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料理名人を目指すこと。

そうだ。料理名人を目指そう。

去年、ロックダウンで時間があるし料理ばっかりしてるし、この際料理名人を目指そうと思いついた。
料理の基本にも、一つ一つの食材にも詳しくなって、見たこともない野菜もハーブも、どんなものでも美味しくクックできるようになることを目指すぜよ、と意気込んだ。先生は、ジェイミー・オリバー、ヨータム・オトレンギとSamin Nosrat という人の「塩、油、酸味、熱」を理解すれば、世界中どこの国の料理も今より上手く作れるようになりますよという本。

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さすが、大成功している先生たちが教えてくれるので、習った通りに実習すると数レベルアップした美味しさのものができる。子供たちのつまみ食いも止まらない。

おや?

でもちょっと思う。確かに美味しい。でもだからなんだと。
本の中で、こうすると美味しくなります、の他に、こういうのは不味いです、こういう風になっちゃったのは誰も食べたくないですよね、とかいうのを読んでいるうちに、美味しいを追求するのがなんかちょっと傲慢というか、調子こきすぎなんじゃないの?という気がしてきた。食べ物は、動物の命や植物の部分をもらってできたものなのに。ちょっと嫌になる。
もともと美味しいものを食べることに情熱を持ってるわけでもなく、何に向かってフンガーフンガー鼻息を荒くして進んで行ったらいいのかわからなくなった。でも途中でやめるのは得意なので、そうではない新しい私で行ってみたいところ。料理チャレンジはスローダウン。考える。年を越す。で、最近になって閃いた。

閃いた。

私の場合、金はいくらでも払う、うまいものを食わしてくれ、ガッハッハーといういやらしいおっさんに、お、これ美味いねとレビューしてもらって、評判のよいコックとしてレストラン経営を成功させたいのではないし、キラキラきれいな服を着た奥様たちが集まる会に料理を出して、さすがヨーロッパ仕込みね、やっぱり違うわね〜とか言われたいのでもない。
食べた人が、おいしいなぁとさえ思わなくても、とりあえず一旦満たされて、なんとなく明日も大丈夫だなと思えてくるような料理が作れるようになりたいのだ! 思いついたら気持ちがもこもこしてきた。学ぶ内容は同じでいい。

リスペクト

それから、今までオランダ料理について聞かれて、結構残念な感じよ、とか答えてきちゃったけど、これから一生、食べ物についてまずいとかおいしくないと言うのはやめよう。これはリスペクトの問題なのだ。作った人とそれを食べる人たち、食べてきた人たちの文化、それから材料に対しても。食材はみんな元々は生きていた。私は彼らが生きていたことが好きだもん。覚悟してお命頂戴しますといつも思っているべきなのだ。感想は、どんなすごいのがきても、ほうなるほど、こういう味なんですね、と。そういうふうにいきたい。


2021.01

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