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部活動の闇

4月にニュースで取り上げられ、一躍有名になった学校があります。熊本県にある秀岳館高校という私立の学校です。

部活動における指導者の体罰は、ある意味「昭和の”風物詩”」と言えたかもしれません。

私は小中高とサッカー部でしたが、中学の顧問から体罰を受けたことがあります。ちょっとだけ私の話をさせていただくと、私が通っていた中学(公立)は都大会で優勝したこともあるちょっとした強豪校でした。私はそこで中1の時に学年のキャプテンをしていたこともあり、3年生が引退したのち1学年上の2年生の先輩の試合に出させてもらってました。ただ、それなりに強い学校だったので、2年生チームの中では明らかに私が一番下手で、試合の流れについていけないことが多々ありました。試合中にミスをすると、ハーフタイムや試合終了後に、よくビンタを食らいました。ひどいときは、試合中にベンチに呼ばれて、殴られる時もありました。当時はそれが許される社会的風潮があり、「うちの子を殴ってくれてありがとう」などと言う保護者も一定数いたと思います。

ちなみに、その先生(体育教師)はサッカー部がなかったその中学を数年で都大会優勝まで導いたある意味カリスマ監督で、サッカーの指導書も書いていたほどの人でした。教育委員会とも強いパイプを持っており、私が卒業した数年後には教頭に、さらに数年後には校長になっていました。そんな彼は我々サッカー部員には文字通りの「ヤ〇ザ」でしかありませんでした。

自明の理ですが、私は彼に殴られた後プレーの質が向上したことはただの一度さえありませんでした。むしろ委縮し、ミスをしないようにするため、プレーレベルは下がるばかりです。一万歩譲って、殴ってプレーが良くなるなら、まだこの体罰に意味があるのかしれません。ただし、そんな効果もないのはサルでもわかるはずなのに、自分の感情にまかせて暴力をふるう教師が当時は腐るほどいたという事実があります。

ただ、私が彼を恨んでいた、そして今恨んでいるかというと、実はそうではありません。当時殴られていたのは私だけではなく、他にもたくさんいたので、それが当たり前という風潮があったため、彼を恨むことはありませんでした。そして、今持っている感情は怒りではなく、「彼はなんて人間的にも教師としても、未成熟で不完全だったんだろう」という哀れみです。

上記は昭和の末期から平成の初期にかけて私の周りに存在した体罰ですが、令和になっても同じようなことが繰り返されていることに愕然としました。今回勇気ある部員がSNSで動画を拡散した故に社会を揺るがすニュースとなりましたが、そうでなければこのまま日常的に暴力が繰り返され、子供たちが傷つけられ続けていたはずです。

部活動における指導者の体罰にスポットが当たったのは何も今回が初めてではありません。私の中で今でも忘れられないのは2012年に起こったこの痛ましい事件です。

私も少なからず体罰を受けたことのある身として、この自殺した生徒の気持ちがわからなくもありません。高校生の彼にとっては、学校が、そして部活が人生のすべてであった可能性が高く、そこで行き場を失い、人間としての尊厳をずたずたに切り裂かれた彼には残された道がなかったのだと思います。

ただ、上記の桜宮高校の事件も、今回の秀岳館高校の事件もまだまだ氷山の一角と言えるでしょう。

本来部活動とは「教育課程外」の活動とされており、学校の授業や行事などの補足的な活動でしかありません。しかし、いつからか部活動が教育の中心を占めるような学校が増え始め、そして「過剰な勝利至上主義」の元、運営がされるようになりました。行き過ぎた勝利至上主義が、暴力を容認するような狂った風土を作り、このような事件に発展していると言えるのではないでしょうか。

しかし、「勝利至上主義」だけが部活動の闇ではありません。少子化が進むこの国で、生徒を集めるのはどの学校にとっても非常に困難なミッションとなっています。そんな中で、「多くの選手を集める部活動が、少子化が進む中で私学経営の重要な基盤になっている」という現実が存在します(特に地方では)。これは一般の方にはあまり知られていないことかもしれませんが、私学は国から助成を受けて運営をしています。だからこそ、定員割れしているような学校もなかなか潰れないというわけです。そして、助成の額は生徒数によっても変わってきます。だから部活の有望株をスカウトし、たくさんの生徒を誘致することは、強いチームを作るためだけではなく、学校運営にとっても重要な戦略になるのです。(ただし、各学校には「学則定員」が定められており、取りたいだけ取っていいというわけではありません)

こうなると部活動が何のために存在するのかわからなくなります。ちなみに、私は中高6年間は部活ばかりやっていた人間です。大事なことの多くは部活から学んだといっても過言ではありません。でもその事実が端的に日本の学校教育のいびつさをあらわすものでしかないと気付いたのは自分が教師になってからでした。

繰り返しになりますが、部活は本来教育課程外の活動であり、あくまで学校教育の基盤は授業や行事などになります。部活が学校生活の中心になることは本来あってはならないことなのです。

社会的風潮の変化により、学校における体罰は昔に比べたら圧倒的に減りました。しかしながら今回の事件のようにいまだに一定の学校で体罰がまかり通っているのは疑いようのない事実ですし、そのような支配欲にかられた教員がいるのも悲しいかな現実の話です。

ただ、この問題の本質は、学内における体罰や人格の欠落した教師だけにとどまりません。今でも多数存在するスポーツに重点を置く私立校の経営モデルはもう時代にそぐわないものになっていると言わざるをえないですし、そもそも学校における教育の在り方、部活動の在り方というのを国民全体で真剣に考え直さないといけない時が来ているのではないかと思わせる今回の事件でした。

最後に、部活動の闇と言えば、教師の「顧問」に関する問題があります。こちらに関しては、以下の投稿で詳しく書きましたので、興味があるからはご覧ください。

ご興味がある方はこちらもどうぞ。私学無償化が引き起こした弊害について書かれています。

そして、スポーツ(部活)はヨーロッパみたいに地域が責任を持つのが良いと思います。

最後までお読みいただきありがとうございました。