子どもの偏食ストレスからの開放!大好きなこどものために。


親の思い通りになれば解決する、だなんて、
わたしはまだこんなところで思ってたんだ、
とガツンとやられた出来事があった。

うちの6才男児、家で野菜をほとんど食べない。
給食は完食してくるのに。

私は、自分が子どもの頃、
 たぶん野菜は嫌いじゃなかったし、
今も野菜は好き。

なんで食べないんだろう。
子どもはなんでも本能で分かっている、
なんて思うこともあるけれど、

ほぼ完璧に食べないとなると、
さすがにこれでいいのか、と思えてくる。

結論から言うと、

子どもが野菜嫌いでなにが悪い。
それはふつう。
野菜に含まれる苦みは子どもにはあまり必要なく、
それをマズイと感じるなら、
 無意識ながらに自分を守るための本能だ。
どんな人も、大人も子供も赤ちゃんさえも、
野菜を食べないと健康でいられない、
というのは、
情報過多が蔓延しはじめたころの洗脳のひとつ。

ということ。
ちょっと大げさかしら。

もちろん、実際うちの院での診断では、
例外もいっぱいあるんだけど。
なので大人でも、
人によっては、「野菜」のところを
 「お肉」にも「お魚」にも、
「果物」にも置き換えられる。

夫が教えてくれた、幕内秀夫さんの説。
ri.mynavi.jp/2018_09_04_37706/?fbclid=IwAR0TfHsNVBljl5IvuVz9GIQrt9tFAtpSOhLVM_KcGyAursjxSzT4rsb488U

そして、
免疫学で有名な安保徹さんの説も聞かされた。

一般的に、人間は、25才までは
糖分(炭水化物=主食)を主に欲する。
それが、25才を超えるころになると、
ミトコンドリアが活発になって来て、
野菜を多く必要としてくる。
50才くらいになると、
糖分(主食)はそれほど必要がなくなり、
体は自然とタンパク質を欲するようになる。
それまでの舌や脳の記憶からの習慣で、
糖分(主食を含む)を変わらず摂る人が多いので、
このくらいの年齢になると、
糖尿病の問題が増えてくるのだ、
というようなこと。

なるほどー。
私自身、40を超えたころから、
お肉やお魚を前よりも
メインに食べたくなっているし、
そうすると確かに楽なんだ。

その答えにたどり着いたのは、
わが家である事件が起きたから。

休日の夕方。
子供につき合って外に出て遊び、
まぁまぁ楽しかったものの、
私はけっこう疲れていた。

使い切りたい食材もあったし、
なんとか家にあるもので、
子供もみんなも食べられそうな
晩ごはんを作ろうと思った。

炊き込みご飯ならどうだろう。

うちの子は、4才くらいのときはよく食べていた。

5才にくらいになって、
具をひとつひとつ味わうようになり、
 炊き込みご飯の具でも全部出すように。

それでも前回は、
ご飯部分だけなら、
味が付いていておかわりしてたはず。

なんとか出来上がったはいいけれど、
ひと口食べた子供は、
「味がないからこれいらない」
と平気で言ってのけた。

私の中の糸が静かに切れた。

悲しくなって食事中のテーブルから離れ、
しばらく隣の部屋でボーっとしていると、
子供がやってきた。
「お母さん、どうしてここにいるの?」
「一生懸命作ったのに、食べてくれなくて悲しいから」
と答えると、
ウンウンと静かにうなずいていた子どもは、
黙ってテーブルに戻り、
時間をかけてごはんを全て食べ切って、
また私のところに戻ってきてくれた。

ありがとう、と思ったけれど、
私はそれでもスッキリしなかった。
これでいいのかな。
こんな、情に訴えて解決するようなやり方、
わたしは好きじゃなかったはずなのに。

そこでやっと、私は夫に泣きつくことができた。

翌朝、夫は、問い合わせをし、
(↑私たちを守ってくださる大きな智慧のようなものに、
 伺うこと。そういうことも含めた治療を仕事として行っています)
教えられたキーワードでネット検索し、
いわれたとおり、自分の子供の頃も振り返ってみた。
夫が子どもの頃、
野菜でお腹がいっぱいになるのが
嫌だったことを思い出したらしい。

