なんてハッピーエンドなガンダムなんだ!『機動戦士ガンダム ククルス・ドアンの島』感想

総集編でもある劇場版三部作ではカットされているが、作画崩壊も含め一部のファンに人気があるTV版15話エピソード「ククルス・ドアンの島」の劇場版リメイクである。

◆強くないアムロ
TV版での序盤ということもあり、アムロはそこまで強くない。罠も看破できずドアンが搭乗しているザクにあっさりとやられてしまう。ニュータイプ特有のあのエフェクト「キュピピーーン」となる演出は劇中に一度も出てこなかった。

また、帽子とは言えどジオンの徽章を身に着けたアムロっておそらく公式的には初だと思う。この時点ではジオン軍に対しての思いはそこまで強くなく、むしろ、ブライトが「二度もぶった」直後だったこともあり、どちらかというとブライトに対して何か思うほうが強いはずだ。

ストーリー上としてこの島での戦いの後に行われるランバ・ラル戦や黒い三連星戦などから、ニュータイプ兵士としての片鱗を発揮していくので、久しぶりに新米パイロットのアムロを見ることができる。

◆僕たちは大人になってしまった
全体的な映画を通して、ドアンやスレッガーに感情移入をしてしまった。

島の少年少女たちや、ホワイトベース艦内にいるカツ、レツ、キッカに対して、子どもの成長ぶりやわがままを温かく見ることが出来るようになり、そしてそれがすんなりと受け入れられている自分に気づいた時、「ああ、僕たちは大人になってしまった……」と思ってしまった。

この映画は「宇宙世紀シリーズのガンダム」、しかもファーストシリーズの1エピソードのリメイクという、どう考えても現代の若者向けではなく、昭和生まれのおじさんたちがメイン視聴者なのだ。

◆やっぱり技術と経験でカバーできる地上戦!
去年『閃光のハサウェイ』を見たときも感じたことだが、やはりモビルスーツの白兵戦は地上戦が面白い。『閃光のハサウェイ』では市街地で戦闘を繰り広げていたが、今回は荒野と化している島が舞台である。

そして強烈な銃火器を使用するわけでもなく、ヒートホークだけで複数人相手に立ち回る接近戦がツワモノの証拠でもあった。仮にドアンが現代の「スパロボ」に登場したら、「格闘」の数値が高いに違いない。

また、劇中では、かつて仲間だったジオンの兵士が「ククルス・ドアンかシャア・アズナブルか」というセリフを言っていたので、おそらく一週間戦争やルウム戦役の時に隊長として活躍していた伝説的な兵士だったのだろう。この設定は放送当時から付け加えられたのか、今回のための後付なのかは定かではないが、単なる脱走兵ではなくジオン軍の優秀な元軍人として広がりを見せていた。

何よりもドアンが乗るザクⅡが高機動ザクと互角以上に戦えているというのが胸を打った。「ザクⅡ」というちょっと前まで活躍していた兵器vs新兵器の高機動ザクという構図は、「昭和生まれのおじさんたちもまだまだ負けてないんだぞ」というメッセージとして解釈したい。

◆本編にあったあのシーンは……
作画崩壊も強烈に記憶にこびりついているが、あの名シーン「巨岩投げ」がなかったのは残念だった。一応、ザクの片手ほどの岩を投げつけるシーンはあったものの、現代の作画で「巨岩投げ」をどう表現するのかひそかに期待してたので、これについてはがっかりである。

◆誰も死なないハッピーエンドガンダム
島の子どもの一人が誕生日だったり、単騎で立ち向かっていったり、どことなく「子どもたちを遺して死ぬんじゃないか…」と死亡フラグが漂っていたのだが、それは杞憂であった。主要キャラは誰一人死なない。

エンディングのスタッフロール時に挿入されていくイラストでも、誕生日を迎えた子どもをしっかり祝っていたし、こんな心温まるように終わるガンダムなんて珍しい。富野監督だったら、おそらくドアンなり子どもなり誰かを○していたんじゃないかと思う。

TVシリーズのたった1話のエピソードをここまで広げて、迫力あるアクションシーンやキャラクターの展開、成長など映画としても見応えあったし、いい意味でガンダムらしくない映画だった。

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