欲しかったのは飢餓感でした。という、お話。

見に来てくれてありがとう。

今回は、焦燥感とか欠乏感とか、足りてない状態を欲していたんだなって気が付いたというお話。

昨日、あんまりにも食欲がなかったもので、ちゃんと食べてちゃんと寝るなんて記事書きながら寝起きに飲んだ珈琲以外は水だけ飲んで1日過ごしたんですよね。そうしたら、まぁ身体が楽になったんですよ。空腹感はあるし、食べろって命令が脳から来るんですけど、うるせえ、食べたくないって言ってんだろっていう心に乗っかってそれを無視して。そこで気が付いた。そう、満たされ過ぎているから削ぎ落したいっていう記事書いておいて、具体的な対策が出来てなかったことに。そう、自分で理由と原因に気が付いていたのに行動できていなかった、と。

食べるものを変えたり、量を変えたりっていう変化を求める行動はしてたんだけど、そもそも。そう、そもそも身体が満たされてるなら食べなくていいんですよ。だって体脂肪で賄えるんだから。というか、グリコーゲンとかいう筋肉とかに貯め込んでおけるエネルギーも満ちに満ちていたんでしょう。その満ちた状態をキープしたまんまで食事してたら、それはもうオーバーなんですよ。身体や頭を動かすためのエネルギー補給であっても、体重や外見に大きな変化はなくても、その停滞というかホメオスタシス効果的な状態維持は正直、自分には合ってないってはっきり意識出来たっていう。筋肉つけて大きくなりたいとか、ムキムキになりたいっていうなら話は別だけど、自分は別にそんなこと望んでないし、健康体でそれこそサイズ的に小さくなれるならその方が良いって思ってるので。

習慣というか、一般論に毒されているって言い方は良くないんだろうけど、1日3食ちゃんとバランスよく食べなさいってナンセンスなことで、まぁ何食に分けたっていいし、食べたいものを食べればいいし、必要な栄養を取ればいいっていうのは千差万別なんだけど、根本的にね。毎日、いつでも、どこでも食べようと思えば食べることが出来る、栄養補給ができるっていうことは普通じゃないんですよ。たぶん、きっと、めいびー。それが当たり前だと思って・・・思わされていることに違和感というか、おかしいって思わなきゃいけない筈なのに、それを我が物顔で認識してるの。おかしいんだよなぁ・・・。みんなさ、食料っていうか、食べ物が当たり前にあって、食べれることに疑問がないんだ。スーパーもコンビニもファミレスも、あって当然で、利用できることも買い物できることも当たり前で。そこに存在するから。それが、さも当然のような顔してそこにある。視界に入る。これって、何も当たり前じゃないし、普通じゃ、ない。って考えることは一般的ではないんだよね、そう。自分の方が、普通じゃないんだ。社会的に言えば、ね。

食べることが出来ることはもう前提としてあって、そこから更に何を食べるかを選ぶことが出来る。このすごさに、気づいてない人が多い。自分は改めて思った。このことの異常性に。飢餓に対する不安要素が全くないことに。この、整備されつくした人間社会の禍々しさに。物価の変動や世界の食糧事情やそのあたりは一端横に置くよ。自分は日本人で、日本での生活をベースに考えているからね。税金が上がったとか、いろんなものがどんどん値上がって家計が苦しいとか、それは、そう。以前に比べてっていう意味では。でもさ、当たり前に食材や食品が手に入って生きていけてることは、すごいことなんだと思う。まぁ、食べれればいいっていう正直味と売れ行きに左右された商品ばっかりが大量に横行してるのは人間らしいっちゃそうかもしれないなって思うけど。ぐだぐだ色々書いてみたけど、本当飢餓に対する不安がないっていうのがどれだけすごいことなのかっていうのは、今回すごい自分に残った話でして。

話題を自分に戻しまして。1日珈琲と水だけで過ごして、脳には食べろと言われ(習慣というか1日にこれくらいの栄養を入れることが当たり前にされている状態)それが普通じゃないと思った自分としては、食べることが食べたいと思わされているっていう風に感じて、食事が怖いって思った。食べることが、怖い。こんなこと思う人は、いるだろうか。病気というか、医者に掛からなければいけない状態の、拒食や過食っていうものではなく、あくまで一般的な生活を送ることが出来る精神状態の人間が食事に対して怖いって思うことは、一般的ではない気がするけど、自分にとっては異常なことではないって思った。こんなにも、自分を満たすことを当然のように受け入れている自分が、怖いと思った。そして、満たさなかった1日で感じた。これが、自然だと。自分が本当に食べたいと、身体にエネルギーを入れたいと思って初めて入れた方がいいのだと。満たされているが恒常化してしまうことは、あまりにも不自然で、自分にとっては普通では、ないと。

