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ブルースカイが落ち、ミスキーもやばそうなのでnoteに流れてきた
やっぱ読書において実際にその本を読むのってかなり後の工程だと思う(何言ってんだ)
またホームがやたら重くなってんな
なんかホーム画面死んでるis何
読書って気持ち悪くない?
作者と読者ってやりたいこと違うじゃん?常々思っているんだけど、本(や広義には文章という存在そのもの)というのはどうもあり方に欺瞞を感じる。
本(文章)というのは基本的に自分が何らかの情報が必要だから読むものだ。
しかし往々にして本というのは読者が想定しているニーズとは合致しない。作者には作者がその本を世の中に出す何らかの目的があり、その目的に沿って設計されている。そして、読者は読者自身の問題を解決
自分の諦め癖は自分が「ほっとくといつまでも既に失敗している手法を何度でも繰り返してしまう」という無能なタイプの悪癖を持っているからそのメタなんだけど、そんなの誰も理解してくれないし結果が出る所まで行動を構築できてないのだから自分が悪いのだ
言葉で「○○がんばります!」みたいに目標を立てることの空々しさみたいなのは子供の頃から感じていたが、言葉はあくまで”枠”であって中身は人間の行動や感情で埋めるしかないと考えれば腹落ちできるなと思うなどした
今ブルスカで見かけた「肘肩歳三」みたいなハンドルネーム、センスあるなと思った(こなみかん)
「若者がそんなに仕事に軸足を置かないようになってる」みたいなの(もう言われ始めて十年以上経ってないかみたいな気もするが)、名実ともに仕事というコンテンツは若者のものではないからだろうなとは思うヤギね
他所様のnoteにスキしたらレスポンスがおみくじ形式になっていて「大凶」が出てきて「あ゛!?」ってなった
調べ物してる時のアホー知恵袋ほんとウザいな
発言力のある無職、大体ただの閑散期だったり転職の合間の期間だったりするだけなので「クソがよ〜」ってなるよね
昨日はインテリアに関する非モテ叩きのはてなをこき下ろしてしまったが、ああいうキラキラ業界が自分らの商品を売るために社会に圧をかけて全体的に高賃金低負荷の世の中にしてくれるならいいよな
まあでも一番は大人になった今は二時間三時間の移動は日常茶飯事になって慣れてしまったからか
子供の頃は冬の電車が本当に嫌いだったけど、あれは電車に乗る時間も生活スタイルも自分の服装も自由にできなくて自分で調節ができなかったからなんだなと思ったり
「思考する」とは思考をずらすことではないだろうか
子供の頃からずっと思っているのだが、紙に書いた自分の思考は自分の思考ではない。声に出した自分の発言は自分の思考ではない。
それらは言葉のルールやその他物理的制限に頭の中で考えている時はくっついていた微妙なニュアンスや文脈がバッサリ切られた思考の"死体"でしかない。
しかし、現実としてはそちらの方に価値があるのである。自分の頭の中で不定形でグニョグニョしている自分にとって一番大切な"ナニカ"、それの