そして。
これからのご飯は、僕たち大人が食べたいものを作ればいい。
子どもには、とりあえず白いご飯を用意すればいい。
目の前のおかずが食べたければ、食べるだろうし、
嫌なら、海苔か納豆で食べたらいい。
↑それで足りない、って言ったら?
ヨーグルトを用意しとこうか。
タンパク質おやつとして。
本当に野菜が必要になったら、
自分でそのタイミングで食べ始めるから大丈夫、
ということだった。

確かに、
家で野菜をほとんど食べない、と言っても、
突然、イモムシになったように、
ムシャムシャとレタスを1玉ほど食べ続けたり、
ブロッコリーは食べると言って食べることが、
本当にたーまにあるんだ。

こうしてうちの子どもは、
晴れて野菜を強要されることがなくなりました。

整体的に処方された、
薬としての「スプラウト」だけは、
少しだけでも食べてもらうけれどね。

そして。
わたしが変な思い込みを外すことができ、
食事中、子どもに変な理屈をこねなくなったので、
子どものストレスが減ったのか、
素直におかずにも興味を示したり、
ちょっと味見してみたりするようになった。

そうだったー。

うちの院ではふだん、
ひとりひとりの心と体に沿った
オーダーメイドの施術や処方を、
どれだけ丁寧にしていることか。

それを思うと、
ふつうに考えて、
赤ちゃん、幼児、子ども、
思春期、大人、更年期、高齢期、と、
体の変化はあまりにもある、
というのは目に見えてる。

栄養素の量だけじゃなく、
必要な食べ物がそれぞれに
想像を絶するほど違っていても
おかしくないはずじゃんかー。

そんなのお客さんや自分たちに関しては
いくらでもあることだったじゃない。

どうして自分の子どもだけ
別になっちゃってたんだろう。

自分が悲しい思いをしたことは、
それはそれでいいと思う。
人間だもん。
怒ったって泣いたって、
そういう大人がこの世にいるってことは、
隠す必要はないと思ってる。

だけど、
子どもが炊き込みご飯を食べなかった事件は、
ただのきっかけに過ぎなかった。

自分がその時、
疲れ過ぎていたことや、
それなのに、
誰かのためだという正義で、
無理して一人で頑張ったんだ、
という自己犠牲感、が原因じゃん。

みんなのためだったら、
ご飯と卵焼きだけか、
思い切って外食したほうが
よっぽどみんなのためだった。

感情的になった時、
きっかけとなった相手にそれを返しても
たいていいいことがない。
だって、ただのきっかけだから。
たいてい原因は他にあるんだ。
それを紐解くのが夫の仕事。
わたしはいつもそれを見ている。
自分のせいでも誰かのせいでもないんだ、
いつだって。

小さな子どもに情で訴えて、
大好きなお母さんのためにと頑張らせて、
ホントは優しいいい子なのに、
大して必要もない野菜を食べさせるなんて。
書いてるだけでも恥ずかしい。

「今まで子どもの食のこと任せっきりでごめんね。
 もっと早くちゃんと一緒に考えたり
 きちんと問い合わせしたり
 してればよかったのに。
 今までありがとうね。」

と言ってくれる旦那だから、
なんとかかんとか、
こんなふうにシンプルなところに
戻ることができる。

そしてまさにそのおかげで、
日々の食卓は、
家族それぞれの細かいアレルギーや
不耐性を尊重して、
けっこうややこしくて大変なのですが・・・。

でもそれも、
この夫をサポートするのが私の大きな仕事、
というのは今のところ間違いないし、

仕事でも生活でも、
夫のパフォーマンスが上がって、
それが家族みんなのものになる、
というのはとってもハッキリしている。

それは子どもでも私でも同じだ。
それが、体という羅針盤を人生の軸にしている
わが家らしいやり方なんだ。

それにもちろん、
いくら有名人やエライ先生がなんと言おうと、
そこにハマらない人たちや
子どもたちだって
いっぱいいると思うけれどね。

しかし、私は楽になりました。
その影響で、夫もだと思う。
子どもはもっともっとね。

また大事なことを教えてくれた、
私の世界の中の小さな異星人くん、ありがと。

そして、いっしょに解決してくれた、
大きな異星人くんも、ありがと。



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