ここで満たされているについて派生で気が付いた。推しの活動や、動画、配信を見ること、それがさも当然のようにできることを受け入れている自分に。そう、娯楽や自分の楽しいと思えることについても日常的に満たされ続けていることに。だから、推しの連日の配信に素直に楽しいと思えなかったと。眩しいとか、自分の状態が、とか色々と考えたり理由を模索したけど、そうじゃなかった。そう、自分が満たされ過ぎていたから。これ以上は必要としていなかったから、楽しいと思えていなかったんだって。無料で、パソコンやスマホと自分の時間さえあればいつだって満たすことが出来る状態。これだって、普通じゃ、ない。こんなにも便利になって。世界中と繋がることが出来て、やり取りができて、自分を娯楽で満たす方法が充実しすぎていて、だから、自分は満たされ過ぎているのだ、と。気づけないままで貪欲に娯楽を食べ続けていたのである。お腹いっぱいなのに美味しいからと食べ続ける事は、身体にも精神にも良いわけない、自分はそう思う。情報社会、そしてインターネットの空間は現実に侵食してて、ネット世界は遠くの世界じゃない、自分の住んでいる場所と同じ場所に存在してるもので。怖いよねぇ・・・。怖くないです?そっか、それがみんなにとって、普通なんだね。うん、じゃあ自分は異端でもいいかな。少し、画面の中との距離を考えたいと思う。便利なことは良いことなんだけどね。そう、多くの人にとって確実に「良いこと」なんだ。

自分は満たされている状態が幸せかって言うとNOと答えるということに今回気がついたわけで。今まではその満ち足りているは幸せな状態であろうって思っていたし、考えていたんだけど、既に満たされてる自分の直近の状態はどうだっただろうか。まぁ体調は悪いし、気分も良くないし、いろんなものが乱高下して不安定で。これが、幸せだっていうなら自分は幸せを望めないなって思う。幸せの定義を考えだしたら永遠に答えなんてでないんだろうけど。満たされているってある意味じゃそこでいろんなことが止まってしまうんだ。変化が、なくなってしまう。そんなの、自分は嫌だ。

先に書いたように、現代の日本社会では飢餓感っていうものに直面するのは物凄く難しいと思う。絶対に飢餓で死ぬっていうことが起こらないとは言わないけど、その可能性は限りなく低い。以前書いた恐怖感や警戒心みたいな不安が娯楽になるっていうのが成立するなら、この飢餓感だって娯楽というか、享受して自分が悪くないと思えれば楽しめるものに出来ると思うんですよね。極論ではあるんだけど、この飢餓感って飢餓に対する不安ではないんですよね。足りてないっていうものに対する抵抗で。極限までそこに近づくと、自分が本当に欲しいものに気づけるんじゃないかって自分は思った。食事、栄養補給も、お腹空いたから食べる、脳が食べろっていうから食べるって、そんなの自分で食べたいと思って食べれてないって思う。誰かに、何かに、食べる事が当たり前だって、食べて満たされた状態でいることが普通だって思いこまされている気がしてならない。そんなのは、嫌だ。自分は、嫌だと思う。拒絶したいと思う。これは、食べないことで死にたいとか、生きることに対してどうこうっていう話ではなくて。だって安全は確約されてるんだもん。そう、だから飢餓感は娯楽に成り得る。という、仮説を実験しよう。一般人の夏休みの自由研究のような、些細でどうでもいい実験を。今日もね、寝起きで珈琲は飲んでるのですが、食欲は相変わらずなくて。脳は食べろって言ってるw面白いですよねー、食べろ対食べたくないの戦い。これだけで、何か1本お話が書けそうだ。論文の題材にしても面白いかもしれない。極限まで、もうエネルギー不足どころか身体が維持できないから食べろっていうところまで行ったら、心から具体的にこれが食べたいって思うんですかね。食べたくない、は消えるんだろうか。そういえば、トマト栽培の美味しいトマトづくりの方法の1種で極限まで水を与えずにからっからにしてから水をあげたりして栽培するって方法があるんだけど、これもある意味飢餓感からの回復なんだろうか。ああ、そもそも人間だって脱水症状からの水分補給や極限の空腹なら何でも美味しいなんていうこともあるか。そう考えると、自分のやろうとしてる実験は、もう結果の出てることなのかもしれない。ま、自分は実感と体感が欲しいからやるんですけどね。これで体調崩したら笑ってやってくださいw2日目の今は最近の中では確実に良好って言える状態なので。

飢餓感ってエンタメ的な言い換えをするとハングリー精神的なものなのでしょうか。よく、ゾーンにはいるとか極限的な集中状態になる描写があったりするじゃないですか。あれ、格好いいですよねー。覚醒というか、その人の能力の限界を超えた先の状態っていうか。自分はそういうところに興味というか、自分がなりたいと思う部分があるからこんな意味不明な、共感されずらいであろうことを長々と書けるんでしょう。それもまた、自分で。気分がいいので、この後のお仕事も頑張れそうなので、精一杯やって行きましょう。急激にガス欠にならないことを祈っててくださいw可能性は、0じゃない。さて、みんなはちゃんとご飯も休息も自分に必要な分だけとって、心穏やかに、そう心穏やかでいることが本当に大事だと自分は思うので、心穏やかに1日を過ごすことが出来ますように。

では、今回はこの辺りで。読んでくれたことに感謝を。それでは、また。

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