![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/113796192/rectangle_large_type_2_633bf0901e4663b46111d254afe8efaf.jpeg?width=800)
南座『怪談牡丹灯籠』感想&結末の比較
この記事には、今回の公演や過去の公演について『怪談牡丹灯籠』のネタバレが多分に含まれます。
また、過去の公演に言及している部分については、かなりうろ覚えです。(裏取り等は行っておらず、個人の記憶のみで書いています。)
今回の京都旅行の目的、『怪談牡丹灯籠』。
私は大学生の時、坂東玉三郎のかわいさにイカれて歌舞伎にはまってしまい、歌舞伎座で接客バイトをしていた。
そのイカれるきっかけが、シネマ歌舞伎『怪談牡丹灯籠』だったのである。
シネマ歌舞伎では、主演は玉三郎と仁左衛門である。(2007年上演)
2015年には、歌舞伎座で玉三郎と市川中車(香川照之)が主演で再演があった。
私は3回見たと思う。
マジで大好きな作品なのだ。
大西信行せんせいの脚本読みたい。
全集があるようなんだけどどうやって入手できるのかな。国会図書館行かなきゃだめか?
前回(2015年)は玉三郎が演出も手がけており、途中の構成の変更(お国さんと宮辺源次郎のプロットほぼカット)、お話の終わり方の大幅改編があった。
今回の南座公演は、前回のものの再演という趣である。
そういえば、前回の時は久蔵を海老蔵がやっていた。
お峰からお金もらった時に「歌舞伎座というところでお芝居を見ようかな。坂東玉三郎が出てるんだってさ」という話をして、お峰役の玉三郎が「あんなの古い役者だよ」と否定して、「これからはあんたの時代だよ」とアドリブを入れていたな〜と思い出した。
今回の主演は玉三郎と片岡愛之助。
シネマ歌舞伎で先に見てしまっているから、ちょっと気になる事はあったりしたけど、やっぱりおもしろかった。
見終わったあと「おもしれ〜!」と思わず言ってしまった。
私はあまり愛之助を存じ上げていなかったんだけど(シネマ歌舞伎の牡丹灯籠での萩原新三郎役の印象しかなかった)、
愛之助の伴蔵かなり良かった。
結末の伴蔵の独白がすごく胸に迫って、あの幕切れに切なさを感じた。
市川中車の時は私の気持ちが「ファ!?」ってなったまま花道を去っていったので、余計に。
シネマ歌舞伎の仁左衛門が伴蔵の時の終わり方は私の感情がグチャグチャになったまま終わるし、
衛星劇場で観たお峰が福助、伴蔵が三津五郎のやつは、「あ〜あ……」ってなって終わる。
同じ演目を追うのはオタク冥利に尽きてしまうな。
もともとの脚本がどういう終わり方だったのかは知らない。
でも結末にいろんなバージョンがある。
2005年歌舞伎座 お峰・福助、伴蔵・三津五郎
(衛星劇場で一回見ただけなのでうろ覚え)
大川端で伴蔵がお峰を刺し殺し、死体を川へ投げる。
雷鳴が響くなか、川の中からお峰の腕が伴蔵の足を掴み、伴蔵も川へ落ちて死ぬ。
このエンディングは、ホラーみが強い(死んだはずのお峰が伴蔵を殺しに来る)と同時に、笹屋でのお国との仲にあんなに悋気を起こしていたお峰らしくもあるとしみじみ思う。
恨みつらみ情愛をひっくるめて、おまえを1人になど決してしないという執着が、あの夫婦の運命を決するんだなぁって感じ。
伴蔵が、金に目が眩んで夫婦の情愛も無くしてしまった末に、手にかけてしまったお峰に殺されるというのは、お話としてもきれいにオチがついていると感じる。
2007年歌舞伎座 お峰・玉三郎、伴蔵・仁左衛門
(シネマ歌舞伎)
大川端で伴蔵がお峰を刺し、お峰は切なげに「おまえさん…」と一言残して息絶える。
そんなお峰の死体を抱き抱えて、伴蔵がお峰の名前を呼び、許してくれと絶叫しながら幕切れ。
私はこれを見て感情がグチャグチャになったし、人間の業を割り切れないし筋の通らないものだと表したエンディングだと思う。
だって、伴蔵は大川端へ来る前にお峰へ反物を買ったりお酒を飲ませたりしていて、伴蔵の表情を見るにこれは完全に罪悪感からやっている事なのだ。
そしてなぜ罪悪感があるかといえば、このあとお峰を殺そうとしているからである。
計画があるということは、明確な殺意があるのだ。
だけど、いざお峰が死んでしまったら、後悔と悲しみに苛まれて絶叫するのである。
この、人間の複雑さ、感情のわりきれなさ、筋の通らなさが、幽霊騒ぎという出来事を通して表現されている作品だという印象を受ける。
2005年版のようにきれいなオチでない代わりに、感情がグチャグチャになって強い印象を残した。
2015年歌舞伎座/ 2023年南座 お峰・玉三郎、伴蔵・市川中車(2015年)/片岡愛之助(2023年)
大川端のシーンがカット。
お六さんがやって来た夜の関口屋で幕切れになる。
お六さんが、お米さんの口調でお札はがしの事をしゃべりだすところまでは他と同じ。
そのあと、お峰まで幽霊に取り憑かれたようになり、お露さんの口調でお札はがしについて喋り始める。
伴蔵が「お峰、迷うたか…!」と恐ろしさに無我夢中になり、気がつくと自分が脇差で刺し殺したお六、お峰の死体が転がっている。
どこからともなく牡丹灯籠が表れ、伴蔵は「お峰、まってくれ」と追いかけて花道を走り去って幕切れ。
市川中車の時もあったかどうか覚えてないけど、愛之助の伴蔵はお峰の死体を前にしてかなり分かりやすい独白でこの物語をまとめている。
お峰やお六が幽霊に取り憑かれたのではなく、過去を知られたくない気持ち(虚栄心?)が強くなったあまり、二人を殺す羽目になってしまったのだと。
そして許してくれと嘆く。
タイトルが牡丹灯籠である事も、最後に登場することで回収しようというちょっとした粋な感じもある。
なぜお峰殺しに発展してしまったのか、分かりやすくまとまっていて、コンパクトな演出だと感じる。
原作だともっともっと色んな因縁が巡り巡って、伴蔵は途中で出てくるだけのキャラクターなので、むしろもっと単純に悪として処理されている気がする。(もっと悪いことするし)
その辺を削ぎ落とした結果、玉三郎の演出は、伴蔵が独白してすっきりと終わっている印象。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?