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[暮らしっ句]去年今年[鑑賞]

皆さんは、どのように年を越されますか?
今回は、年越しにのぞく、それぞれの時間、生き様……

 鉛筆の芯をそろへて 去年今年  水原春郎

奥さんが大車輪で大掃除したり、お正月の準備をしているのに、お父さんときたら…… というやつでしょうか。でも、邪魔にならないから、そのほうがいい?
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 去年今年 とまりなさいその車  梅田千種

最後の最後で、交通違反!
わたしも、歯医者の予約をすっぽかしました。痛いので忘れるどころか心待ちにしていたのに、日にちを一日勘違いしていたという……。
年も改まることですし切り替えましょう>ジブン
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 隣室に 母の寝息や 去年今年  林徹也

息してる? て思うことありますからね。
といって、深夜に起きていられるのも辛い。
そう考えると、静かな寝息は安心という以上に幸せな時間かも。
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 置くだけの靴を磨いて 去年今年  住田千代子
 去年今年 もつぱら脚立の押へ役  荒川美邦

こういうのが、あるあるだったのは、もう過去のことなんですかね。
ても、思い出す分には許して貰えるでしょうか。
家の中に手伝ったり、引き受けてくれる人がいてくれるととても有り難い。便利づかいするな! と怒られそうですが、精神的に大きいですよ。女性も主夫を持てば、わかっていただけると思います~
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 天災人災悪妻 去年今年  和田美代子

これ昭和なら、作者は男性だったと思います。時代が代わりました。「関白宣言」ならぬ「悪妻宣言」!
でも、「天災」「人災」と並べているあたり、作者はそれが当然だとは思っていない。あくまでワタシは悪妻だ、と。そこに夫に対しての一抹の情が読み取れます。
「あなた、運が悪かったわね。生まれ変わったら、やさしい奥さんをもらいなさい~」
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 物を乞ふ 言葉はふえて 去年今年  井田実代子

瓶のフタを開けて、あれを取って、これを運んで、あれ買ってきて……
歳を取れば、若い者に頼むことが増えてきます。それは当たり前。別に何の遠慮も要りません。作者が感じているのは、そこじゃない。自分で出来なくなったさみしさ……。
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 血を換へて 命繋げり 去年今年  若月瑞峰
 去年今年 命繋がる管数多  数長藤代

病院、病床で過ごされている方ですね。健康な者からすれば、想像も出来ない不自由と負担。
二つの句の調子は静かで淡々としていますが、逆に、そこに至るまでの歳月の長さや困難の大きかったことが偲ばれます。
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 病得て しみじみ感謝の 去年今年  松本米子

九死に一生を得て助かった(病気で済んだ)ということでしょうか。あるいは、立ち止まる機会をもらって、生き方を改めることが出来たのか……。
事情は分かりませんが、何があったにせよ、辿り着いた心境が「感謝」なら、それだけで人生及第点。
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 あるじなき書斎にも灯を 去年今年  松本美簾

何十年も連れ添っていれば、たいていのことがわかります。云いそうな事、口調まで再現出来る。再現出来るシーンも無数。というか、目を閉じれば、そこにいないほうが不思議。姿が見えなくても声が聞こえなくても、そこにいるとしか思えない。

「あなた、そこにいるんでしょ。いいわよ。あとでお茶いれるわ」
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 果報とは 練つて待つもの 去年今年  篠田純子

「果報は寝て待つ」をもじったわけですね。
もしかしたら、「練る」お仕事をされてたのかもしれません。練れば練るほど、よくなる物ってなんでしょう? 焼き物の土? 書道の墨? お香にも練り香ってありますね。
わたしの生活に「練る」ものは……。強いていえば短編小説くらいですか。でも小説は、「待」つだけではよくなりませんね。自分で書き直し続けるしかありません。
いや、そうでもないか。時間をおくと気づけるようになりますし、足りなかったピースを手に入れられることもありますからね。そういう積み重ねも「果報」というなら、まさに「練る」と「待」の繰り返しは一つの極意だ!
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 昔死を 今老い怖る 去年今年  加藤富美子

これ若い人には、わからないでしょうね。逆じゃないかと思うんじゃないですか? シワとかハゲとか、今はそういうのが嫌だけど、もっと歳をとれば、死を意識するようになる……そう思うのではないですか?
しかし、ここでいう「老い」はボケて何をしでかすかわからなくなったり、ひとりで排泄もできなくなるような事態です。そんな状態になるくらいなら、ぽっくり逝きを欲っしてしまう。
でも、理想は、ぽっくりじゃなく、介護者に憎まれたり嫌悪されない人間になること。そういう良い感じの要介護者もいる。介護者にとっても、良い感じの要介護者を介護することは、むしろありがたく思えます。
ギフテッドという言葉が一般化するようになりましたが、良い感じの要介護者も、かなりのギフテッドだと思います。
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 去年今年 アルバムは 背を支へ合ひ  井田実代子

「人」という漢字は……という講釈がありますが、この方は、アルバムに「支へ合ひ」を見出されたわけですね。これだけでいろんなことが想像されます。
昔のアルバムは重厚で、本棚に並べるときには真っ先に並べます。ですから、ふつうはキッチリ収まっているもの。「背を支へ合ひ」というからには相当の隙間があるということですが、つまり、作者がアルバムを一冊か何冊か取り出したわけですね。その隙間を残りのアルバムが支え合って埋めていた。
それを見た瞬間、支え合って生きてきた夫や家族のことがオーバーラップ……。アルバムに貼られた写真自体は、昔のことでしたら記念写真がほとんどで、どのページも幸せなひととき。でも、そんな時間は長い人生の中では氷山の一角。
それでも普通は美しい氷山だけを見ます。わざわざ辛かったことや悔やんでも悔やみきれないことを思い出したりはしません。そういう気持ちがあれば、つらくてアルバムなど開けません。
じゃあ、アルバムなんて虚栄の世界か? そういう見方も出来そうですが、作者のアルバムは違った。「支え合って」たというんですから。きっと皆の生き様、家族のありようがアルバムに乗り移ったんですよ。写真は氷山の一角でも、重厚なアルバムが氷山の本体と化していた!
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 去年今年 礼言ひ合ひて子と二人   田宮勝代

泣けてくるような素晴らしい親子ですね。
まあ、実際にはいろいろあるんでしょうけど、プラスマイナス差し引きした結果が「礼」(感謝!)ですからね。赤字ならそうはいきません。むろん、黒字にするのは、双方の心がけ。いやあ、あやかりたい。
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 ていねいに 生きてゆきたし 去年今年  斉藤裕子

これは来年の抱負。あれをやる、これを達成したいというのではなく、「ていねい」というのがいいですね。
考えてみると、「ていねい」にやろうと思えば、ほどほども大事。畑なんかですと、採算考えれば農薬も使うしかない! というのが現実ですが、「ていねい」にやるとなると……。風邪引いたときもそうです。薬で症状抑えて仕事を続けるのは、少なくとも「ていねい」な生き方ではありません。
「新しい資本主義」を掲げる方が「ていねいな説明」を連呼されていますが、「ていねい」が大事だと気づいておられるのなら、いっそのこと「ていねい主義社会」を提唱していただけませんでしょうか? ぜひご検討を!
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出典 俳誌のサロン 歳時記 去年今年


皆様、ありがとうございました。
よいお年を!



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