隠れた○○とかいう謎の表現のお話。

見に来てくれてありがとう。

今回は、最近お店で見たカップ麺の無駄に長い文章が書かれてた商品を見て自分が思ったことから広がればちょっと雑談でもというお話。

そう、よく隠れた名店!とか、テレビや雑誌で紹介されたりするじゃないですか。あれ、見かけるたびに思うんだけど、みんなはどう思います?自分はね、どこも隠れてねぇ!って。全国流通の雑誌や全国ネットのテレビ番組で放送されてどこに隠れてる要素があるんだろうか。紹介されるまでは隠れてますか?取材されて、調査の範囲に引っかかってる時点でそこそこもう知られてるやろ。って自分は思ってしまう。もうそう表現っていうか、言いたいだけじゃんって。あくまで個人の意見ですけど。この紹介文とか見ると、ちょっとイラっとするんですよねー。自分で具体的な理由が浮かばないんだけどw普通に、美味しいとか、良い意味での名店だって紹介でいいじゃんって思う。隠れてないのに隠れたっていうのどうかと思う。

で、今回この内容書こうってなったのが、カップ麺に隠れた名店の味をうんたらかんたらっていうのがあったの。新商品で。詳しくはみてないよ、手に取って読んだりしたらイラっとゲージが個人的に上昇するだけだから。もうさ、全国流通で(ryしかもカップ麺になるって・・・。言いがかりっぽいですねー。言いがかりかもしれない。なんでかはわからないけど、自分はこういう書き方とか紹介、物の売り方は正直ちょっと嫌悪感がありまーす。何に引っかかってるんだかわかんないけど。

しかもさ、それを全国的に、大々的に広まるようにしてるってことは、もうその先はそこは隠れた○○ではなくなるわけじゃないですか。それって、その隠れたを使い捨てっていうか、こういう紹介した方が都合がいいだろってやってるように見えちゃうんですよ。なんかこう、もやっとする。販売側の売り方っていう意味では正解に近いのかもしれないけど、1回きりの方法で・・・いや、そういったお店を探し続けて使えばそうでもないか。いくらでもそういう風に出来るわ。じゃあ方法としては使い捨てではないのかも。うーん・・・自分はその紹介で、そのお店をどうしたいんだろうなんて考えちゃうんですよねぇ・・・。好意的に見えてないのはうがった見方をしてるからなんだろうなぁって思うんだけど。

こういう、言葉や表現と数字の印象って見てもらう、手に取ってもらうっていう意味では非常に重要でそれを使わない手はないっていうのが世の中の物作りや販売側の総意じゃないかと自分は勝手に認識してるんだけど、わざわざ表に書かなくても隠れている数字とか存在って結構あると思ってて。これは文句とか、攻撃的な意見じゃないんだけどそう聞こえるかもしれない方向で自分の意見を述べますね。

昔からよくある、配信者さんのチャンネルの登録者〇万人達成まで耐久!とか、×万人達成ありがとう配信とかって、今は当たり前に誰もがやってるじゃないですか。で、ファンや推しの配信なんかではおめでとうっていうスーパーチャット(簡潔に言うと投げ銭コメントですね)が飛び交うわけです。これね、自分は良し悪し、ではなくて、なんかこう色々とひっかかるんですよ。そう、死ぬほどどうでもいい個人的意見。

企業に所属してる、もしくは個人ではない場合って、言い方は良くないけど、利益をとれるならそのチャンスって逃したくないじゃないですか。当たり前な話だとは思うんだけど。この登録者数って今の時代完全にステータスとして強みになるわけでして。だから、みんなチャンネル登録、高評価お願いしますってこぞっていうわけじゃないですか。その人数になりましたっていう結果やそれだけの活動してきたっていう配信者さんの努力とか頑張りとかっていうのは素敵だと思うし、応援してる人も素直におめでとうってなってると思うんだけど、この登録者数のどれだけの人がそのチャンネルのファンなんだろうって思う。難しいところなんだけどさ、言い方を悪くしてしまえば、こういうきっかけの配信って偶然見た人なんかでも、応援というか、ぽちっとちょっとした1手間で登録できるわけじゃないですか。そうして増えていった人数の、どれだけの人がその人を本気で応援したいって思うんかなって。その場限りになってしまう人がどれだけの割合になるんだろうって思う。それこそ、登録者数何百万人みたいな人たちの、どれだけの人がその人を応援してるんだろうって思う。そこにお金は発生してないし、別に気にすることじゃないっていうのは重々承知なんですよ。でも、今って登録者数がこれだけいます!っていうのは外から見ても、外にみせるのも必要で重要な数字で。だから、その数を増やしていく必要があるわけで。でも、その数の中の人たちの質・・・っていう言い方はすごく失礼だと思うんだけど、本当にその人のことが好きでっていうのはどれくらいなんだろうってふっと思ったりする。それこそ、お金が発生するメンバーになるっていう人数とかはまた話が違ってくるとは思うんだけど。興味を持った、時間があって気が向いた時だけ動画や配信を見る。これはもうお客さんとして成立するんだから、その数部分にどうこう言うのは物凄くナンセンスなことで、野暮であり、しかも配信者でもない自分がこんなこと言ってるのは本当どうかと思う。それは、そう。なんだけどね、数を増やせばいいっていうのは、違うんじゃないかと自分は思う。もちろん数増やしでやってるなんて微塵も思ってないよ。結果的にそれが目的になってる部分もあるっていうだけ。あくまで、そうあくまで個人的な考え。何度も書いた通り、この数字がどれだけ大事で、必要な物なのかは理解はしているつもりです。でも、その為にする配信や活動に対して、思うことがあるっていうだけ。流行りのゲームをこぞってやりだしたりとかする時に、やりたくてやってるんだろうかなんて邪推したりする。企業側から、これはやってくれっていうのがないとは言わないし、配信はお仕事だっていうのも理解はしているのだけれど。流行りに乗って数字も取れたゲームの配信のアーカイブを印象が良くないからこぞって非公開や削除したりとかさ。この、企業としての数字に対するこだわりは、続けていくうえでは切っても切れない、どうしたって付き合っていかなきゃいけないものなんだけど、所属している配信者さん個人の動向は、どうなんだろうなーなんて思ったり。そう、死ぬほど、どーーーーーでもいい話。自分だって、推しのチャンネル登録者が増えていってそれに喜ぶ推しの姿が見れることは嬉しいことなんだよなぁって。でも、これって数字に踊らされてるし、増えていくことが良いことなんだって共通認識として思わされてる気がしてならないんだよねっていう、隠れた数字の人数のお話。

世界で流行っているとか、再生回数万どころか億再生みたいなのって存在するじゃないですか。でも、それを知らない人っていうのは確実にいるわけでして。その知らない人には自分の世界からは隠れた存在なわけでして。隠れても、隠されてもないけど、全ての人がっていうことはまぁないんじゃないかな、と。言い方の問題と捉え方の問題よね。別に、だからどうこうっていう様なことではなくて。自分から見た印象で思いついた事を脳死でつらつら書いてまして。段々とよくわかんなくなってきた。見えてる部分を、自分が見たいと思って見ている場所や世界が自分で楽しめるなら、きっとそれだけでいい話で。そう、わざわざなんか嫌、に突っ掛かっていく必要なんてない話。この記事も別に嫌っていうんじゃなくて、気になったから自分の考えを整理するために書いてみただけで。もっと、楽しいことが考えたいし、楽しいに触れたい。みんなは、今日も1日楽しいことに触れつつ心穏やかにそこに存在することができますように。

では今回はこの辺りで。読んでくれたことに感謝を。それでは、また。

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