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脳脊髄液減少症と舞台と

さて今回は、noteでの情報発信を始めたきっかけの一つについて、お話したいと思います。

題名の病名、皆さんはご存知でしょうか?
脳脊髄液減少症のうせきずいえき・げんしょうしょう、または、脳脊髄液漏出症のうせきずいえき・ろうしゅつしょうといいます。これは、私が長らくお付き合いしている病です。

まだ一般的にも、医師の間でも然程広く知られていない病で説明も難しいのですが、お一人でも多くの方が知ることによって研究や治療法が発展することを心から願いつつ、また、当事者ではありますけれども分かった気にならずに話を進めたいと思います。同病を患っている皆さんはきっと同じ思いだと思いますが、未だこの病名に辿り着けずに困っている方々に情報が届いたら、お役に立てたら嬉しい限りです。

実体験(BP9回)と病気の解説などを織り交ぜながら記事を書きました。長い文章になりましたので、お休みしながら読んでくださいね。

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- お話を始める前に

2月にLigeti: Mysteries of the Macabreを聴きにきてくださった皆様、関係者の皆様に深く御礼申し上げます。また、出演することが叶わなかった19日のコンサートでは、関係する皆様にご心配とご迷惑をお掛けしましたことを心よりお詫び申し上げます。主催である東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団様からは、大変温かいご対応と深いご配慮いただきました。病名や症状について「脳脊髄液減少症(漏出症)による症状の悪化により」とご説明できれば良かったのかもしれませんが、病気への一般的な理解が進んでいないこと、また個人的な情報ですので、今回は病名など事情を公表しないことにし、「体調不良」ということで発表していただきました。しかしながら、その後、故意に病気に関わる情報を流出させた方がいらしたため驚き、戸惑いました。

ただ、そのことにより翌日から始まったMacabreの稽古では譜面から炙り絵のように読み解けるものがあり、作品の世界へもう一段引き摺り込まれてゆくこととなりました。共演者の皆様の温かいお支えと途轍もない力の中に加えていただき、22日の本番は生きた心地のしないような何か、音の表現者のに襲われるような時間となりました。
この作品はアンチオペラのアンチ、ということですが、実演の機会をいただく度に作品から秘密のメモを預かる気がします。これについては近しい友にだけ、こっそり話するに留めたいと思います。

いずれにいたしましても、多様性に基づく人権が尊重される昨今において、プライバシーに関する情報を公開するか否かの選択は本人によるものであること、いかなる理由があろうとも、どのような状況や立場の方にも例外はなく、侵害されてはならない権利であることを関係各所にて確認いたしました。人それぞれの事情というものは、想像することは出来ても決してし切れるものではないこと、どんな状況下にある者も工夫を重ねることによって社会参加が可能となるようルールが存在しているのだなぁと。
今回、難病の有る無しに関わらず、古くからの友人や”音”を通して交流してきた方々とそれらを難なく共有できたことで、先人達の「より良い未来に」という願い、築いた礎の上に幸運な人生を歩ませていただいたことをあらためて実感し、只々感謝の念が湧きました。

これからも固定観念に対してニュートラルでいることに努めたいと思います。また、刻々と変化する世情の中でも本質を見据えている方々との繋がりを大切にし、物事の"ご縁"の行末に興味をもちつつ生きられたらと思います。

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- まずは、仕組みのお話

さて、髄は髄でも、身体の髄の話。

脳は、脳脊髄液という液体の中にプカプカと浮かんでいます。何らかの原因で脳脊髄液が少なくなると、脳が下がってしまい、浮かんでいる空間の底に下の面が当たってしまいます。
脳の下面からは、脳神経という12対の神経が出ています。眼や耳、首の筋肉などと脳を繋ぐ神経です。迷走神経という、声帯や胃腸に向かう神経も含まれます。脳が下がると、これらの神経の働きに影響が出るのではと考えられます。

また、脳が下がって頭蓋骨につっかえると、ちょうど角になっている部分に力が加わります。この部分は間脳という部分です。

- 諸説あります

間脳には、視床下部ししょうかぶがあり、自律神経などを司る生命維持に不可欠なコントロールセンターです。また、運動機能を制御する”視床”という部分もあります。
脳が下がると、視床下部の機能不全が生じたり、体を動かす機能にも支障が生じたりすると考えられます。

また、背骨の近傍にあるインナーマッスルが硬直してしまう結果、そのすぐ傍にある交感神経幹という神経の束の機能が影響を受けるために、"間接的に自律神経の働きが悪化する" と考えている先生もいらっしゃいます。

- どんな症状が起きるの?

