見出し画像

28年間不断のクリスマスプレゼント(アメリカ-日本)

アメリカに住む準備

目標 :
①見知らぬアメリカ人と生涯の友達になる。
②日本に帰って英会話講師になる。

28年前、私は長男と、元旦那の転勤でアメリカのある場所に住んでいた。行く前に決めた事があった。1つ目は現地で日本語が話せない友達を作ること。2つ目は、大学に通い日本に戻って英会話の講師になることだった。
 行く1年前から英会話の勉強を始めた。英語の勉強なんて、短大でもほとんどしていなかった。社会人になってから、いちから勉強し直しだった。勉強は、かなり楽しかった。

公園で友達になる


 アメリカでの生活が始まった。アパートが集まるエリアに入るゲートに先ずキーが必要。エリアの中には、幾つかプールやジム、子どもを遊ばせる公園もあった。小さな子どもがいる生活で、ゲートから外出する場合、緊張感があり、日本とは違っていた。少し怖かったので、あまりエリアから出る必要もないかなと思っていた。しかし、ある日、エリアから出た公園に行ってみた。そこで、同じように子どもを遊ばせるお母さんが何人かいた。直感で、初めて会ったこの人と友達になろうと決めた。いわゆるアメリカ初ママ友だ。Eの子ども達は、うちの子どもの1才、2才上の2人の子どもの母親だった。

交流が始まる

 直ぐに友達になった。彼女は学校の教師だった。良い人でラッキーだった。私が日本に戻って講師になりたいことや、友達を1人作ることを目標にしていたことも話した。週1回、お互いの家に行き、ランチをご馳走しあって、子ども達を遊ばせた。いろいろな話しをした。
 他の日は、長男を保育園に預けて、大学に通った。2つの目標も達成しつつあった。

それぞれが地元に戻った

 日本に帰ってすぐ、英会話の講師となった。同時に、彼女たち家族も地元のニューヨークに戻る事になった。当時から毎年クリスマスプレゼントの交換と手紙のやり取りが続いた。今年で28年になる。

少し早いクリスマスプレゼント

今年も今日、クリスマスプレゼントが届いた。私も12月になりすぐ、郵送した。手紙はSNSで送った。3年前に繋がったのも嬉しかった。

プレゼントの中身は、当時はそれぞれの子どもに、おもちゃだった。今は、その子どもは、親となった。そう、孫達に贈ることになった。月日の経つのは早すぎる。彼女もそう手紙に書いていた。私は、うわべだけの友達になるのは下手だと感じている。この28年間に起きたことをお互いに知っている。メッセージのやり取りだが、辛い時は、一緒に泣いてくれた様子が、海の向こうから伝わってきた。
 私は友達に恵まれた。周りに感謝すべき友達がいる。遠い海の向こうにもいる。

会えなくても、遠くても温かい気持ちになる

 人は生きていて、知らないうちに人を傷つけ、傷つけられてしまうこともあるだろう。けれども、それが故意だったり、悪意だったりした時は、憤りしかない。なんでそんな人がいるのだろか。それはいない方がいいけれど、消える事はない。そんな人に出会ったら、良い人に出会える、見分けられるチャンスをもらったと思おう。自分から友達を探しに行ったら良いのかもしれない。そのエネルギーを持ち続けるのが良いのかもしれない。温かい人は、この世界には沢山いる。私は、Eに毎年、海の向こうから温められる。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?