見出し画像

その2「スポーツと体育」

「スポーツと体育」混ざっていませんか?

・根性論を強要される
・クタクタになるまで走らされる
・理由を尋ねても腑に落ちる回答がない
・監督の一声で、全てが変わる

上記の例は、実際に筆者が現場インタビューにて、保護者より挙げられた声です。

”スポーツと体育”が今もなお、少年野球の現場ではごっちゃになっております。

体育とスポーツの違いを明確に理解し、子ども達のスポーツ現場にあるべき姿を追いかけましょう。

画像1

体育=スポーツでは“ない”

皆さんフィジカルエデュケーション(Physical Education)という言葉は聞いた事あるでしょうか。

フィジカルエデュケーションとは、
英語で「体育」を意味します。日本語に直訳すれば「身体教育」です。

まず、お伝えしたい事は「体育=スポーツ」では“ない”ということです。

スポーツという言葉の伝来した明治時代と言われております。遊戯の意味を含むスポーツは、釣りも乗馬もスポーツと訳され広義な意味の言葉でした。

しかし、
殖産興業・富国強兵をスローガンに近代国家建設に取り組む明治の日本では

“身体を鍛える事”を目的にした身体教育(体育)に、スポーツを用いることで方向性を定めた のです。

これが、現代における“スポーツと体育(身体教育)が混同する原因”になっております。

・身体教育=体育とは?

戦前・戦中の軍事教練から戦後の体育へと形を変えても、

スポーツ=体育という考えが残り、
日本のスポーツは命令・服従、そして規則や体罰を伴う訓練など、

軍隊式の形を残したまま学校体育(身体教育)と結びついていきました。

軍事教練として
“心身共に強い人間に育てる”ことを目的に行われてきた形を残す学校体育において、ある程度の“強制的な指導”はあってしかるべきなのです。

画像2

あなたのスポーツ現場はどうですか?

・感情に任せて怒鳴る指導者
・支配することにおいて選手をコントロールする指導者
・一方的な意見を選手へ押し付ける指導者
・権力または力を示し、場の支配にこだわる指導者

以上の旧式の体育を実践するタイプの指導者が、現場で幅を利かせてないでしょうか。

スポーツと体育が混在してきた日本のスポーツ現場には、

良き意味では“スポーツを軸にした体育(精神)”があり
体育の現場では“体育の精神を軸にしたスポーツ”がありました。

困った指導者への対処方法

私の経験上、上記のタイプの指導者は経験値頼りの思考不足・勉強不足であり、実は自分自身に自信のない人だと認識しています。

また、上記の立場や利権に任せてコントロールしたがる方の思考回路は“幼児”同等と言え、立場(権力)の使い方を履き違えています。

幼児が、園にて友達にケガをさせる、
または手を出してしまうときの原因は“語集力の乏しさ”にあります。

伝えたい事があるにも関わらず、なんと伝えて良いか分からず、手をだしてしまう状況と同等のレベルです。

歳を重ね、悪知恵を付けた大人が”暴力を権力に変え”振り回している状況です。

また、スポーツ現場の指導者が怒鳴り、利権で幅を利かせて選手をコントロールする理由は、“自分が伝えたいことが伝わらない“が為だと私は思っています。

以上の様に考えると、現場の指導者も可愛く見えてきます(笑)

相手(指導者)と同じペースで物事を考えたり、向き合ったりする必要はないのです。

幼児をあやす時と同じく「どうしてそうなったのか」を、環境を変え、相手を落ち着かせて、それから考える機会を与えればいいのです。

画像3

日本スポーツはスポーツを軸に体育精神を育てよう

上記の様な状況は、日本全国ではびこっており、特に育成年代のスポーツ現場では勝利を追究するあまり、体育的な発想を軸にスポーツと体育の混同が起きています。

体育的な発想を軸に勝利を目指していると、勝っているときは自分自身を納得させることができますが、負け始めると、親も選手も苦しくなります。

日本スポーツ独特の文化を形成していく為には、
体育とスポーツが同じではないという認識を持ち
“スポーツの発想(遊戯)を軸に体育の発想(軍事教育=忍耐力・チーム力)を育てること”だと私は考えています。

体育で学ぶ強制的な指導を軸にスポーツチームを運営する時代から、スポーツを軸に体育を育む時代へと変わって行かなければなりません。

私の経験

私が大リーグ入りを目指しアメリカ挑戦をしていた時、ある選手が私に「なぜグランドや審判にお辞儀をし、帽子をとるのか」と尋ねてきました。

その場で、良い答えが見付からず、格好を付けたかった私は「グランドや審判へリスペクトの気持ちを示しているのだ」と伝えました。

しかしながら、正直なところ、そういった意識はなく小さな頃から“やらされてきた習慣”でしかありませんでした。

この一件後、私は考える様になりました。

“日本人はなぜ帽子をとってお辞儀をするのか”

そして、私は世界に稀に見る日本文化の美しさだと気付いたのです。
スポーツと体育が混同した毎日の中には、自分が行っている習慣の尊さに気付くことはありませんでしたが、リアルなスポーツ現場に身を置くことで日本が独自のスポーツ文化を育んできてたことにも気が付きました。

日本人が考える体育の発想的なスポーツから生まれる忍耐力及びチームプレイは、世界で通用する武器になるのです。

だからこそ私は、スポーツと体育が混在した現場にいる日本人が体育とスポーツの歴史を明確にし、これからの日本独自のスポーツ文化形成へと一躍を担って欲しいと思っています。

日本で育まれた独特のスポーツ文化は、世界に通用すると確信しております。改めて、いき過ぎた体育やスポーツを正し、2020年に向けて日本スポーツの真の姿を発信していきましょう!

記事に対するご意見、皆様の経験、お悩み等々をお聞かせ下さい。

Peace✌︎

TOMA

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?