多種多様な症状が生じます。一番顕著な症状としては、激しい頭痛です。現在のところはこの痛みを止める薬はありません。このほか、重度の倦怠感、背部痛、頚部痛、視覚障害、聴覚障害、嗅覚過敏、眩暈(直立困難)、嘔気、嘔吐、胃腸症状、血糖値急落、体温急変動、血圧急変動、動悸、頻脈・・・まずはこれくらいにしておきます!

理解されにくいことの一つは、これらの強い症状が常時出続けるわけではないということ。症状の種類や出方も含めて大変個人差があるのですが、共通していることといえば・・・
"動けなくなるような強い症状が起きないよう自分の体の声を情報源にして傾向を掴み、24時間体調管理に最大限の策を尽くしつつ生活する"ということではないでしょうか。

"症状が出なければいいのだから" と言い聞かせつつ励むわけですが、日常も舞台の仕事も不測はつきもの。それでも、想像力を駆使して事前に情報収集すれば、不測の事態の対処・症状軽減への確率を上げることができる。逆に、それが叶わない時は対処が難しくなる。まあ、病気があってもなくても同じですよね。

- 歌うことと脳脊髄液減少症〜斜角筋・胸鎖乳突筋

この病気と一緒に「歌う」ことの難しさについては、またの機会にお話しようと思いますが、「歌うという動作」は自律神経系と直接的な関係があることは、これまでの記事でお話した通りです。その自律神経に影響を及ぼす病気であるがゆえ、歌唱動作をコントロールする上での良き課題を、これまで沢山与えてもらいました
歌い手は誰しも、"自分の体の声を聞きながら調整する" 作業を訓練として繰り返すものですが、この病があったからこそ浮かんできたアイディアもありました。これら対処法やテクニックの数々を静かに教えてくれる導き手であり、"伴走者"でした。

また、症状の一つである頚部痛は、歌唱動作に関係する斜角筋しゃかくきん胸鎖乳突筋きょうさにゅうとつきんを締め上げます。これらをどう工夫してコンディショニングするかについては、病気のない方にも役に立つのではと思いますので、いずれご紹介できればと考えています。

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”伴走者"といえばこのかた!喜平次13歳。

- 外見からは分かりづらい難病

また、この病は、"外見からは分かりづらい難病を持ちながら社会生活を営む方々の心情" や、"人の状況や物事の背景は決して想像し切れるものではない" といった「人の尊厳」について、現実のものとして考える機会を与えてくれました。まるでメンターのような存在で、私の人生を豊かにしてくれました。

"意思" に"身体" がついて来ない歯がゆさはつきものですが、色々試すことから生じる体の変化は興味深く、自分自身を実験の対象としているような毎日でもあります。大変なことは大変なのですが、どこか面白がるように付き合っている方も、或いは、時にはそんな風に思える、という方もいらっしゃるのではと思います。

余談ですが、先日偶然に、同じく外見からは分からない難病をお持ちの方と出会いました。あまりに素敵な方だったので、分かり合えるものを持っていて良かった!…と思いました。社会参加のしづらさや、様々な情報をシェアすることになり、有意義な時間と新しい展開に嬉しくなりました。脳がキラキラ音を立てているようでした。

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- みんな何かしらあるよネ

私は、この脳脊髄液減少症(漏出症)のほか、先天性変形性股関節症など、病名としては10を超える身体的な病と共生しながら歌う仕事をしてきました。病もまた自然な営みの中のこと、特別なこととは思っていません。しかしながら、演奏家の端くれとして、ただただ作品や音の媒体であろうとする思いが歌を勉強し始めた頃から一貫してあり、それは不変でした為、病をオープンにするには時間を要しました。

また、職業歌手にとっては、歌うことは生活費を得ること。シングルマザーにとっては切実なことでもありました。加えて、私が仕事場としていた世界は、いい意味でも厳しい現場でした。
いずれにしても私のようなものが、これまで演奏業界の方々に病のことをお話することなく仕事を続けてこられたのは、ただ運が良かったとしか言いようがありません。

- 脳脊髄液減少(漏出)症あるある?

