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【感想雑記①フランス革命前後の時代】哲学のためのアートと、ロシア音楽と

2008年4月、就職後に初めて行った美術館。東京都23区、上野にある国立西洋美術館。その入り口にある、オーギュスト・ロダン「地獄の門」。
フランス革命、100年後のフランスでダンテの神曲により制作されたブロンズ像。同時期にロダン展も開催され、彼が鋳型の銅像作品を連作した背景を知ることができました。私は今も考える何かです…未確定でいい。

学生時代より、海外のJAZZミュージシャンが来日の際に、大都市に限局していることへの不満、フジロックへの憧れから、公衆衛生学を教育カリキュラムに組み込んである早稲田の国立国際医療センターへ就職しました。

23区内で人工で作られた山で高い、戸山。その近くの早稲田の学生街が私の一番馴染み深い街並みです。夏目坂を行ったり来たり。今も変わらず、新建屋(私の中では、建て替え時期に「バベルの塔」と揶揄していました。
それくらい過酷で、池袋公園で3日3晩雨ざらしで運ばれてくる方などで、夏期は人工呼吸機が最低1台、冬期は最低2台は稼働。術前術後の看護、ほぼケアミックスと呼ばれるERや医療連携室と近い部署。自分の病棟は、PCR検査が陽性であれば性別や年齢関係なく、受け入れの感染症病棟でした。
下は学生さんから、妊産婦さん、糖尿病合併のメタボの方々、上は90代の認知症高齢者。コロナウイルスが流行る前は、PCR検査は元来は結核の判別に使っていた検査です。)

そんな人間の1番の楽しみは、ようやく与えられた1人部屋の満喫。といっても、外出することが習慣化してはいたため、お昼は鮭のちゃんちゃん焼き風ホイル焼きや、きんぴらごぼうなどをお弁当に持っていき、夜勤明けに地下鉄に飛び乗って、後楽園や六本木の美術館などへ向かいました。

フランス革命100年後のロシアの上流階級の事情を描いた「仮面舞踏会」
複雑怪奇になってしまった男女の痴情のもつれ…エゴとは実に残酷です。

そんなエゴは、あまり好きではない自分は、早稲田の夕焼けを見ながら…
なんとも夕景が綺麗な街に出てきたことに感激していました。早稲田には、昔ながらの街と、美味しい料理店が多く散在し、近くで突撃隣の晩ご飯の方が…大江戸線の迎賓館が、私のお気に入りの鑑賞スポットです。

当時、段ボール2箱とテナーサックス、後は買った140ℓのツードアの冷蔵庫。洗濯機やトイレ、台所は共用。風呂やシャワーは別建屋にありました。
私は、病院にあったシャワー室を利用し、早稲田の銭湯によく繰り出していました。早稲田に来た当初は、この曲を歌っていました。
電池式のラジオで、東京モーニングラジオを拝聴するのが楽しみでしょうがありませんでした。「納豆は消費期限切れからが美味しくなる」今も実践しています。J-WAVEさんは私の生活必需品でした。東京生活のエスプリ、幸甚に存じます。
https://www.j-wave.co.jp/original/tmr/

どうしても捨てきれないものがあるとしたら…大切な思い出と生活感だと思います。カフェ飯、もうカフェはなくなってしまったけど…コーヒーの喫茶文化、美味しいお菓子。ほっとするひと時。洗濯はコインランドリーで、
ほぼ近所の早大生となんら変わらない素朴な毎日を過ごしています。




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