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[少し長めの独り言]#1 ダービーで会いましょう

こんにちは。まさ@アップデートする情シスです。
突然ですが、いつもの情シスネタとは違う雰囲気で日常やプライベートな話題を独り言のように綴るコーナー[少し長めの独り言]をスタートします

記念すべき一作目は、毎年5月に行われる日本ダービーに関係する友人とのつながりについて書いてみました。

競馬をしない自分が何故ダービーの話をするのか。それは、35年前から今日まで続く「あるつながり」があるからです。


▶︎ダービーと愉快な仲間達

1989年春、自分は50000人の巨大メーカーに入社し、システム部門に配属された同期と一緒に3月間のSE研修を受けていた。

ちょうどその頃はバブル絶頂期。バブルを謳歌した世代の人間が40人集まり、研修クラスはさながら「社交場」と化していたのであった。

研修が終われば大井町の居酒屋て飲み、土日は気の合う仲間たちでバーベキューや街歩き。

「みんなでダービー行くぞ」

競馬好きのグループのひとり、同期なのに何故か3つ歳上のGさんが声をかけると、直ぐに男女関係なく10人以上が参加を表明した。

クラスの盛り上げ役のK原
新卒にして貫禄充分のG藤
天才肌のボンボンのSS木
いつも笑顔なO山田
歳下可愛がられキャラのY住
ナニワのギャンブラーO仲…
これに女子も加わり、みんなで府中に行くと言うのだ。

日本ダービーはその年の3歳馬の頂点を決める競馬のG1レースで、毎年5月末に府中競馬場で開催される。

当時、競馬に興味がなかった自分は、心の中で「金をドブに捨てに行くようなものなのに何が楽しいんだか…」と思いながら、彼らを笑顔で見送った。

ちょっとだけ羨ましいかった。

1989年のダービー馬は、ウイナーズサークル。翌年はアイネスフウジン。
あのミホノブルボン、ナリタブライアン、ウイニングチケットなどのスターホースの活躍前ではあったが、オグリキャップが競馬人気を支え、盛り上げていた時代だった。


▶︎同期のつながり

7月。そんな楽しい3か月のSE研修は終わり、同期は別れを惜しみながら配属先に散って行った。

自分は企画関係の部署へ。その他メンバーの多くはフィールドSEと呼ばれる、お客様のシステムを導入運用する部署に配属されていった。

配属後もクラス中で気の合う仲間同士は、交流を続け、例の競馬好き軍団も、毎年のようにダービーの日になると府中競馬場に集まっていたのだった。

スマホもLINEもなかったあの時代は、リアルに人と人が触れ合いコミニケーションを取っていた。今思えば、接触回数は少ないけれど、その分濃密な時間を過ごしていたと感じる。

クラスの盛り上げ役のK原が同じクラスの子と結婚することになった時には、式が開かれる長野県まで大挙押しかけた。前日から泊まりがけで披露宴の出し物のリハーサルをするなど、派手に門出を祝った。

同世代には昭和から平成の時代の風を感じる痺れるエピソードでしょ

今の時代から見ると何とも古くさいコミニケーションてはあるけれど、この時期の自分にとって、こう言う同期のつながりは特別なものであり、心の拠り所になっていたことは間違いなかった。

そして何故か、あれ程興味のなかった競馬に行くようになったのもその頃だった。

1993年のウイニングチケット対ビワハヤヒデ、1994年の3冠馬ナリタブライアン、1997年の大逃げサニーブライアン…時には仲間達と、時にはひとりで競馬場に足を運んで、刺激とロマンを楽しんでいた。


▶︎薄れていくつながり

しかし、そんな同期つながりも10年と言う時間が経つと少しずつ変わり始めていた。

仕事の責任が重くなりみんな忙しくなる
同期つながりより職場つながりが増える
結婚して家庭を持ち始める
転勤や転職で住む場所や会社が変わる

自分自身も28歳で結婚する前後は、デートを優先し、同期と会うこともほとんどなくなっていた。さらに2002年、会社を辞めてITベンチャーに転職すると、同期のつながりは年賀状のやり取りだけになってしまった。

そして転職してからは、競馬場に足を運ぷ回数も少なくなっていた。

全く違う環境で仕事に忙殺される日々が続き「一日一日がまるでギャンブルのような毎日」を過ごしていると、競馬に求めていたであろう刺激がどうでも良くなっていたからだろう。

