に存在するかどうかであれば、小学校の社会の授業を真面目に聞いていた人ならすぐ分かります。
でも、人を殺してはいけないものかどうかという話題のとき、論点は常に日本の法律にあるや否やだけなんでしょうか?
それは必ず100%絶対ですか?
人を殺すのはいけないことかどうか、という議論の際に出てきがちな観点は、僕が個人的にパッと思いつくだけでもこれだけあります。
(多分探せばもっと、それこそ無限にあるでしょう)
正直申し上げて、僕には上記の半分もまともには答えられません。
この世の全てを知り尽くしているかどうかで言うなら、人を殺してはいけないかどうかすら僕には分からないのです。
で?
ちょっと考えれば分かるってなに?
そういうこと。
3. ちょっと考えれば分かるんじゃない。あらかじめ知ってれば分かるんだ。
人を殺してはいけないかどうかは、通常多くの場合、そのとおりです。
一般的な日常生活を送る一般人にとっては、人を殺すことは常にいつでも絶対必ず100%やってはいけません。
ですがそれは、“日本の法律で決まってるから” という理由が最も大きなものです。
条文化されている範囲では、それ以上の大きな根拠は特にありません。
日本政府(具体的には警察機構)は、自国民に殺人を犯した人がいた場合、その人を罰する権利を有します。
その権利を行使されてしまわないためには、人を殺さずにおくしかないのです。
また、法律によらない日々の小さな根拠としては、殺人を犯すと “被害者の近親者から復讐されるリスクを負う” という根拠もあります。
もしくは周囲の人々に “自分も殺されるかもしれない” というレッテルを張られてしまうこともあるでしょう。
あるいは、そもそも人間が同族殺しをしたくないと感じるのは本能的なものなので、それを根拠としてもいいでしょう。
でもそれらの知識は、全て知らなければ分からないことばかりです。
日本の法律に書かれていることを、生まれたばかりの赤ちゃんが最初から知っているでしょうか。
あなたは、カラスを虐めたら復讐されることがあること(つまり世の中に復讐という概念があること)を、生まれたときから知っていましたか?
あなたは、自分がどんな行動をとったらどんなレッテルを張られるか、一挙手一投足について全部分かってますか?
仮に分かっていたとしても、生まれたときから知って生まれてきたわけではないでしょう。
つまりこの世の全ての知識は全て知っていれば分かるものであって、本質的にちょっと考えれば分かることなんて存在しないのです。
仮に、知っていて当然の知識のみから推測できる知識のことをちょっと考えれば分かることと定義したとしても、その知識の組み立て方を知らなければ分かることはありませんから、それは結局知ってれば分かるのと同じことです。
ですから、分からないことに対して1人で考えてても答えが出ないことを恥じる必要なんかありません。
分からないものは分からないのです。
本当に恥じるべきなのは、あらかじめ学んでおくべきとされることを、あらかじめ学んでいなかった点です。
知らない知識を自力で考え出すのは誰にでもはできませんが、必要な知識を必要だと判断できた段階であらかじめ学んでおくことは誰にでもできることです。
(場合によって前提知識が必要で学べないケースはありますが、その前提知識自体も学ぶべきことの範囲内に含めれば、ですが)
人を殺してはいけない点についてあらかじめ学んでいるべきことは、
最低限こんなところでしょう。
いずれも小学校の社会や道徳で学ぶ内容です。
でも、それ以上を知っている必要は特にありません。
人を殺してはいけない理由を、あらゆる観点から完璧に答えられる必要も特にないし、分からないからってバカにしていいなんてこともないのです。
ただ、知らなかったために恥をかいたのなら、その時点で学びなおせばよいだけのことです。
4. 他人の期待はだいたい高すぎる
それと、他人の「これくらいなら知ってるでしょ」は、だいたいレベルが高すぎることが多いです。
なぜなら人は、自分が知っている知識までを常識の範囲内と見做す傾向があるからです。
だから高度すぎる知識を押しつけてくる人に対しては、知っている必要などないと主張することが大事です。
本当にあらかじめ知っているべきなのは、その人のレベルに合わせることではありません。
大事なのは、知らないことでトラブルになるラインをあらかじめ知っていることです。
ですから知識でマウントしてくる人に対しては、「それを知ってたら、どんなトラブルが防げるの?」と聞いてみるのも手かもしれません。
もちろん、それを聞いた結果その人がもし完璧な答えを出してたら、それはそれでマウントの上塗りになってはしまいますけどね。
だったとしても、そういう観点で得た知識はきっとあなたの役に立ちますよ。
そしたら、次からはきっと、“ちょっと考えれば分かる” ようになると思います。
ではまた次回。
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