私にとっては、病識をもつ、ということが意外と難しいことでした。
この病気の「自律神経系の症状」は、脳が下がる結果として出るだけであって、一般的な自律神経失調症のように種々のストレスから生じる訳ではありません。ですが、だんだん自分でも勘違いして、"自律神経を整える方策を実践しているのに、なんで..." とガックリしたり、“姿勢が悪かったのかなぁ、心持ちが悪かったのかなぁ” と見当外れな振返りをしたり、家族に症状を伝えるのも億劫になってしまったり。
誤解を受けることは "慣れる"を通り越して"当たり前"になり、「元気です」「大丈夫」と振舞いオオカミ少年に親近感も。でも、毎年の健診では全てA(=優等生!)なんです。「健康」はお墨付きだから、オオカミ少年になりきれず!
"不摂生は丈夫な人の特権なんだなぁ" と頭の中で呟きつつ、"いやいや、健康に心から感謝!" と捻くれた微修正も、有難く愉しい季節行事です。

何より、この病気の可能性に気づき、検査を勧めてくれた方に感謝。私の場合は、幼少時からの原因が特定できない症状の数々に、確定診断がつくまで40年以上の歳月が経過していました。原因がわかった時、それはまるで奇跡のようでした。

- 硬膜外自家血注入療法(ブラッド・パッチ)

さて、私はこの病気が判明してから(確定診断がついてから)およそ半年に一度、硬膜外自家血注入療法こうまくがい・じかけつ・ちゅうにゅうりょうほう(ブラッド・パッチ)という処置を受けて体調の調整を図ってきました。文字通り、採血した血を硬膜外に注射で注入していただく方法で、漏れている場所を塞ぐと言われています。
一方では、脳脊髄液の動態に変化をもたらして改善が得られるというお話も。
中には一種のショック療法ではないかと仰るドクターもいらっしゃって、私のような素人には詳しい作用機序は分かりません。

この療法を受けた後は、安静期間を経て、退院後も横臥療養となります。トータルで半月程、寝たきり生活を送ることとなるのですが、急性の方はかなり改善される見込みがあり、慢性の場合にも一定期間症状が軽減されるようです。
私のケースでは、約2ヶ月間は軽減される状態が続く傾向があることを数回施行していただき知りました。演奏の本番から逆算して主治医の先生にご相談、処置、療養というサイクルを9回続けてきました。

変形性股関節症の手術(自骨切回転術・30歳時)を受けた時に実体験したことですが、若い時分にも寝たきりになると、あっという間に筋肉は衰えるのですよね。この時は、2週間ベッド上で過ごした後、車椅子生活に移行するとき、手術をしていない方の足が一瞬体をうまく支えられずに、ぐにゃっとした感覚を覚え驚きました。
それに比べてブラッド・パッチは、一定の安静期間が過ぎると食事や洗面のために動くことは可能ですので、そこまでの衰えを感じたことがありません。が、肉体を駆使する歌い手にとっては、少しの覚悟が必要です。こればかりは誰かにリハビリをしていただくわけにはいかないので、体の声を聞きながら、マイペースでコツコツを繰り返すこととなります。(どなたか歌い手さんで同病の方がいらしたらお手伝いします!)

- BPも毎回違う反応なんです・・

前述のように、この病は機序がまだよく分かっていませんので、標準療法も確立していません。その為か、ブラッド・パッチによる変化も様々です。私の場合、その都度、改善される症状が異なりました。"実験と捉えて心の小さな楽しみにする"という感じにもなるのは、こうしたわけです。

7回目までの共通点は、療養後はとても体調が良く、また、その後段々に調子が落ちていったとしても確実に体調の底上げになっていました。

8回目のブラッド・パッチは、2月の二つの本番に備えて12月末に受けました。
まさに寝正月だけど準備は計画通り・・・ところが!思いがけないことにその後の経過が前回までとは異なり、悪化の一途を辿りました。起き上がっていられる時間が顕著に短くなり、光に対する反応が著しいものになっていきました。

