明智光秀="あの説"を採用した意外な終わり方? 『麒麟がくる』最終回感想

◆時短がくる
率直に言うと、いろいろと時間が足りなかった大河だった、という感想だ。

放送前に発覚した当初の帰蝶役・沢尻エリカの薬物騒動、そして新型コロナウィルスによる放送と撮影の中断、それに伴う変化した撮影手段などが垣間見えて、せっかくのオールスター大河でやりたかったことが、なんだかいろいろとカットせざるを得なかった状況になったのではないかと察する。

なんだか序盤の斎藤家仕官の美濃時代が一番面白かったようにも思える。本木雅弘演じる斎藤道三を中心に、内乱、暗殺、家督争いが勃発した「長良川の戦い」や、そして織田家vs今川家の「桶狭間の戦い」などが発生。そんな中、"十兵衛クエスト"と一部で呼ばれたように、さまざまなミッションをこなしていき、時には農民に扮装して織田家の内情を探っていく姿など、コミカルな雰囲気もまとって様々な要素が内包されたエンタメ大河として見ごたえがあった。

朝倉家、足利家時代は信長包囲網のトリガーとなる摂津晴門が登場。他大河ではあまり見かけない武将だが、片岡鶴太郎のクセが強い演技も相まってとても印象に残った。

中盤の織田家仕官時代では、織田家が進撃していくに連れて、「これ本能寺まで放送が間に合うの?」という思いが強くなっていく。重要な合戦のシーンは結構カットされて、とくに光秀最大の功績とも言える丹波平定がダイジェストだったのは、ちょっとがっかりだった。明智藪なども含めた築城と内政のエピソードも盛り込んでほしかった。

がっかりと言えば、鉄砲の扱いについても不満が残った。序盤、あれだけ鉄砲についてのエピソードが盛り込まれていたのに、中盤・終盤では鉄砲の名人という設定はあまり活用されなかったように思える。織田家で鉄砲と言えば「長篠の戦い」が有名であるが、光秀は不参加してなかったものの、あのような最終回ならば、光秀参戦説を採用し、銃撃シーンを見せても良かったのではないか。


◆桔梗がくる
未だ直接的な要因は判明してないが、今回の本能寺の変は、さまざまな要素が融合した「複合説」が採用された。歴史ファンはどう思ったかはわからないが、別にこれでいいと思う。ただ秀吉黒幕説薄くても、秀吉の中国大返しは官兵衛が助言したのではなく、自ら藤孝からの手紙を読んで毛利家と争っている場合ではないと気付き、迅速な行動が出来たという設定は新しかった。

史実では、本能寺の変と同時に、堺にいた家康一行も排除しようとしたらしいが、今回は家康を討つことはせず、家康とともに天下を平定に向けて動いていたのも興味深かった。


◆架空がくる
一方で、駒を中心に、オリジナルキャラは必要だったのかとは思う。市井の町娘から見た戦国時代という視点もたしかに面白いが、美濃時代にあった光秀父との伏線や、ちょっとしたラブロマンス要素はまだしも、秀吉に文字を教え、家康に薬を教え、義昭に謁見できる立場なのはさすがにやりすぎなんじゃないかとは思った。

そして、1585年になっても東庵先生がご存命だったのが面白かった。30年以上、外見が変わってない最強の医者である。「健康麻雀」という言葉があるように、双六のようなゲームに興じると寿命が延びるのだ。


◆終焉がくる
光秀の散り際の見せ方については、史実どおりに、しっかりと最期を描いても良かったのではないか。何上に、他大名は光秀に呼応しなかったかのかということも説得力ある切り口で見たかった。

別に主人公だからと言って敗北を描いてはいけないという決まりはない。『真田丸』では、真田幸村が「大阪夏の陣」で敗北し、家康軍から討ち取られる最期だった。負け戦から見るドラマもより印象深くなるのだ。

もしかすると、中国大返しからの「山崎の戦い」は秀吉が主役で、光秀にとっては負け戦だし、敗走中に山賊から襲撃されて殺されたという逸話では、あまりにも後味が悪いためどこか希望を残したような終わり方をしたかったのかもしれない。


◆浪漫がくる
こちらが勝手に想像していたことなのだが、第1話の冒頭、山賊が明智村に襲撃したのを見た時に、「最終回で光秀が落ち武者狩りに遭うための伏線か!」と期待してしまったのだが、こうして光秀存命説が採用された。

家康と懇意にしてた演出もあり、天海=光秀という歴史ロマンあふれる含みを持たせたままの最終回だった。なんだか、2023年の大河ドラマ『どうする家康』にて、天海和尚(長谷川博己)が出てくるんじゃないかという淡い期待も寄せたい。

光秀の運命とともに、何かと悲運が重なった大河ドラマ『麒麟がくる』。このような状況の中、当初の年内終了だった予定をなんとか延ばし、一生懸命撮影を続けてきた演者とスタッフに、ただただ労いの言葉を投げかけたい。彼らにこそ、ようやく麒麟がきたのだ。

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