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違和感っていう方位磁石

違和感は、
自分を知るためのものだったのか。
と最近、思い返してた。

誰かの想いや表現に対して、
自分は・・・ちょっと違って感じるな、
と気づいたとき。

その人との感覚の差が、
正しいとか間違ってるとか、
優劣とかじゃなく、
その差が、
自分のオリジナルな部分、なのかもな。

その時点での。
誰かと違うことで自分の形や、
自分のいる位置が見えてくる。
いや、違うから自分なのか?

夫と出会う前、
ご縁あって、
ネイティブアメリカンで
メディスンウーマンの女性を招いた
数日間のワークショップを
何年か、少し手伝わせてもらっていた。

そのメディスンウーマンも
 もちろん大好きだったけど、
その主催の方たちで、
今でも私が心のどこかで拠り所にしている、
ちょっとおもしろい人たち。

彼女たちに声をかけてもらって、
いわゆるスピリチュアルな旅に
 連れて行ってもらったことがある。

私以外の3人は、
そんなふうにわざわざ見せないけど、
とても霊的な感覚のある人たち。

しかもみんな年上で、
経歴も超ユニーク、
社会的にも立派なと言われるようなみなさん、
に対して、
私は・・・まぁ、フツウの域を出ない。
そういうものは見えも聞こえもしない。

ちょっと緊張しつつも、
美味しいものを食べたり爆笑したり、
旅はというと、まるでゲームの中に入っちゃったみたいな、
たぶん、私の転機のひとつになった、
忘れられない旅になった。

帰りの飛行機で、
隣に座ったそのひとりと、
機内誌を見ながらおしゃべりしていると、
やっぱり面白いことを話してくれた。

「それぞれの人生の中で、
 他の人と同じことや
 同じ体験をする必要はないんだよね。
 だって、それぞれの経験は、
 大きな宇宙の向こうで、
 すぐに共有されるんだから。」

その言葉の行間に、
いっぱい詰まった愛を感じた。

私が目を見開いていると。
「この話をあなたにできて、
 なんかすごくスッキリしたー。
 これで完結した感じがする。」って。
ものすごーく腑に落ちた。
そのときの私には。

経験が足りないから私には理解できない、と
思い込んでいるようなことも、
いや、知らないうちに、
どこかの誰かみんなの
膨大な経験って、そっと自分に届いている。

だから、
だからこそ、
人の後ばっかり追いかけてらんない、
私にしかできないことがきっとあって、
そして、
自分がハッピーであるように、
そうあれるようにしていくだけでいいのか、
そんなふうに感じたのかもしれない。

今でこそ、
自分がふつうとか思えない。
ふつうなんて自分が作った枠だった。

当時は、
子どもの頃からずっと辛かった、と感じてた。
周りもテレビでも、幸せ幸せって言うけど、
 それってなぁに?って
考えてるような子供。

みんなと同じようにしているつもりでも、
大人しくしているつもりでも、
期待や常識から
すぐにドロップアウトしてしまう、
 どうしようもない自分がいたり、
器用貧乏だったけど、
見事な才能というのはなさそうだし、
霊的な世界のことも
 興味あるにはあるけど、分からんしー、
なんなんだ私は・・・
みたいなものがずっとあったな。

すべてが中途半端な私が、
どうしていきなり
あのミラクル旅に誘ってもらったんだか、
その時はぜんぜんわからなかったけど、
暇そうだったから?
旅のみんなの、
超普通に楽しい感じが好きでした。

わたしに霊的な感覚を求めるわけでもなく、
成長しろと促すわけでもなく、
わたしがその旅を楽しんで、
気持ちのいい土を一緒に踏んで、
美味しいものを一緒に食べれればいいじゃん、
という一貫した雰囲気で、
私を好きなようにさせてくれて、
ときどき私が出すおやつを喜んでくれた。

みんなが見せてくれたその、
 でかい愛みたいなスタンスは、
みんなにそんなつもりはなかったとしても、
私にはとーっても合っていて、
私のどこかに流れている気がする。

ふり返ってみると、
自分のことが分からなかった分、
けっこう違和感を頼りに生きてきたなぁ。

あ、こっちじゃない、
こっちでもない、
これじゃなかった、
こっちかも。

そうやって
形が見えてきた私を面白がって、
自分で着重ねてきた鎧に疲れがちな私を、
自由にしようとしてくれているのが、
このダンナなのかもなぁ。

自由の意味が、
以前とぜんぜん違ってきてるわ。

変人変態のこのダンナとの旅はいつも、
まさにあの時の旅みたい。
だから、初めての時だって
 驚きませんでしたよ。

ビジョンを頼りに飛行機や車を進めては、
立ちどまって、
降り出した雨からの伝言を聞いたり、
ウミガメと会話して、太古の叡智を受け取って進み、
キーマンとなる人と出会って、
その人のビジョンと重ね合わせ、
 方向転換をして…
想像もつかない感動や驚きが、
 あちこちにちりばめられている。

でも、いいことばっかりじゃない、
来るはずの船が来ず、
 島に置いてけぼりになったり、
暗くなってきたのに宿がなかったり、
旅先で交代で何日も寝込んだり。
まぁ・・・そういうこともあるのか。

そんなとき、
過去生で助けてもらった人に、
もう一度救われたり。

体、感情、時間、お金、距離などなど、
現実社会の制限があるから
 苦労もするしおもしろい。

予定通りなんてことはほぼなく、
この夫の場合は、
振れ幅がデカいから、
マジでいろんな涙が出るし、
ドキドキするけどねー。

そんなこんなは、
裏舞台がチラリと見えただけで、
物事ってそんなふうに
進んでるのかもしれない。

この世でしか与えられることのない体。
その体こそ人生の羅針盤、という夫の仕事スタイル。

違和感も、
気付いていないだけで、
心よりも、体のほうが先に
反応していていることはよくあるのかも。

同じことの中にいる安心感は
 とってもありがたい。

でも稚魚だって、
初めは群れをなしているけれど、
ひとりで大海へ泳ぎ出したりするんでしょう。

わたしにとっての本当は、
たぶん、
相手だけを変えさせたり、
否定するためじゃない、自分の感覚。

自分のこの違和感を携えて、
自分を知って、
違う相手を知って、
これからも世界を広げていけばいいんだな。

その楽しみさえない世界はもう、
この世じゃないかもしれない。

なんて。


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