- 人間の世界は光だらけ〜羞明

2月の公演後、状態は一層悪化してゆきました。"生命維持機能が落ちていく感じってこういうことなのかなぁ" と、肉体はてんやわんやだったと思うのですが、不思議と思考は静かに働いている感じでした。(ジェットコースターに乗った時など黙ってしまうタイプです。)
5月には九州での本番もあるのだから、そこに向かって早く動けるようにならなくては・・・ということで半年待たずに9回目のブラッド・パッチを受けました。
ちなみに、私の場合、回を重ねる毎にブラッド・パッチ自体の痛みは増しました。
血液が入るスペースが減るからだという話を耳にしましたが・・そうなのかな?

9回目後の経過も、それまでとは異なりました。変化としては、これまでになくとてもゆっくりペース。光に対する反応は一層厳しくなりました。視力が落ちたわけではなく、眩しくて目を開けていられないという状態です。退院時は曇り日でしたが、自宅に戻る頃には身体を動かすことが出来ない状態になりました。猛烈な頭痛発作と各種症状が、光刺激により誘発されたようでした。

"このまま寝たきり生活になるのかな・・。動けるうちにもっと物を処分して、もっと細々したところまで伝達できるよう整理しておけばよかったなぁ" などと思っていました。
介護生活の可能性を考えた、と居を一にする方も後日話してくれましたが、幸いなことにそこから少しずつ、ゆっくりゆっくり回復しています。

横臥療養が明けても暫くは空を見上げることができませんでしたが、だんだんと羞明症状も改善してゆきました。サングラスを通してではありますが、夕方の月、星、雲を見られたときの心は、とても静寂なものでした。"状況に応じて、淡々とまた工夫をすれば良いんだな" と。

その時の、夕月。


- 音は生まれては消えてゆくものでしたネ

今はひたすらに、九州交響楽団の皆様と一緒に音を奏でられるよう、本番に向けて調整をしています。私を支えてくださる方々のお力と、歩みと、澄み切った心を大切にいただいて、ただ音のことに専念しようと思います。秋にも幾つか演奏の機会をいただいていますので、そこまで最善を尽くします。そして、舞台で演奏する仕事については一段落とし、今後の”音”との関わり方について模索する心づもりです。

私にとって"音”は、花火のようにその時々を彩っては消えていくもの。消える際の色の変化や、音のない"" に心惹かれるのは、「音楽」が生まれる前の根源的な世界への憧憬でしょうか。寡黙な歌い手のままで "いつの間にか消える" が一番でしたが、このような流れとなりました。区切りとなりますので、まずはひとえに感謝を申し上げたいと思います。

改善点が見出せないような、納得できる演奏をしたことは一度もありませんが、およそ30年となる舞台経験の中には、体調面の工夫も含めてやりきったと思えるかけがえのない舞台がありました。
舞台で歌うことで収入を得るなんて全く想像もしていなかったことですが、ひと時、音の命を共有してくださった方が一人でもいらしたとしたら、私のようなものに関わってくれた方々への恩返しになるのかな、と思います。

- 還元・変幻

ろくな恩返しもせずに一段落とは鶴に怒られそうですが、2019年の「松風」公演後、仕舞いの時を見極めていたところでもありました。
人にお世話になる身ですのに恐縮ですが、実は、若い頃から心のままにやりたいことは直接的に人のお役に立てる仕事・医療福祉関係のお仕事で、縁が繋がり5年前に声のクリニックの設立に至りました。運営や声の研究、アドバイザーなど務めてきましたが、更なる勉強を含めこれらは変わらず継続いたします。

発信のための作業は、光る画面との格闘になってしまうので、今後はスタッフが代筆(代打?)という形でも協力してくれることになりました。不定期更新となりますが、今後ともどうぞよろしくお願いたします。

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 「ボクは昨年”水晶体脱臼”のシュジュツ受けました」



お読みいただき有難うございました。少しずつ書き溜めた文章を繋げ、取り留めのない手紙のようになりましたこと、ご容赦ください🌱



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