だから、ディープインパクトの圧勝劇も、初の牝馬ダービー馬ウォッカも、テレビを見て知る程度になっていた。


▶︎辛い出来事

そんな転職して半年が過ぎた頃、研修の同期メンバーが亡くなると言う、辛い出来事があった。研修クラスの仲間がこの世からいなくなってしまったのだ。

そして、久しぶりに研修クラスの仲間が顔を合わせたのが葬儀の場だった。

配属・転職・結婚などそれぞれの道を歩き始めるに従い、つながりが薄くなり始めていた仲間達を、亡くなった彼がもう一度引き戻してくれたかに思えてならなかった。


▶︎つながりを再確認する旅

あれからさらに時な進み、40代になった。

40代は仕事がさらに多忙を極め、プライベートも子供の成長や進学、受験と人生のイベントがてんこ盛りの時期に突入している時期だ。

そんな時でも、毎年ゴールデンウィークが近づくと、例の競馬好きのGさんや、今や中堅メーカーの社長になってしまったK原から以下のようなLINEが届く。

「今年の墓参りはいつ行く?」

毎年命日が近づくと、ゴールデンウィークの予定を確認し合い、4、5人だが集まるようにしている。

集合場所は福島県の在来線のとある駅。着いたらお墓に行き旧友と挨拶を交わす。その後は地元の美味しいお店に行ってご飯を食べ、最期にファミレスでお茶と精算をして解散する。

なんともあっさりとした日帰りの小旅行ではあるけれども、毎年顔を合わせてお互いにオジさんになって行く姿を確認し合うだけの年間行事は「つながりを再確認する大切な時間」でもあるのだ。

※最近は50代になり仕事に余裕が出来たのか、墓参り+温泉一泊がセットになり始めた


▶︎ダービーで会いましょう

そのタイミングで必ず話題になるのがダービーの話。

35年前と同じく、口火を切るのは競馬LOVEのGさんだ。

「今年もダービー行くでしょ?」

G藤とK原は二つ返事で参加を表明するが、名古屋在住の自分は、ダービー観戦だけはお断りしている。あの頃と同じように、ちょっとだけ羨ましい気持ちを抱きながらも。

今はこの世に居ない彼も、競馬好きでダービーに行っていたっけ。だからダービー観戦が終わるまでがお墓参りと言うことなんだと思う。


そんな感じで、今年のダービーも参加しなかったが、LINEグループから流れてくる「撃沈😰」「かすりもしなかった」などの報告を見ながら雰囲気を楽しんでいた。

残念なベテラン馬券師達の会話

さて、今年の日本ダービーを制したのは、56歳の横山典弘騎手。奇しくも同年代のジョッキーが9番人気の伏兵馬でダービーを勝ったのだ。

これはもしかして横山典弘騎手から、我々オジさんに対する「お前たちも頑張れよ!」と言う叱咤激励のメッセージなのかもしれない。

来年こそは、予定を合わせて府中に行きたいと思う。

そしていつか、みんなで寿司をたらふく食べよう。


▶︎自分が愛した名馬達

最後に、少しの間ではあったが、自分が好きだった馬を紹介します。懐かしくて泣くなよ!

◎ナイスネイチャ
万年3着馬と呼ばれながら沢山の重賞レースで楽しませてくれた。何回馬連外したか。鞍上はいつも松永昌博

◯メジロパーマー
人気薄で宝塚記念と有馬記念を逃げ切ったレースは圧巻。こう言う個性的な馬が大好きだった。鞍上はもちろん山田泰誠

▲ツインターボ
元祖大逃げの個性派。七夕賞は神様大川慶次郎さんも驚きの逃げ切り勝ち。鞍上は逃げの名手中舘英二

△サイレンススズカ
史上最強にして最速の馬。秋天の第4コーナーは忘れられない。2着を10馬身差でぶっちぎった金鯱賞。豊もいいけど上村洋行です

△ホクトベガ
芝とダートのG1を制した名牝。海外遠征も行き、長く活躍しました。エリザベス女王杯の関テレ馬場アナの名実況をどうぞ。鞍上はこれまたクセの強い加藤和宏

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