見出し画像

ガブリエル・夏 7 「ぺってん」

「あっちじゃないかな。」

レイは、頭の上にあげた右手で左の方を指差して、まみもには全然聞こえそうにない小さな声でつぶやいた。まみもは、まだ熱と汗を吹き出して、ズーヒーいっている。うなずいて、レイの右手の指している方向へ向いてから動くのをやめた。

 レイは、特に日本から来たばかりの駐在員の子供などから、変わってるとか、常識がないとか言われる。言われないにしても、そういう顔で見られる。そこに込められる親しみと蔑みの割合は、その子供と、大抵はその子供の親が何を見て生きているかによる。でもレイが変わっているからと言って、他の変人の行動を理解したり分析できたりするわけではない。まみもがなんで急に走り出して、今あんな風になっているのか、レイにはわからない。さっき捨てられた犬が、今状況把握しました、というような佇まい。でも迷子ではない。レイがあっちと示した方向に希望が見えている。

「まみもちゃん、すごくたくさんCO2を出してるよ。」
「……(ズーヒーズーヒー)。」
「でもここは木がたくさん生えてるから大丈夫だね。みんな、うめぇ、うめぇって、まみもちゃんのCO2を飲み込んで、サンソを出してくれる。」
「ガブくんもやって。」

まみもの顔は、レイを見ないので目が合わない。汗か涙かわからないので濡れていて、眉毛の中央の側が上がって、外側の方が下がっている。すごく情けない顔だ。

「CO2を出すのを? いいよ。いくよー。」

 レイは、鼻と目を大きく膨らませて、その辺の空気を掃除機みたいに吸い込み、ぼわーーーーーーっっと言って吐き出した。おもしろいかおだったので、まみもはケラケラ笑った。

「たくさん出たでしょう?」
まみもは人差し指を左右に動かした。チッチッチッチッのジェスチャーだ。あんなのテレビでしかやらない典型的なステレオタイプ外国人の仕草だと思っていたけど、イギリスにいた1年半とオランダで過ごした5年間で、目の前の人がそれをやるのを4回ぐらいは見た。

「You know, you can do a lot better.  Try it, more seriously. Sky is the limit だよ。オオカミが、今この子豚の家を吹き倒して中の子豚を家に持って帰らないと、かわいいベイビーたちが飢え死にするという時みたいに。できるよ、ガブくん。必死で。やって。」

 レイは笑って聞いていたが、真剣な顔になって「I’ll do my best.」と言った。そして、ゴリラの顔で吸い込んで、漫画の怪獣の顔で吐き出した。勢いよく出た怪獣のぬるい息は、まみもにも少しかかった。まみもはそばに立っている木をなでて、美味しかった?と聞いた。耳を木にくっつけて返答を待っていると、うん、美味しかった、と木の精になったレイの甲高い声が答えた。2人は笑って、山の、1番高くなっているところを目指して歩き出した。

 「ぺってんはここです。」と、レイが発表した、草原の、ほんのちょっと周りより高くなっているところに、2人は腰を下ろした。レイはすぐに寝転がった。ゴロゴロ向こうへ転がって、ゴロゴロこっちへ帰ってくる。草には白の小さな花が所々に咲いていて、柔らかくて、ちょっと痒い。下の方に、少し霞んで町が見える。風が吹く。空は薄い青色で、刷毛で適当にやっておきましたというような雲がいくつか漂っている。

「ガブくん、スピッツの歌聴いたことある?」
「わかんない。どういうの?」
「♪だ〜〜れもさわ〜れ〜ない〜
        ふ〜〜たりだけ〜の〜くに〜
        き〜〜みの手を〜は〜な〜さぬよ〜うに〜〜
        大〜〜きなち〜からで〜
        そ〜〜らにうか〜べ〜たら〜〜
        ル〜ララ〜 う〜ちゅ〜〜うの〜〜 風に〜の〜る〜〜♪」

「ここにも誰も入ってこれないよ。みんなぺってんがどこにあるか知らないもん。ガブくんだけが知ってる。」
「ん? みんなぺってんに行きたいじゃない? 上まで登ってきたら、どこがぺってんか、よーく見たらわかるよ。」
「うん。でもみんなが目指すのは、”てっぺん”だからね。ガブくんのは”ぺってん”だから、誰も知らない。特別で、誰も入れない。」

「ヨイショって跳んだら、宇宙の風に乗れちゃうかも。ル〜ララ〜。」

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?